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ガンッと頭に衝撃を受けるような作品。
デパントにしか書けないような非常にメッセージ性のある文章だと感じる。
おそらく批判しようと思えば色々な点で批判できるだろうけど、誰かがこういうことを書かねばならなかったんだと思う。
間違ってる、とか偏りすぎ、というような印象をいったん置いておいて、素直に受け入れる読み方をするのがオススメです
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フェミニズムについて、フランスの本。
気になったところ覚書とつらつら感想。
「無理やり足を開かれても絶対に男を傷つけるなと教える一方で、レイプという犯罪から立ち直ることは絶対にできないと私に吹き込んだ社会に対して怒っている」
本当に、性被害について、社会は、被害者はこう感じるべきを押し付けすぎ。
「傷ついて恥と思って人前で語れる訳が無い」とか。
うるせえクソやろう法の裁きを受けろ、と感じて、全然良いじゃない。
むしろそう感じられる人が増えるよう、社会が変わるべきでは。なぜ被害を受けたのが恥なのか。
「女性の性サービスは無償でなければならない。金は自立を意味する。売春がモラルを乱すのは、女性が家の外で自分で金を稼ぐからだ」
これ、愛あるセックスに至上の価値がある、って価値観にも繋がるかな。合意があれば悪では無くない?
「愛のないセックスは、女にとって常に品位を落とすものだから」
と社会で認識されてるの、それが婚姻制度の中にある夫婦間であれば、愛が無くても、完全な合意すら無くても、問題無い扱いされるのもイヤだよな。
「婚姻は合法的な売春」な話もあって。
表紙も素敵だし、一読をお勧め。
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何でこれを手に取ろうと思ったのか、その経緯は忘れてしまったけれども、いつも読む本とは毛色が違って読んで良かったと思う。
女であることは、その良さも悪さもわかった上で生きてきたつもりだが、もしかして…?と思わせる作品。
昔の自分だったら反発したかもしれない。
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『キングコング・セオリー』ヴィルジニー・デパント、相川千尋訳、2020/11/26、柏書房
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リズムのよい文体と率直な文章が心地よいフェミニズムの書。まだ勉強を始めたばかりで細かい議論に関しては全体像を把握し切れていない部分もあるけれど、一つの視点を知ることができたのはとても大きい。
最近日本で売られているフランスの女性作家による小説というと『三つ編み』や『彼女たちの部屋』くらいしか知らないのだけど、この本の作者の作品も読みたいと思った。未邦訳のものもあるので、原書で頑張ってみたいな。
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フランスの女性作家ヴィルジニー・デパントによるフェミニズム・エッセイ。
「私はブスの側から書いている。ブスのために、ババアのために、男みたいな女のために、不感症の女、欲求不満の女、セックスの対象にならない女、ヒステリーの女、バカな女、「いい女」市場から排除されたすべての女らしさたちのために。」
冒頭からファイティングポーズな文体にしびれます。巻末の著者写真を見ると、彼女は決してブスではなく、その存在感がめちゃくちゃかっこいいんですが、そもそも著者の外見について論じるようなルッキズムくそくらえみたいな本です。
MeToo運動が起こったときに、「男性には女性を口説く権利がある」と反論したのが、かのカトリーヌ・ドヌーヴであったのがちょっとおもしろかったんですが(カトリーヌ・ドヌーヴが口説かれることと、ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラはまた別次元の話だと思う)、「女らしい女であること」が賞賛されるフランスにおいて、「女らしさとはご機嫌取りである」と看破してしまう小気味良さ。
文体がパンクなので彼女が攻撃しているのがどちらの側なのかよくわからなかったり、読みにくい部分もあったりしますが、これくらいハッキリ言ってくれると清々しい。
2006年のエッセイ。MeToo運動の高まりを受けてフランスで再注目され、日本でも翻訳出版されました。15年たっても状況はあまり変わってないというか、今なお有効であることが問題なのか。
以下、引用。
強力で精巧な文化装置によって、女の性欲は、自分自身の無力さから快感を得るように運命づけられているのだ。つまり相手の優位から快楽を得るように、あばずれのようにセックスを楽しむのではなく、自分の意に反して感じるように。ユダヤ・キリスト教的な倫理観では、あばずれと思われるよりも、無理やり犯されたほうがいいのだと、私たちは何度も繰り返し教えられてきた。
婚姻は、どんな競争にも負けない価格で、男の安楽のためのいくつもの重労働──特に性労働──を女が提供する市場なのである。
現代のあらゆる通信手段はまずは性の売買に使われる。
売春は「女性に対する暴力だ」と断言するとき、結婚や私たちが耐えている他の物事も女性に対する暴力であるということを、社会は私たちに忘れさせようとしている。
性的妄想は夢と同じような間接的なやり方で、私たちが何者なのかを物語る。私たちはそれが実現してほしいと望んでいるわけではない。
あきらかに多くのヘテロ男性は、ほかの男に挿入されたり、侮辱されたり、女にアナルを責められたりすることを想像して勃起する。同じように、あきらかに多くの女性がレイプや集団レイプ、あるいは女とのセックスを想像して濡れている。
女らしさ満載の「現在の」女たち、『私ってほんとに女だなって思う」と会話のなかで何度も言い、男の性欲と相性のいい性欲をもった女たちこそ、もっとも男性的である。
男性作家について述べるとき、女性作家にするのと同じようにはしない。ミシェル・ウエルベックが美男だと書くべきだとは誰��思わない。もし、彼が女で、彼の本を好きな男がたくさんいたら、美しいと書かれただろう。あるいは美しくないと。
女らしさとはすなわち、ご機嫌取りだ。服従の技法。それを誘惑と呼んで、性的魅力のように見せかけることもある。ほとんどの場合、そんなに難しいことではない。下手にでる習慣を身につければいいだけだ。
「特権とは、そのことを考えるか考えないかの選択肢を持っていること。私は、自分が女であることを忘れることができないが、自分が白人であるということを忘れることができる。それが白人であるということだ」
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第3章 堕落しきったこの女をレイプすることはできない
p46
逆に、1960年代のアルジェリア戦争以来フランスの男が戦争に行っていないせいで、「民間人」へのレイプは確実に増加している。
p49
警官どもの法律は、男の法律だ。
p67
レイプはなによりもまず、「男の性欲は本人にはどうすることもできず、男はそれを制御することができない」という認識を伝える媒体の役割を果たす。
p71
本で読んだ通りなら、これはレイプのトラウマよりも戦争のトラウマに近いものだ。死の可能性、死との距離の近さ、非人間的な憎悪を他者から浴びせられること。
第4章 敵と寝る
p115
小説のなかにはたくさんの娼婦が出てくる。モーパッサンの『脂肪の塊』、ゾラの『ナナ』、『罪と罰』のソフィア・セミョーノヴナ、『椿姫』のマルグリット、『レ・ミゼラブル』のファンティーヌ……。彼女たちは人気のある登場人物で、宗教的な意味における反・母だ。
第6章 キングコング・ガール
p160
すべての議論が、私が言ったことが言っていいことだったのかどうかに費やされていた。
第7章 女の子たち、さようなら。よい旅を
p197
女は永遠の外国人だ。
訳者あとがき
p203
「特権とは、そのことを考えるか考えないかの選択肢を持っていること。私は、自分が女であることを忘れることはできないが、自分が白人であるということを忘れることができる。それが白人であるということだ」
著者の来歴、バックグラウンドに触れる前に本を手に取りました。頻繁に取り沙汰される『ベーゼ・モア』も未読、未視聴でしたが楽しく読むことができました。
そもそもエッセイは作者が好きな人や作者の考えに共感する、強く頷きたいという人が読む、というイメージ。あとは自分のようなフェミニズムに興味関心がありつつも色眼鏡で読み始める人。そういうのをすべて蹴散らすような容赦ない暴力的な文章。パンクというのか、それでいてときおり引用される作家や作品名には舌を巻く。
日本国内では生まれにくいものを読んでいることを感じながらも、こうして邦訳されたことに強い意味がある。エッセイは、作者の言動すべてに同意するのではなく、こういう考え方もアリなのだ、という気づきが重要だと感じています。ことフェミニズムやBLMなどの社会問題では、アリナシ以前に今までの男や女や社会の醜さ、愚かさを書き殴り、語られています。
最近言われがちですが、今はアウト、という言葉があって、実際は最初からずっと前からアウトだけどと思わなくもない。ヘラヘラせず、ただ理解を示すだけが何かの免罪符にならないように。忘れることの愚かさを私は覚えていたいと強く思いました。
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痛快!だけどシリアス。
『家事や育児のように、女性の性サービスは無償でなければならない。金は自立を意味する。売春がモラルを乱すのは、女性がそこに喜びを見出さないからではなく、女性が家の外で自分で金を稼ぐからだ。』
セックスワークイズワーク、という言葉があるけど、それが正しいか私にはわからない。著者は賛成の立場のようだけど、中毒のようなものだとも書いてる。
『女らしさとはすなわち、ご機嫌取りだ。服従の技法。』
結婚していく友人たちが、思ってもないくせに、新妻気分でこんなことを口にする。「もう結婚するから、旅行なんかも気軽に行けなくなるでしょう?」そんなこと思ってないでしょ、というと今はまだ笑ってくれる。でもそんな言葉を話してると、いつかそれが本心だと思い込んでしまうんじゃないかなと不安になる。
妻らしさとは、女らしさとは不自由さだと刷り込まれている私たち。
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セックスワークイズワークには同意できないのでずっと避けていた本だが読んで良かった。洞察力にあふれた言葉がこれまで言語化できてなかった感情に名前をつけてくれる。
ただ、やはりセックスワークイズワークの理屈は最後までさっぱり理解出来なかった。売春はどれほど条件が整備されていても解離症状が出ていないかぎり自ら進んで従事できるものではない。それがもし万人にとって苦痛をともなわない行為ならば、それこそ男性自身がすでにまともな仕事として売春に従事し、整備しているはずだろう。
著者にとっても売春行為は事件のトラウマを克服するための戦いであり、一種の自傷行為だとしか読めなかった。それ自体は痛々しいけれど、必死で生き抜いてきた迫力は伝わってくる。著者の語りに価値があるのはそこであって、売春の理論的肯定ではない。
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こんなパンチのある文章は初めて読みました。
読むのにカロリーを使う。
自分の身に起きたこと、それに対しての怒り。
それを、こうも言語化できるものなのかと驚きました。
翻訳の相川さんもあとがきで仰っていますが、この本に書かれている全てのことに対して同意できる訳ではないかもしれない。でも、この本によって力を取り戻していった人は沢山いるのではないかと思います。
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とても素晴らしい。
決して浅はかな怒りではなく、心の芯から世界に対して響かせる強烈な怒号であり、それゆえに啓蒙的で何よりもパンク。
とりあえずパンクで生きたいね。
階級闘争の意識を絶望的なほど持ち合わせていない日本人こそ読むべき本。
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本書は、「フランスの人気女性作家ヴィルジニー・デパントが、17歳のときに受けたレイプ被害や個人売春の経験をもとに、性暴力や売春、ポルノの本質について独自のフェニズム理論を展開する自伝的エッセイ」(訳者あとがき)である。
著者の怒り、ストレートな物言いが、現在の男と女の関係に安住しているオトコの自分にグサッ、グサッと刺さってくる。非対称の関係で権力を持つ立場にいる男の自分が気づいていないこと、当たり前だと思っていることについて、著者の舌鋒が迫ってくる。
著者の主張を全て肯うものではないし、著者の言う「男の支配と折り合いをつけるのがうまい女たち」をつい可愛く思ってしまうが、少しずつでも変わっていこう。