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人間関係でモヤモヤしているときにたまに読み直すと、ちょっと精神的に落ち着くかもしれません。
自分がなぜ辛いのか、他人に対してモヤモヤするのかちょっとした気付きがあると思います
「承認欲求が強いひとは毒親のもとで育った」というざっくりした情報は持っていましたが、
基本的には親の育て方がベースにはなっていますが、人生においてはいろんな場面で乗り越えたり成長していけるものです。
何歳になって承認欲求はつきまとうし、それに向き合って生きていこうと思います。
繰り返しの情報が多くて、ちょっと読みにくい印象はありました。
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自分が「承認欲求にかられてるなぁ」と思っていたところ、なんだかピッタリなタイトルと思って読んでみた。
価値観が多様化してきたことで、(却って)承認される基準も多様化してしまい自己承認がしにくくなっている、という説は確かに…と思わされた。
けれど、もやもやをすっきりさせてくれる本ではなかった。
自己承認できる人になるには幼児期の親など周囲の関わり方が大事というのは分かる、けれど大人になってからはどうすればいいんだ?
専門職の人以外でもケアできる人を増やして共生出来る社会に、という説も分かるがなんだか唐突な話の流れに感じた。
うーん、この本は自己承認にかつて悩んだ人が答え合わせ的に読むのが良いのかも。。
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リソースははっきりしてないが、読んでいて納得しながら読み進められる。
個人的には、障がい者や高齢者に焦点を当てて承認不安について説明している章の内容が目新しくて勉強になった。「どうしてそう考えるのか」「どうしてそうするのか」を掘り下げて質問することによって、理解と共感につなげていくという点も分かってはいるもののなかなか実践できていないポイントだったので、言語化されていることにより意識がむいてよかった。
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なんとなく普段感じていたことを、ある程度で学的にに言語化していただいた。著者自身がいうように「わかりやすく」書いたとされている。丁寧さの記述と繰り返しの箇所が多いと感じた。著者の考える処方箋は、「相互ケア社会」を作る上での、人に対する「教育の重要な役割」(P.231)としているが、既述にもう少し具体性があれば関係者の施策に資することができただろう。
以下に備忘録の意味でいくつか引用した。
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『「認められたい」の正体』の続編的位置づけ。「存在の承認」をベースとした相互ケア社会の実現が、承認不安がまん延する世の中への処方箋になるという。「存在の承認」=「ただそこにいてくれるだけでよし」については、岸見一郎氏のアドラー関係の書籍でも言及されていた。 山竹氏本人もあとがきで触れていたが、相互ケア社会については、少々理想主義的でもある。そもそも、世の中のほとんどの人は、このような新書など読まない(もっと言うと、本すら読まないし)ので、この考え方を広めていくことが課題でもある。
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今は自分のやりたいことを自由に発信できる世の中だが、同時に自分のやっていることを多くの人に監視もされている。
知り合いでもなく会ったことも話したこともない人達に自分の行動や発言を監視されるというのはある意味怖い時代なのかもしれない。
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ふだん人とコミュニケーションする上で、「承認」というものがどういう風に存在しているか、作用するか知れる本。
「認められたい」ということよりも、人が無自覚に薄々感じている「不安」が、その人の行動に大きく影響しているのだと知れてよかった。
過去の経験、体験として承認を十分に得られなかった人は、それを反映したり補償する形で歪んだ価値観や行動様式を持っているというのは自分に当てはめてもそうかもという風に思った。
存在の承認、行為の承認によって、その人の価値を認識すること、認めることが人と人とのコミュニケーションにおいて大事なんだなと思う。