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佐野洋子が亡くなってから10年経つのに、今だ新刊が出るのは嬉しい限り。
エッセイが心にしみる。
そして過去の作品もまた読み返したくなる。
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佐野洋子さんの絵本が、好きで、子どもが小さかった時には、読んで聞かせていました。
「ヨーコさんの言葉」の本も、大人の絵本と、言って良い様な本で、なにげない言葉なのに、理解できる内容でした。
さてさて、この本は、とっておき・・・と書かれているだけに、期待しながら、手に取りました。
童話———の所は、クマの横暴さ(?)にちょっと抵抗気味だけど、・・・洋子さんのお父さんのイメージだと、納得。
ショート・ストーリーは、面白いオチになっていたりして楽しかった。
洋子さんの服装遷史では、北京で、誕生されたのを知り、裕福な生活を過ごされていたのだろうと、推測される。
引き揚げからは、相当苦労されたのだと・・・
戦後は、大変だったのだと、ボール紙のランドセルなんか、想像を絶する物だった。
今ある日本の文化は、この時代生き抜いてきた人の恩恵を受けているのだと、痛感してしまった。
子供のためのお芝居は、少し退屈だった。
谷川俊太郎氏とご夫婦とは、全然知らなかった。
どちらも 才能豊かな人だから、息があったのかもしれない。
洋子さんが、亡くなられて、もう11年も過ぎていたのだと、・・・思いながらも、「100万回生きたねこ」の話を思い出していた。
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“若くてなんでも信じられた頃、やさしさは強さだと思っていた。今考えると、そう考えたわたしはやさしくないなあと思う。「やさしさ」という言葉は、「愛」と同じようにきらい。”(p.215)
“低気圧から回復すれば私はただの性悪女である。”(p.226)
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『北京の冬は寒くて、支那人が着るわたいれのズボンをはいて、わた入れの手作りの靴をはいていた』―『3才 昭和16年(1941年)』
佐野洋子は丸裸の人。忖度(という言葉が今のように悪い文脈でばかり使われるようになる以前のニュアンスで読んでもらいたし)など一切なし。もちろん、口を噤むことだってあるにはあるけれど、噤んでいる口元から言いたいことが漏れてしまうような人。没後十年経っても再版ではない書籍が出版されるのは、あとがきに記されたような言葉の仕事に対する執着の無さが理由の一つともなっているのだろうけれど、何より佐野洋子の言葉を聴きたい読者が大勢いるということを証明しているに違いない。
もちろん、佐野洋子といえば絵本作家なのであろうけれど、安野光雅がそうであったように、絵で物語を紡ぐ人はものごとの外側のふわふわとした部分を取り払った内側にある動かない芯の部分をぐいとつかみ取るのに長けている。そんな空恐ろしいお見通し光線を他人ばかり自分自身にも平気で向ける。その気風の良さに惹かれる。それを「大陸的だな」と言葉にしてみたりするのは古臭い価値観だろうけれど、妙に言い当てたような気にもなる。
本書の中では岸田今日子のために書いた脚本など、今まで読んだことの無い佐野洋子も披露されているが、秀逸なのはやはり自身の服装史を描いたシリーズだ。幼少の頃からの服装の変遷をやや自虐的なイラストと短い手書きの文章にまとめたものからは、佐野洋子のおおらかさとセンスの良さがにじみ出ている。こういうのを本当の意味で洒落ている、と言うのだと思う。
詩人との関係性を想像させる二つの作品は、少しだけ意外で、少しだけ想像通り。他人の恋愛には首を突っ込むものじゃなし、と改めて思ったり。でも、自分の中から言葉が溢れて出て来る訳ではない、という詩人というのも、何だか寂しい。二十億光年の孤独を託っていたのはむしろ佐野洋子の方だったのか。
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佐野洋子の単行本未収録作品。童話、エッセイ、ショートショート、日記などなど。まだこれからも未収録作品が発見されるかもとのこと。楽しみ、楽しみ。