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思い返せば自分が実際散歩するときも純粋に景色を楽しんでいるというよりは「そういえば前に似たようなことあったな...」から派生して色々思ったり感じながらぼーっと歩いたりするので、そういう意味でもかなり読みやすく、世界にスッと入っていけた。作者の感性も独特ながら感情移入できる不思議な雰囲気で、今年読む作品の中でも指折りに良いエッセイになる予感が早くもする。
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近所から過去に訪れたバリ島まで様々な場所で起きたこと、感じたこと、妄想したことなどが綴られています。
丹波篠山の話も出てきました。
過去のそのころに感じたことなどが書かれていて、とても興味深かったです。
最後の経堂はちょっと怖かったけど。
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すごく好きなエッセイ集。
この作家さんのエッセイは
いつも知的に、時にナンセンスに面白くて
大好きなのだけれど、本作は少し味わいがちがう。
クスッと笑いながら、時にしんとするような
深さ、不思議さに、心とらわれてしまう。
この底知れぬ不安のような、笑っていたのに
さっと不安に包まれるような感覚に
すっかり引き込まれてしまった。
きっと何度も読むと思う。
いつも手元に置いておきたいお気に入りの
一冊がまた増えた。
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いやぁとても面白かった。夜寝る前に少しづつ読んでいて、面白いんだけど読み終わるのがもったいなくて少しづつ読んでいた。
出不精な作者が出かけた所をもとに書かれているという事だけど、過去の記憶や思い出、幻想や妄想、そしておそらく嘘も仕掛けられていて、虚実織り交ぜられた作者の心を追体験するような不思議な感覚。
クスリとしたり懐かしかったり悲しかったり、しんみりしたり時には怖かったりもして色々な感情が呼び起こされる。
海外文学の翻訳家として話題作をたくさん手掛けてらっしゃる方ですが、名翻訳家はエッセイの名手でもあった訳ですね。
作者の他作品の文庫も入手したのでしばらくは岸本ワールドに浸れそうです。
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場所は記憶。記憶は心の動きの保存。心が動くということはは物語が生まれているということ。物語は虚実の織物、想像の産物。だから…場所は…想像の産物?それぞれがなにげない小さな旅なのですが、そのひとつひとつが心の襞に入り込んでいくインナートリップなのでありました。著者のインナートリップは読んでいるうちに自分の心のディテールにも入り込んで来て、知らないうちにシンクロしてしまっていました。著者のiPhoheによる写真の何気なさもこの読書を読んでいるこちらの主観に乗り換えさせる効果があったような気がします。そして幼稚園の集合写真。自分とはまったく関係ないのにものすごい懐かしさを感じてしまいました。場所から始まる内なる旅感、なんか似たような感覚あると思い出せばショーン・タンの「内なる町から話」だったな、と。そしたら、その訳者が岸本佐知子じゃないですか!ショーン・タンは運命的な訳者と出会ったということなのか、と、激しくうれしくなっちゃいました。この著者自身の文章、もっと読みたくなりました。
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帯に書かれた丹波篠山からの一文に胸を打たれ、思わず手に取った本書。エッセイ自体あまり読んだ経験がなく、恥ずかしながら著者も知らずに読み始め、一気に読了。どこか物悲しい雰囲気が漂うものの暗い気持ちにはさせない不思議な空気感や、繊細な描写の数々にいつの間にか夢中になっていた。他の著書もぜひ読みたい。
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過去の著書である「ねにもつタイプ」で、岸本さんは翻訳家を目指す若者に対し、「まずは普通に就職して、普通に会社員になること」を強く勧めていたのがずっと印象に残っていました。
本書の冒頭、赤坂見附の章などは岸本さん自身が正に「普通の会社員」だった時代のことが書いてあり、バブル期の熱狂を抜けて、新しい居場所を求めて翻訳家へと向かうその人生の転機が描かれており、これまでのエッセイなどとは違った読み応えがありました。
おもしろいけど、何故だかうっすらとした寂しさ(ネガティブな意味でなく)を読んでいる間ずっと感じる不思議な魅力がある一冊です。
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"それからしばらくは、雨や雪が降るたびに、ああ、こんな天気なのに帰ってこないということはやっぱりMは死んでしまったんだな、と考えた。それがだんだん三回に一回になり、半年に一回になり、ついには何も感じなくなった。私はやっと本当にMを失った。
来たときはあんなにガリガリだったのに、最後は立派な大猫だった。招き猫と同じ白地にサバ模様で、ハチワレだった。顔はヤクルトの池山に似ていた。"(p.154)
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飼っていた猫が消えた話『地表上のどこか一点』の最後の一文、「ヤクルトの池山」の余韻が味わい深くてものすごく好きだ。
どの話も他人の記憶なのに懐かしく感じた。どこにでもありそうな、なのにどこか不穏で現実味がないような、不思議な空気感だった。
「何もいい思い出のない町」だという『初台』が特にぐっときた。自分のことをいろいろ思い出して、居たたまれないような気持ちで、でも3回くらい読んだ。
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すぐに行ってみたいところがあるけれど、この状況下行けないもどかしさ。
著者のように妄想を膨らませて、あとの楽しみとしよう。
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頭の中にぼんやりと浮かぶ、突拍子もないことを言語化していて、クスッと笑ったり、妙に共感したり。あまりエネルギーを使わずに読める本
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「ふと思い出す場所」って、必ずしも温かくて綺麗な場所だけじゃなくて、少し寂しい気持ちになる場所もあるし、奇妙な思い出につい笑っちゃう場所もあるし、よくわかんないけど何故だか記憶に残っちゃう場所もある。
読み始めると一瞬で別の場所に連れていってくれるから不思議。読み終わるのが勿体なくて少しずつ読もうと思っていたのに、うっかり一気読みしてしまった…
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岸本さんの他の著作で、東京に巨大な穴が出現するお話があったが、本作を読んで、わたしたちを飲みこもうとする穴は本当に、いたるところでばっくり口を開けて待っている、と思った。
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連載時にもちょこちょこ読んでいたが、こうしてまとめて読むと、言葉の選び方や、ズレ方が絶妙。『バリ島』とか『大室山』とか本当に巧いな。
『富士山』もかなり好きだが、最も共感するのは『YRP野比』。
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ささやかなお出かけエッセイたち。なんとなく地名を知っている場所がでできたりしておもしろい。ちょっと不思議な感じなのも、いい。わたしにはこんなに幼い頃の記憶は残ってないな。
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翻訳家の岸本佐知子氏のエッセイ集。土地や場所にまつわるエッセイが収められている。訪れたことのない場所へ訪れて感じたことを書くタイプと思い出の土地にまつわるタイプの大きく分けて2つのタイプがある。前者はエッセイとして王道ながらも着眼点が全然人と違う。多くの人が気にも止めず覚えてもないし、ゆえに忘れられることもないだろう世界についての話をしているのがオモシロかった。世界をどれだけ微分できるかでエッセイの魅力は決まると思っていて、著者の世界の捉え方はとてもオモシロかった。そしてまさにそれを象徴するかのような文章があったので引用しておく。厨二病!と笑うのは誰でもできるが、この考え方はインターネットの大元の思想だと思うし僕がブログで日記を書いているのもこの思想に由来している。
この世に生きたすべての人の、言語化も記録もされない、本人すら忘れてしまっているような些細な記憶。そういうものが、その人の退場とともに失われてしまうということが、私には苦しくて仕方がない。どこかの誰かがさっき食べたフライドポテトのことが美味しかったことも、道端で見た花をきれいだと思ったことも、ぜんぶ宇宙のどこかに保存されていてほしい。
後者の思い出に関しては旅行の話(上海、バリ)がオモシロかった。その土地に対するイメージが著者が旅行した当時と今で全く異なっていて、ちょっとしたタイムスリップ気分を味わえる。その一方で時代は進んでいくし、今この瞬間も日々刻々と過ぎ去って2021年の空気が作られていくのだなというセンチメンタルな気持ちにもなった。それは合間合間に挟まれる著者自身がスマホで撮影した無機質で最高な写真も影響しているのかもしれない。