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リン・マー著、藤井光訳『断絶 (エクス・リブリス)』(白水社、2021年)は中国系米国作家によるパンデミック小説。中国が発生源の未知の病「シェン熱」が世界を襲い、人々は死に至る。6歳の時に中国からアメリカに移民した女性キャンディス・チェンが主人公。
新型コロナウイルス感染症を想起させるが、コロナショック以前の2018年に刊行された。物語は、ほとんどの人々が死に絶えた状況から始まる。主人公の半生を振り返る回想と交互に物語が進む。このため、コロナを念頭にしたパンデミック物という意識で読むと前半は肩透かしになる。
新型コロナウイルスはSocial Distancingという感染対策を行えるものである。New Normalな生活様式に転換することで感染対策と経済活動を両立できる。いかに社会を崩壊させずにNew Normalを進めていくかが課題である。社会崩壊後に生き残った少数集団のサバイバルはコロナの問題意識から遠いだろう。
生存者グループには最初から胡散臭さを感じた。個人を束縛するカルト的な偏執さがある。グループ内の批判派もマリファナを吸っている点で胡散臭い(124頁)。キャンディスの最後の選択は当たり前に感じる。もっと早く行動しても良かったくらいである。このグループの物語には魅力を感じない。
むしろ、キャンディスの回想が面白い。パンデミック以前から描かれるキャンディスの半生は現代社会の生き辛さを描いており、私小説的である。現代アメリカでの生き辛さと言えば、トランプを支持した白人やBlack Lives Matter; BLMに投じるアフリカ系アメリカ人などステレオタイプな議論が出てくる。中国系を描く本書はステレオタイプな枠に当てはまらない文学である。
生き辛さの大きな要因に雇用の問題がある。ステレオタイプな議論では人件費の安い海外に工場を移転するグローバリゼーションを目の敵にする傾向がある。しかし、主人公は逆に中国企業に製本を発注する企業で職を得ている。グローバリゼーションは国内産業を空洞化するだけでなく、新たなタイプの雇用を生み出す面がある。
本書の執筆は著者が当時の勤務先でリストラ対象になったことが出発点という(343頁)。それでもステレオタイプな資本主義批判で終わらない点は作家の才能である。
取引先の中国企業の担当者が李白「静夜詩」の中国語原文と英語をメールで送付した(108頁)。「静夜詩」は学校の漢文の授業で馴染みがある。漢文で学んだ内容を中国人と中国系アメリカ人が文化交流していることは不思議な気持ちになる。中国が世界第二の経済大国となった今日、漢文の学習は過去の文化を学ぶだけでなく、現代のビジネスにも役に立つものになる。
集団労働・組織労働の中で最も下らないことは、忖度公務員的な点数稼ぎである。キャンディスも点数稼ぎを嫌悪し、軽蔑する。「ここには仕事をするためにいるのだから仕事だけをしよう」という(273頁)。点数稼ぎを仕事していることと勘違いして、社内政治に明け暮れる無能公務員的存在への痛烈な皮肉になる。
物語の中で回想として語られる「シェン熱」の拡大状況は現実のコロナ禍と重なるところが多い。ハリケーンで出社できなくなると内心ではウキウキする。「現代生活の問題は余暇が足りないことだ。そうして結局、���たちの日常を中断するには自然の力が必要になる」(234頁)。これはコロナ禍のステイホームでゆっくりできたという気持ちと重なる。
感染が拡大するとファッションが流行らなくなる。「私たちが女性を見つめるのは、着ている服を観賞するためではなく、じつは病気を抱えているのではないかと見定めるためだ」(249頁)。現実のコロナ禍でもアパレルは苦境に陥っている。ステイホームやテレワークによって外出着の必要性が低下したことが物理的要因である。加えて高級ファッションでマウントをとるよりも個人的な楽しみに価値を見出すようなマインドシフトもあるだろう。
本書では感染拡大期に「ウォール街を占拠せよ」の抗議行動が一時的に盛り上がった。現実のコロナ禍のアメリカでは警察官による市民殺害を受けてDefund the policeやBLMが盛り上がった。本書の「ウォール街を占拠せよ」は抗議運動の中から感染者が出て下火になった(252頁)。現実のDefund the policeやBLMもデモを通じての感染の危険は指摘されたものの、活発に続いている。
これは運動の性格もあるだろう。「ウォール街を占拠せよ」の矛先は抽象的な富裕層・資本家である。冷戦時代の社会主義運動への先祖帰りの要素がある。富裕層・資本家の持ち物を奪うという乱暴さがある。これに対してDefund the policeやBLMは警察組織という権力による人権侵害への抗議である。
マスク着用が推奨されるが、あまり着けていなかった。「口のところが暑くなって息が詰まるし、バクテリアの溜まり場になってしまうのが嫌だった」「ほんとうにマスクに効果があるならば、パンデミックになっていないと思いません?」(277頁)。日本ではマスクしてさえすればいいというマスク信仰が強いが、そのようなものではなく、人流を抑えることが感染対策になる。
多くの人々がニューヨークを逃げ出す中で、キャンディスは1人でオフィス勤務を続ける。オフィスビルのエレベーターの不具合に直面し、閉じ込められた(291頁)。超高層ビルの脆弱性を示す。
文明崩壊後を描く物語としては「ハンバーガー食いてえ」という台詞(140頁)に共感した。文明崩壊後に文明生活を懐かしむとしたら、私も同じように感じるだろう。ハンバーガーが文明の凄さを体現するとは思わないが、無性に食べたくなるだろう。
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リンマー「断絶」https://www.hakusuisha.co.jp/book/b558117.html よかった。中華疫病パンデミ物。パニックや暴力性は皆無でひたすら静かな白黒のイメージで、状況は哲学的ですらある。生前のルーティンを永遠に繰り返す症状も、解雇後も出社する主人公も物哀しい。NY Goastという主人公のBlogが素敵そうで見てみたい(おわり
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断絶 リン・マー著 感染症で世界が滅びても…
2021/5/8付日本経済新聞 朝刊
未知の感染症、シェン熱が猖獗(しょうけつ)をきわめていた。有効な予防法も治療薬もないまま、つぎつぎに人々は倒れ、都市機能は麻痺(まひ)、インターネットも死んでいく。主人公は、幼少時に中国からアメリカへ移民し、いまは出版製作会社で働くキャンディス。感染を免れた彼女は、廃墟(はいきょ)化したニューヨークからの脱出を決心し、8人の男女とともにシカゴ近郊の安全な〈施設〉への旅がはじまる。
この作品が発表されたのは、新型コロナ流行以前の2018年。執筆は12年から16年だという。世界の破滅という主題は、ジャンルSFでも主流文学でもこれまで何度となく扱われてきた。無秩序状態での生存努力を描く作品、人類再生への希望を謳(うた)う作品、終末の崇高美を主題とした作品……。しかし、『断絶』はどれとも違う。
シェン熱が蔓延(まんえん)する前、キャンディスは恋人のジョナサンと、仕事について議論をする。彼は対価を得るための労働ではなく、自由なやりがいに憧れている。しかし、キャンディスは、そのようなものはないと考える。ジョナサンは「きみがそんなふうに考えるのは、市場経済で生きてるからだよ」と言い、彼女が「自分はちがうとでも?」と返す。人間は社会システムに縛られているのだ。
世界が滅んでしまえば、システムから解放されるかというと、そんなことはない。シェン熱の末期に至った患者は、感染前の習慣を延々と反復するようになる。もう動かないパソコンのマウスを操作し、朽ちはてた食材が並んだカウンターで客を待ち、なにも入っていない食洗機を動かす。
感染症を免れた者も、けっして自由ではない。キャンディスたち一行は、旅の途中でしばしば一般家庭に侵入する。そのふるまいは、必要な食糧・物資の調達にとどまらず、奇怪な儀式のようである。家捜しの手順には呪術じみたルールがあり、逸脱は許されない。
キャンディスの一人称で、破滅前の人生と破滅後の生活とが平行して語り進められる。いちおう整然と章を分けているものの、現在のなかに、過去がフラッシュバックで甦(よみがえ)ることもある。この叙述によって、『断絶』は文明が崩壊した光景を描きながら、私たちがいままさに生きている現実社会の歪(ゆが)みや桎梏(しっこく)をあぶりだすのだ。
《評》文芸評論家 牧 眞司
原題=SEVERANCE
(藤井光訳、白水社・3740円)
▼著者は83年中国生まれ。幼少期に渡米し、ジャーナリスト、編集者を経て作家に。本書がデビュー作。
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中国福建省から家族でソルトレイクに移住してきたキャンディスは、ニューヨークで出版社で働いていた時にシェン熱が流行した。感染すると朽ち果てて死ぬまで一日中同じ動きを繰り返す。免疫が有ったキャンディスは生き残り彷徨っている時にボブ率いる8人のグループに出会い一緒に生活出来る''施設''を目指して旅をする事になった。
TVドラマや映画の様に感染者がゾンビ化して人間を襲うとか噛まれてゾンビになる様なホラー小説では無くて、キャンディスのニューヨーク時代の働いて家に帰ってプライベートでは彼氏が居てと何の抑揚も無い生活の描写とボブ率いるカルトチックな9人の安住の場所''施設''への移動の描写が交互に章を重ねているだけのストーリーでホラーでもミステリーでも無く何処に面白さや興味を見出せば良いのか全く分からない作品でした。もっと深読みすると物語に潜む作者の声が聞こえるのでしょうか?
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一気に読みました。
いろいろなテーマで語れそうですが、私が一番印象に残ったのは、「自由に生きるということ」についてです。
自由を求め、娘(主人公)にも自由を与えたくて、渡米した中国人の親。
都市や社会のヒエラルキーから自由になりたくて、ニューヨークから脱出する恋人。
疫病に感染し、自我を失った結果、ただただ日常動作を繰り返す人々。
疫病蔓延のため都市機能が崩壊してもなお、ニューヨークの職場に留まり仕事を続ける主人公。
ニューヨークに留まり続けた主人公が、ようやく仕事や日常から自分を解放して脱出することにした際に、いまやほとんど見つけることができなくなった疫病に感染していない人々8名のグループに拾われるところから物語ははじまり、主人公の回想の形で、いろんな束縛と生きづらさが描かれていく。
その脱出者集団にも、今までの仕事や日常とは違う束縛が生じていて、、、、
ラストは、新しい命を孕んだ身で、自らの選んだ人生へと歩んでいく主人公。
、、、現実を知る身にとっては、新しい命もまた、自由に対する大きな束縛だと思うけど(苦笑)、
それが不幸かは、別のおはなし。
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2011年、中国発の真菌感染症・シェン熱が猛威を振るい、人類は滅亡の危機に瀕していた。感染者は意識を失くし、日常の同じ動作を繰り返す。ニューヨークが無人となる中、中国からの移民であるキャンディスは変わらずオフィスに通い業務を続ける。キャンディスを通して、〈災厄〉前後の世界を交互に描いていく。細部に甘いところはあるが、コロナ禍の“流行り”ものと捉えられてしまうのはもったいない骨太な小説だ。
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ゾンビものだと期待して読んだが(ウォーキングデッドみたいな)、あまり面白くなかった。
過去を回想しながら、現状に至る過程を織り込みながら小説を展開しているが、ニューヨーク時代の主人公の心情がよく書かれていた。
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シェン熱が襲う。生き残った仲間との救済への旅のなかで、過去が淡々と語られていく。映画やドラマ、アートなどの当時のアメリカンカルチャーが多分に引用され、中国の文革や天安門事件への語り、当時の香港の様子などが物語に厚みを出す。世の中が機能停止に陥ってるなか、それでも前を向いて生きる姿に多少の希望がある。
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中国系アメリカ人の著者によるパンデミック小説。
刊行は2018年であり、作中の主な舞台は2011年のアメリカである。
中国発の感染症によるパンデミックが主題であるため、後のコロナウイルスの出現を「予言」しているようである点でも注目された。だが、どちらかといえば、本作は「ゾンビ」ものに近い印象である。ある種の終末世界を描く作品で、その点ではさほど目新しくはないとも言える。
ここにあるのは感染への不安ではない。自分がゾンビ化するかもしれないという危機感は驚くほど薄い。作品の主眼は突然の災厄に対するパニックではない。
では、本作が描こうとしているのは何なのか。
作品の根底にあるのは、私たちが基盤としている社会の「実体」に対する疑念なのかもしれない。その基盤が(ハードの面でもソフトの面でも)どれほど確固たるものなのか。それと「断絶」したときに、果たして私たちはどうするのか。
架空の熱病「シェン熱」を通してあぶりだされてくるのは、そんな問いなのではないか。
語り手は著者と同じ中国系アメリカ人女性のキャンディス。
シェン熱の流行で、社会は崩壊しつつある。感染者は、一種のゾンビ状態になり、生活習慣の1つの動作を果てしなく繰り返して最後には死に至る。ほとんど無人になった世界を、どういうわけか感染を免れた数名の男女が旅する。リーダー格のボブの発案で、彼が知る「施設」へと移動しようとしているのだ。そこへ行けば先の不安なく暮らせるはずだ。
ニューヨークのオフィスで会社の最後の業務にあたっていたキャンディスは、偶然彼らと出会い合流する。
物語は、彼らの旅と、キャンディスの回想を行き来する。
田舎から何となくニューヨークに出たキャンディスは、やりがいのない仕事にうんざりしていた。遣りたい仕事はあるが、それを必死に目指すわけでもない。
趣味で写真を撮ってブログを書いていたが、その道も本気で追求する気はない。
一方で、判を押したような都市の生活から、彼女は離れようとはしなかった。
パンデミックが広がる中、新天地を目指す恋人に誘われても断り、オフィスに通い続けた。
いよいよ「脱出」を決意したのは、契約期間が終わったため、そして職場のエレベーターが作動しなくなったためだった。
パンデミックの中の逃避行、そしてかつてのキャンディスの暮らしの中に、アメリカ文化のあれこれが描き込まれる。テレビ番組であったり、ショッピングモールであったり、映画であったり。子供の頃に移住してきたキャンディスの目を通して捉えられるそれらは、半分懐かしいものであり、半分異質なものである。そしてそれらは、世界の終わりとともに永遠に失われていく。そこに不思議な郷愁が生まれる。
1つ不満を言うならば、人が激減した世界で、おそらく台頭してくるであろう他の生き物たちの気配が本作にはない。都市に住むネズミ、飼い主をなくした犬や猫、カラス、そしてアメリカならばリスやオポッサムも。彼らはきっと積極的に生きようとする。この終末世界でもっと大きな存在であるはずだ。だが、それを描くのは著者の主題からは外れることなのだ���う。
タイトルの「断絶」(Severance)はいささか語感が掴みにくい言葉だが、分離や切断といった意味も含む。どこかスパッと断ち切られるようなイメージで、国交の断絶や解雇にも使われる。
パンデミックのために、歯が欠けるように人が脱落していき、インフラが崩れていく。それは終末世界的ディストピアなのだが、どこかユートピア感も漂う。
組み込まれた社会から解き放たれる開放感のようなもの。他人の家から物を奪いながら、見知らぬものどうしで旅をする。そうした非日常には、ちょっといけないことをしている高揚のようなものがある。漠然と多幸感すら感じさせる。
構造が壊れることに対する多幸感は、裏返せば、それだけ現実の状態に閉塞感を抱いていたことに他ならないのかもしれない。
リーダーのボブは「規則」によって、群れを支配しようとする。だが彼が固執する秩序は、滅びゆく世界を救うことはできない。むしろ、ボスとなってチームを統率しようとすることで、旧態然とした旧世界の秩序(あるいは単なるルーティン)をなぞって安心しているに過ぎないようにも見える。付き従う者たちも誰かに従うことで、旧世界の秩序に縋ろうとしているのだ。
彼らはすでにあるもので食いつなごうとしているだけで、未来を切り開いていくわけではない。
誰も、滅びる世界のその先を見ようとはしない。
物語の終盤で、キャンディスは1つの大きな決断をする。
その背中を押すのは、彼女の中に芽生えている小さな命である。そして、死に別れたはずの母の声である。
一歩を踏み出すキャンディスの行く先に希望はあるのか。
怖ろしいほどの自由。誰もいない世界。自らの中で育ち続ける命。
まばゆく白い未来に彼女は向かう。
戦慄とも激励とも祈りともつかない想いで、その後ろ姿を見送る。
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ゾンビ小説が読みたいと思って借りた本だが、自分の思っていたサバイバル描写などはほとんどなし。淡々とした小説だった。
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超面白かった〜!パンデミック後の現在とパンデミック前の時間が交互に記述される構成が物語の推進力を増幅させている。またこの物語下での時間軸の行き来は価値観の変化を伴うから、消費社会への皮肉や主人公のパーソナリティ、キャリア等々の問題を効果的に浮かび上がらせている。