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“「だから、みどりさんもわかんないことあったらきいたらいいよ。きかなきゃダメだよ。あたしはすぐきく」”(p.71)
“発願なしには信心も練習も開発も始まらないが、度重なる行いの中に願いは少しずつ溶けていく。馬頭観音があちこちに建って苔生せば、目指した通りに頭が手が足が動けば、堤が川を高く挟んで船舶が掘り込まれた土地深くまで導かれれば、願いは霞んで見えなくなる。しかし、こうした透明な成就が、そんなことを知る由もない人々の営みが、不思議と当人たちを慰めてくれることもある。”(p.148)
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どうしてこういう最後にしなくてはならなかったのだろう。こうなるであろうことは描かれていたが、それでも、まさかと思った。
キラキラした中学生になる直前の女の子に魅了されながら読み進めていたので、あんまりだと思った。時間は一瞬一瞬の連続であり、止まらないことは知っている。その一瞬が戻らないことも知っている。でも次の瞬間、また次の瞬間と続いていってほしいではないか。
このラストでなくても良かったと思うんだけどなぁ。
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多くの書評でコメントされているように、最後の1ページはこれでなければいけないのか、考えさせられる。再読が必要になるのも振り返ると後半いくつかのシーンで布石があったことに気付くから。
何にしても高評価に充分に値する読んで損のない一冊。
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旅する描写がある種平坦に(みずみずしさはもちろんあるけど)描かれているけど、途中から話がドライブし始めて、ぐいぐい読みすすめていったら泣きそうな展開が続き、ラストで呆然とさせられた。
この話は旅を回想するていで描かれていて、さらに日記内の風景描写が引用される(その中にはさらに柳田國男などの引用が含まれることが多い)。
語ること、今回の場合は書き起こす(のこす)ことの尊さを否応なく感じさせらせた。
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みどりさんがあびちゃんの芯の強さや言葉の力に背中を押され、初めて自分の人生の選択を出来て良かった。
なんでもかんでもサッカーに結びつけようとするあびちゃんの素直で純粋なところに、何度も心が熱くなりました。
ちょっと難しい文章だったけど、面白かったです。私の心の中でずっとあびちゃんがサッカーボールを蹴っています。
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小学校のサッカー少女と、叔父さんのロードムービーのような旅。コツコツと、淡々と流れる音楽のような作りで、練習と天気と、少女が大好きなオムライス、そして鳥、繰り返される真言宗の言葉。リズムに乗って読んでいくと、自然に感じられる不穏なまでの静けさ、そして最後のわかるその意味。夢を持った人が、悩みながら生きていく強さと、人との出会い、交流。人生にとって大切なもの、その瞬間を生きていくことの美しさ。毎日をどうやって生きますか?小説家の叔父が見出した、大切なものとは何か。そんな投げかけを蹴り込まれたような感覚。
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なんで借りたのか覚えていないが、図書館のマイリストに入れてあった。
去年の話で、コロナ禍で学校が休校になっている小学最終学年の亜美(アビ由来の名前)と小説家の叔父とが、千葉の我孫子から茨城の鹿島アントラーズの本拠地まで徒歩旅に出る。我孫子から鹿島まで約68キロ徒歩で14時間弱。内容的には頭にあまりのこらなかったが、我孫子というと鳥研の所在地、ロケーションに手賀沼がやたらとでてきて、手賀沼のコブハクやオオバンなど、野鳥もちらほらと登場。鳥の博物館に行く約束もキーワードとなってくる。ラストがさらっと字数すくないながら、とてつもなく辛いので、読了感はとても悪いが、コロナ禍の中でコロナ由来の不幸が増えただけでなく、普段通りの不幸ももちろん普段通りに起きている。この流れなので、新型コロナで死ぬ話か?と思って読んでいたが、嫌な方向に外れた。なんとも嫌な気分になった。
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土曜日の午後に3時間くらいで読了。大切なものに生き方を合わせる。旅の終わりが始まり。
練習していくうちにきっと見えてくる。自分は何の練習をしよう?と考えさせられる。
亜美にはこれから色々な困難が待ち受けているだろうけど、素直に育ってほしい。
叔父さんのような理解力のある大人や世界を広げてくれる人に出会えて幸せだと思う。鹿島神宮、ジーコ広場にも行ってみたいと思った。
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第164回芥川賞候補作、中学入学を前にしたサッカー少女と小説家の叔父が徒歩で1週間くらいかけて千葉の我孫子から鹿島アントラーズの本拠地を目指す旅に出るロード・ノベル。2020年のコロナ禍の話であり、緊急事態宣言や街の規制などがリアルに描かれている、目的が「借りた本を返却すること」なのだが、開始直後に忘れるくらいにのめりこめる。鹿島アントラーズのジーコが懐かしかった。ラスト1ページでこの作品の評価が変わるかな。
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うまく復唱する事は出来ないけど、著者が書きたかったコアな部分は伝わった気がします。そのまんま伝えるのは身も蓋もないので、こういう形の小説になったのだと思う。登場人物にモチーフがあるかはわからないけど、読者をその世界に連れてきて留めておくための仕掛けでしょうか。
それでもやっぱり別の形が良かったかなぁ(泣)
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読後、脳みそ痺れた。すごいよかった。
#読了後の脳内エンディングテーマ
#燦々(ひとりでにver) #カネコアヤノ
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"鹿島アントラーズの本拠地を目指す叔父と姪の旅"という帯の言葉に惹かれて、サッカー好きとして読みたい!と思って購入しました。
旅することは生きる練習で、同じ場所にまた行っても、二度と同じ旅はできないということに気づかされました。
最後の1ページを読んで、放心状態になる作品でした。
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前作の「最高の任務」が好きだったので読んでみた。読んでいる途中は牧歌的だな、いやなんなら少し退屈だなと思ってたけど、最後まで読み終わると信じられないくらい心に残る作品になっていた。しばらく「なんでなんだ…?」という気持ちになり、この小説のことをしばらく考えてしまうくらいに。あとタランティーノの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」思い出した。
叔父とサッカーを愛する少女がコロナ禍において茨城県を旅するロードムービーならぬロード小説。物語の緩急の付け方がオモシロくて鳥の観察日記や風景描写のところは時間が異常に停滞する一方で会話のテンポはとても軽やか。この対比が小説にリズムを産み、自分が妻や友人と旅に出ていた頃を思い出す。コロナでなかなか行けなくなったけど、人とどこか見知らぬ場所に行くのは豊かな体験だったのだなと思い出させてくれた。また会話の中で「食べよーよ」とか「いーよね」とか「ー」が生むまったり感が好きだった。「食べようよ」「いいよね」だとは伝わらない、駄弁っているニュアンスが出ていて、人が駄弁っているのを聞くのが好きなので良かった。
親子物語ではないので過剰にウェットにならないところも設定として良い。また第三者である大学生が登場してから物語は大きく展開していくのだけど、そこも主体的に人生を生きるというテーマがあり、何か自分で目標を用意して生きないとなと襟を正すような気持ちになった。
全体に冗長というか、旅行の記録としては振りかぶった文章が目につくなと思ったら、それらは最後に全て回収されて「うわー」と思わず声が出てしまった。自分が当事者にならないと何気ない日常の尊さは気づけない。コロナ禍で亡くなった人への鎮魂歌として捉えることもできるかもしれない。練習ではなく皆が好きなだけ旅に出れる日が戻ってきて欲しい。
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一文に装飾が多いからか
文章がすっと入ってこなくて、
情景を思い浮かべるのに時間がかかった。
でもそうやってよく吟味することで見える景色は
とても生き生きとしていて、
時間をかけて一緒に歩いているような気持ちになる。
どういう構成の文章なのかわかってくるにつれ、
フラグが立ちはじめ…。
取り戻せない時間、
そこにいた人にしか残らない記憶。
淡々と描写した文章であっても、
過ぎた情景は美しく輝いていて、
感傷をもって胸に迫る。
サッカーを人生の中心に据えた亜美の、
健気でひたむきで、
まっすぐな明るさがすごくよかった。
作中でも問いかけられていたけど、
亜美にとってのサッカーのように、
人生の礎になるものって、
誰にでもあるものだろうか。
今になってようやく知ったけど、
私はそれが本なのかなぁ。
なんだかじっと自分を見つめてみたくなる
いい本だった。
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コロナ禍小説でした。コロナ禍だから、3月の学校行事が制限され、時間が増えたため乗り物利用より歩く旅を思いついた。コロナ禍だから、旅先で図書館に立ち寄ったら臨時閉館だった。コロナ禍だから、3月なのに新卒採用者に入社辞退を促す連絡があった。コロナ禍のせいにして思考停止するより、与えられた条件でこれまでにないほど良く考えてみようというポジティブな思考が見受けられたのも歩いたせいでしょうか。歩きながら同志が増えるのはお遍路さんのようでしたし、叔父さんと姪の亜美の関係は、寅さんと甥の満男を思わせました。