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言葉のチョイスだったり、表現の仕方が尾崎世界観特有のあの感じでクリープハイプの歌詞を読んでる感覚だった
ストーリー自体は何を伝えたかったのか最後まで理解できなかった何年後かに読んだらまた違う感想がでてくるのかな
書けないけど読める漢字って表現天才かよ....
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暗くて悲しい雰囲気の話で、ストーリーにダイナミックな展開が全然なくて、登場人物もあまり魅力を感じない。とても暗い気持ちになる。主人公のお母さんには100万円くらい道で拾って子どもと一緒に何か景気よくぱーっと使って欲しい。
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タイトルのまま、母の影を題材にしていた。
芥川賞となった『推し、燃ゆ』は生きづらさのある女子高生が主人公だったけど
『母影』は、生きづらさのある母娘が主人公だった。
小学生女子の主人公と一緒の気持ちになって、「あれは何だろう?」と追体験できる文体だった。
「とうめいな飲み物を飲んでるのに顔が赤くなるなんて、理科のじっけんみたいでおもしろかった。」とか、完全に小学生の感性で描かれていた。すごいなあ。
シングルの家庭の子どもにとっては、唯一頼れるのは母親しかいない。
もしも「おかしな」仕事をしていても、母親こそがその子の世界なのである。
読み手が大人であれば、「きっと”あれ”なんだろうな」と推測できるけれど、この作品はあくまで小学生女子の目線で描かれているから、ところどころで出てくる「あれ」の正体がつかめない。明確には描かれない。
読み手は大人で、わかっているはずの「大人の世界」のことなのに「わからない」気持ちになる。こちらも同じようにカーテンで遮られている感じ。
それを「書けないのに読める漢字みたいだ」と表現する感性。
不思議な読書体験だった。
先日、芥川賞候補になったときの情熱大陸を観た。
かつて働いていた会社で、自分の書いたのが製本されてるってすっごいだろうな…!
疎外感や憤りが原動力って表現者に多い気がする。
確かに何かを表現するときってそれがきっかけかもしれない。
クリープハイプの尾崎世界観さん。小説を初めて読んだけれど、独特な感性の方だなぁと。
曲は有名どころしか知らないけれど、改めて歌詞をじっくり読んでみようと思った。
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話題になった本だったので読んでみました。言葉が歌詞のようでさらさらと読めました。女の子の気持ちがなんでこんなにわかってるのか不思議なくらい、大人にならない手前の大人の世界を感覚でなんとなく知ってしまう、そんな空気を上手く文章にのせている感じがしました。どんなお母さんでもやっぱり自分のお母さんは好きなんだなぁーって。
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大好きなクリープ尾崎世界観の本。尾崎さんぽい独特な表現だった。少女の視点で一つ一つ細かく書かれていて面白かった。その子の気持ちがなんでこんなにわかるんだろう。尾崎さんはいつも、私たちがサラッと流してしまっていることを、拾って、深く考えているんだろうなと思った。クリープの歌詞のようだった。
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尾崎世界観の"母影"読了
お母さんがわからなかった。でも、私の手はちゃんとお母さんをわかってて、その手から勝手にお母さんの変が入ってきた。私はそれをちゃんと言葉にできないから、お母さんの変で苦しくなる。お母さんの何が変で、私のどこが苦しいのか、それだって言葉にできなかった。
風俗の仕事をする、知恵遅れ?の母とその子供のお話。子供目線の母やその仕事への表現が、本当にそれらしくて驚いた。子供の拙いけど、必死に母の"変"を理解しようとする描写が秀逸だった。終始鬱々としていて、読後もスッキリはしなかった。母の仕事を考えると暗くなるのは当然だけど、子の方もいじめられていたり、少しおかしなところがあり(おじさんのズボンをずらすシーン)、ちょっと辛かった。
タイトルが母影ということで、母と子の繋がりが主に描かれるのかな、と思っていたが、あまりそういう感じでは無かった。
尾崎世界観さんの楽曲は本当に好きなのだが、こんなお話も書けることを知り、更に好きになった。
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尾崎世界観さんの作品は初。詩のように文を書く方なんだなあと思った。最後まで読んだが読者に何を伝えたいのかよく分からなかった。
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小学生の私が母を求めて,怪しげなマッサージの現場の隣で息を潜めカーテン越しに母の影を見ているその在り方が切ない.母子家庭の貧しさと少し知恵の回らない様子など二人の行く末を思うと暗い気持ちになった.
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どこかの町の片隅でひっそりと母娘が暮らしている日常を覗き見たような気がした。世間に蔑まされ馬鹿にされても抵抗できないのは生きるためである。いけやまよしひろのポスターが虚しく映った。
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マッサージ店を営んでいる母親。小学生の少女は、お店の片隅でお客と母親とのやり取りを聞いている。それはどこか怪しげな音なのだが、カーテン越しなので見えない。でもどこか日に日に苦しそうに見える。
芥川賞候補作。クリープハイプのボーカルとして活躍されている尾崎世界観さん。初めて作品を読みましたが、独特な世界観でした。子供から見た視界は、純粋さであるが故に大人から見たら、残酷でもあり、切ないなと思いました。
母親が営むマッサージ店は、読んでいて、どう見ても怪しげで、多分・・・なんだと思います。少女から見たら、「普通」の世界なのですが、読んでいて痛い気持ちでいっぱいでした。良いことではないこととはわかっているのにそれを言えずに心の奥にしまう少女の思い。全編にわたる少女の心理描写が丁寧であり、芸術的でもありました。
あえて、一部ひらがなに表記にしていることで、大人とは違った柔らかな雰囲気、言葉の選び方も子供らしさを表現していて、独特でした。
子供に怪しげな現場を聴かせるんじゃないよ。この文章を何回思ったことか。それを目撃したがために周りに影響するのですが、それもまた痛い気持ちになりました。
少女が、後に大人になったとき、どう思うだろうか。
怪しげなマッサージとは言いつつも、エロく表現している訳ではなく、あくまでも子供目線で見ているので、そこがまた「芸術」らしさを醸し出していました。
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第164回芥川龍之介賞候補作で、尾崎世界観さんによる純文学小説。世の中のことをあまり知らない純粋無垢な少女の視点で大人の世界が語られる。そういえば子供の頃ってこんな感じで世の中を見てたなー的な感じのことがうまいぐあいに言語化されていて、懐かしくもあり切なくもあり一気読みできた。
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『そのクツのまん中にはいつもキレイなチョウチョがいて、お母さんが歩くたびにひらひら羽が動いた。でも、チョウチョは飛ばなかった。それはきっと、ずっとお母さんのそばにいたいからだ。私はそんなチョウチョが好きだった。私も早くあのチョウチョをむすびたいんだけど、いつまでたってもできなくて悲しかった』
主人公の少女の通う学校生活から見えてくる時代とは異なり、岡林信康の「チューリップのアップリケ」が浮かんでくるような昭和の時代を思い起こさせる物語。もちろん、そんな昭和な時代の貧困や差別は、既にきれいさっぱり解消されている、と言いたい訳ではないけれど。
岡林の唄の物語がどこにも辿り着かないように、尾崎世界観の「母影」の物語も唄の歌詞のような小さな世界から出てこようとしない。それが現在進行形の物語のようにも感じられないのは、小さな世界を切り出してしまったような物語だからか。歌詞という枠の中に切り取った世界が永遠に同じことを繰り返すしかないように、尾崎の描いた世界もまたどこかひとつ所を永遠にぐるぐると回り続けていくような印象を与える。
それは、この短い物語がオープンエンドだからという訳でもなく、何かが解決する兆しが描かれていないからという訳でもなく。物語を切り取った視点が頑なにそこから動くことを拒否しているような印象なのだ。
岡林の唄を「プロテストソング」と捉えた世代は、「うち」と自分のことを呼ぶ少女の悲しさが一点から動こうとしないこと、動けないこと、に抵抗の意義を見出した。その岡林は養護学校の女生徒が書いた作文の言葉に惹かれてあの曲を書いたのだという。それをなぞった訳ではないだろうが、少女の書いた作文のような文体を借りて尾崎が描いた物語も、あるいは現代におけるプロテスト小説なのだろうか。
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なんともやるせない気持ちが残る。終始小学生女子の目線で語られているのが、余計に世の中の理不尽さ・世知辛さなどが伝わってくると思った。読んでいて、どうしても、クリープハイプの歌声が聴こえてきてしまう、、、。それにしても、才能ある人なんだなー。
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どうなんでしょう?
読むの辛くて、読んでいる最中から早く読み終わってしまいたいと思った。
かといってつまらないから途中まででもういいや、というのでもなく。どこかで救って欲しかったけど、、
描写に細かく説明が入るがあまり理解したくないからさっと読む。辛い。
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狙いだろうが、とにかく読みづらいし、物語のその先にヒカリがないのが、丸見えでイライラする。
なんのために書くのか。