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2021/04/18 18:30
投稿元:
ティーチングではなくコーチング、技術取得のための考え方を伝えることに注がれている。魂のこもった、まさに教科書。
ライターに限らず、あらゆる職種に活かせる内容だと思う。
2021/05/01 14:12
投稿元:
あとがきまで含めると476ページ。本としては厚い部類に入るのでしょう。
通勤中などに読もうと持ち運ぶには、ちょっと気合いが必要かも知れません。
それでも、
本書は電子版でなく、ぜひ本の形で手に取って読むことをお勧めしたいと思います。
この本を手に取り、その質感や重さも感じながら読み終わるまで没入すること。本書の表現を借りるなら、それは他には変え難い、本を読むことでしか得られない体験でした。
望む望まないに関わらず「無駄な労力をかけずに、素早く情報を入手することが素晴らしい」という価値観に晒されてしまう世の中において「本という形で文章を読む」ということの意味を改めて教えられました。
ただの文章本としてだけでなく、仕事や人生、自分を取り巻くあらゆるものに対する見方や価値観にも影響を与えてくれる一冊です。
2023/01/11 21:13
投稿元:
メモ→ https://twitter.com/nobushiromasaki/status/1613146506927931393?s=46&t=DtLmtx4u4aHdgICmpKp_oQ
2021/04/12 07:48
投稿元:
事例やケース教材を作成するにあたって、ぼんやりと考えてきたこと、疑問に思ってきたことが、明解に示されていて、まさに「教科書」と言える本です。
たまたま立ち寄った書店で平積みになっており、目次や本文の拾い読みだけでも、ものすごく身に沁みるキーワードがゴロゴロ。。。購入即決して大正解でした。
取材・執筆・推敲の3部にわたって、「書く」ための技術や方法が紹介されているのですが、小手先の技や、借り物の理屈はほぼゼロ。著者の取り組み姿勢や考え方から学べることが多く、アウトプットが文章でなくとも参考になる内容です。
特に刺さった内容をメモ。
取材:
・優れた書き手は良き観察者である
・技術に関係なく、ただただ「雑に書かれた文章」はすべて悪文
・良い取材者であるためには、自分を変え、更新していく勇気を持つこと。取材した内容を他人ごとにしないこと。
・わかりにくい文章は、書き手がわかっていない文章
・前取材・本取材・後取材
執筆:
・納得感のある文章には、前提として「課題共有」が必要
・構成では、シークエンスとシーンを意識する
・読書体験を設計する
・借り物、物真似をしない「透明」な文体を目指す
推敲:
・推敲の本質は「自分への取材」:なぜ、こう書いたのか?他の表現はないか?
・目指すのは、語彙や表現、展開が「ゆたかな文章」
全476ページの読後、たった4文字の「ライター」の肩書きが、これほど誇らしげに見えたことはなかったです。
2021/06/12 19:04
投稿元:
プロのライターになる為に必要となる、取材、執筆、推敲について体系化された教科書本。この年から自分がライターになる事はまずないと思うが、興味を感じたので読んでみた。結果、ライターとはこれ程大変な仕事なのかと肌で感じる事が出来た。
特に推敲については、ここまでやるか?と言うぐらい幾度と無い手直しが求められており、どの分野であってもプロとして生きて行く事の大変さを改めて認識させられた。この本で学んだ厳しさを自分の専門分野でも反映して、更に良い仕事が出来るよう取り入れて行きたい。
2021/04/25 21:16
投稿元:
ライターとな何なのか、その神髄はどこにあるのか。
単に文章を上手く書くためのノウハウではなく、モノづくりをお仕事とする人々に向けて、著者がどんなマインドを大切にしてライター業を営んでいるのかを推敲を重ねて書き上げた本になっています。
p.167
ぼくは、文章の書き方を学ぶことは、ひとえに「翻訳のしかた」を学ぶことだと思っている。われわれはみな、自分自身の翻訳者でなければならない。そしてライターはみな、「取材したこと」の翻訳者でなければならない。
すべての文章は翻訳の産物であり、すぐれた書き手はみな、すぐれた翻訳者なのである。
→ IT技術の参考書で読んでいてワクワクするものに滅多にお目にかかれないのは技術がつまらないのでも、著者の技術への踏み込みが足りない訳でもない、著者の翻訳能力や技術を分かりやすく翻訳する努力が他のジャンルの本よりも不足してるんだなと理解できました。翻訳能力を日々向上させることで、どんどんと読み進めたくなる技術書を書きたいです。
p.111
本やネット記事を読んでいるとき、広告に触れたとき、誰かの話を聴いているとき。もはや習慣のように、投げかけるべき質問を考えている。
どうやって質問を考えているのか?どうすれば質問が浮かぶのか?
ぼくの答えは、接続詞である。
→ たしかに、『「ついやってしまう」体験のつくりかた』で著者の玉樹さんも聴衆の注目を集めるには「疑問のなげかけ」や「接続詞で次につなげる」ことが大切と言ってましたね。今日の打ち合わせに使わせていただきます。
2021/08/06 20:52
投稿元:
<目次>
ガイダンス~ライターとはなにか
取材 第1章 すべては「読む」から始まる
第2章 なにを訊き、どう聴くのか
第3章 調べること、考えること
執筆 第4章 文章の基本構造
第5章 構成をどう考えるか
第6章 原稿のスタイルを知る
第7章 原稿をつくる
推敲 第8章 推敲という名の取材
第9章 原稿を「書き上げる」ために
<内容>
ライターをまじめに突き詰め、そこで生きていくために必要なものを網羅した本。著者が言うように、「ライターの教科書」である。安直に「ライター」と名乗り、ただただ世間に迎合したり、独りよがりになっていたり、テングにならないよう、真摯な姿勢で取り組むべきことが書かれている。分厚いが、さすが「ライター」、読みやすいし、頭に入る。
2021/04/14 15:33
投稿元:
人生を変えた本を答えるとき、多くの人が若いときに読んだ本を挙げた理由は、人生を変える心構えができていたから。若いうちにたくさん本を読んでいたい。そして、自分が変わる勇気を常に持ち続けたい
2021/04/23 22:59
投稿元:
【感想】
圧倒的な情報量。経験と理論に裏打ちされたノウハウの数々。どのページを読んでも納得感しか生まれない卓越した文章構成。
「100年後にも残る『文章本の決定版』を作りました」と帯に書いてあるが、それは決して過言ではない。
ライターとは何を行う人間か。編集者として、そしてコンテンツのクリエイターとして、いかに文章と相対するか。その心構えの数々は、間違いなく全ての書き手と読み手に通ずる「教科書」と呼べるものであった。
────────────────────────
私も本書に倣って、「何故書かなかったか?」の部分に目を向けさせていただきたい。恐れながらも、古賀氏の本に口を挟むことをお許し願いたい。
それは、「筆者はなぜテクニカルな話を控え、心構えに注力したか?」ということである。
この答えは、筆者が「文章力という概念に答えは無い」と感じているからではないだろうか。
文章にはTPOがある。
ニュース番組でアナウンサーがくだけた口調でしゃべっていれば非難を受けるが、親しい友達とのおしゃべりで原稿を朗読する話し方をしていては気持ちが悪い。
「書き言葉」にもこれと同じことが言える。まるい文、カクカクした文、古風な文、現代風な文、話し言葉を起こした文。それぞれの文章には書かれるべき適切な場があり、文章技術もその場に合わせてチューンナップされるべきである。
とある文章に理想形を定めて、それを「目指すべき文体」として紹介するのは不可能なのだ。
筆者は昔から、この原理を熟知していた。
古賀氏の文章読本の代表作、「20歳の自分に受けさせたい文章講義」では、いい文体を「リズム」のある文体と称し、いい書き方を「読者の椅子に座れている」書き方と称した。
その本から本書まで一貫して重視されているのは、「書き手の存在」ではなく「読み手の存在」である。
紙の向こう側にいる読者に対して、どこまで真剣にエンターテインを提供できるか。書き手が抱いた強い感情を、いかに読み手との間に橋渡しできるか。
こうした「読者へのサービス」に真摯たりえない者が、いくらライティング技法を高めたところで効果は無い。「美辞麗句」から「読まれるべき文章」へと変貌することはない。
文が読みやすければ人は読む。しかし、読みやすいだけでは心には残らない。
そして、読みやすい文章の書き方を教える本は、世の中にごまんと溢れている。恐らくこの本を手に取った人も、基礎的なライティングスキルは身につけている。
では次に何を「書く人」に教えるべきか?
それは、コンテンツに「魂」を入れる方法だ。
読みやすい文章を「読んでよかった」と思える文章に変えるための心構えだ。
「読んでよかった」と思われる文章には、技術を超えた先にマグマのような熱意を宿しているのだ。
心構えに注力するこの本を手に取り、「教科書的な内容ではなかった」と落胆する人もいるだろう。いわゆる作文技術といった要素が盛り込まれていない。それどころか、説明しているのはインタビュアーや編集者といった特定の仕事に関するノウハウばかりであり、これではとうてい「全ての物書きへの教科書」にはなり得ないという指摘もあると思う。
しかし、それは、勘違いしている。
本書は決して取材の現場だけに当てはまる技術を論じているのではない。わたしたち一人ひとりが、一冊の本・一つの情報と触れ合うために必要な技術をも説いているのだ。
文を書く人は必ず「何か」を残したいと考えている。頭の中にあるマグマのような感情を見てほしい。誰かに共感してもらいたい。自分の紡ぐ言葉で世界を変えてやりたい。
だからみんな夢中になって文を書き続けるのだ。
全ての文を書く人――ブロガー、ライター、インフルエンサー、コラムニスト、エッセイスト、小説家――。みんな、誰かを楽しませるコンテンツを作りたいと思っている。壁打ちのように自分にだけ跳ね返ってくるコンテンツではなく、その先にいる「相手」を動かしてやりたいと考えている。
だとすれば、読者を楽しませることに全力を尽くすこの本を、「一部の物書きのためにしか役に立たない」とみなせるだろうか。
「私は誰からも読まれることを想定していないから、コンテンツを作り出す心構えなど不要だ」と本書を断ち捨てられるだろうか。
「このような本より、ライティングの技術のほうが大切だ」と言い切れるだろうか。
そのように考える人は、決していないだろう。
自分の文章を読むのは、いつだって相手だ。相手のことを楽しませようとして書かれた文章は、きれいで穴のない文章よりも数段優る。
この本は、間違いなく「すべての書く人への教科書」なのだ。
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【本書の概要】
ライターは、書く人である以前に「コンテンツをつくる人」である。
原稿を編集するのは、あくまでもライターの仕事である。
では、ライターと二人三脚をする編集者の仕事とはなんだろうか?
それは、「コンテンツのパッケージ」をつくる人だ。
ライターは編集者とともにコンテンツを作る。ここでのコンテンツの意味とは、「お客さんを楽しませるもの」である。
読者はコンテンツに、ただの情報を求めているのではない。
続きを読まずにはいられない、あの興奮。寝食を忘れて読破した後の、圧倒的な爽快感。「読書体験」としか言い表せない何かを求め、読者はコンテンツを読んでいるのだ。
そのため、本書は文章ではなく「原稿」を対象に扱う。読者のエンターテインにつながる、「コンテンツとしての」原稿の作り方だ。
文章表現レベルの「テクニック」については多くを語らない。文章の書き方は、掲載メディアごとに適するスタイルが変わり、好まれる文体も想定する読者によって異なる。
文章の書き方よりも、まずはコンテンツの構成方法を知ることだ。原稿をさらに上の段階に押し上げ、読者を興奮へといざなうコンテンツの作り方を、この本で語ってゆく。
【本書の詳細】
1 「編集者の編集」と「ライターの編集」
編集者はコンテンツのパッケージを編集する人である。
コンテンツのパッケージとは、簡単���言えば、「人」「テーマ」「スタイル」だ。
人:誰が語るか。ただの語り手を探すのではなく、「それを語るに足る必然性と説得力」の持ち主を探してくる。
テーマ:何を語るか。「人」に一番合ったテーマを探し出し、最大限の魅力を伝える。
スタイル:どう語るか。「誰に向けて語るのか」「顧客はどこにいるのか」を考え、それに合った文体を構築する。
この3つを組み合わせてパッケージを構築していくのが「編集者の編集」である。
では、「ライターの編集」とはなんだろうか?
それは、記事の構成を練ることである。自分の文章を通じて読者にエンターテインを提供するのがライターの仕事であり、そのために面白いと思える記事を作る。
では、面白い記事とはどのような記事か。それは、「情報の希少性」「課題の鏡面性」「構造の頑強性」の3つがそろった記事である。
「情報の希少性」:ここでしか読めない未知の情報が含まれていること。
「課題の鏡面性」:未知の情報でありながらも、読者にとってテーマが自分ごとのように感じられること。
「構造の頑強性」:論理構成がきちんとしているかということ。
ライターは何も持ち合わせていない、からっぽの存在だ。著名な人、凄い経歴を持つ人の話を聞いてコンテンツを作ることでしか、ライターは成り立たない。では、ライターは実際には何を書いているのか?それは、取材を受けてくれた人への返事である。「わたしはこう思いました」「わたしはこの部分に、こころを動かされました」。その返事としてのコンテンツを作るのがライターである。
2 能動的な読書
本書における取材の定義は、インタビューにかぎらない。誰かの話を聞くことはもちろん、本を読むことも、映画を観ることも、街を歩くことも、電車の車内アナウンスに耳を傾け、中吊り広告を眺めることも、すべてが取材である。
取材者は、一冊の本を読むように「世のなか」を読み、その流れを読まなければならない。科学的、数学的、客観的な正解を求めて「解く」のではない。あくまでも取材者個人の主観で世界を「読む」。ひたすら読む。
鍛えるべきはまず「読む力」である。「書く力」ではない。
具体的には、「能動的に読む」ことをする。
能動的に読むとは、情報をジャッジすることだ。対象をじっくりと観察し、観察によって得られた情報から「推論」を重ね、自分なりの「仮説」を立てるところまで、考えを進めることである。
●能動的な読書の仕方
①この人にあったら何を聞くかを考えながら読む
②「なぜこう書かなかったのか?」を考えて読む
③第三者にどう紹介するかを考えながら読む
④主人公を入れ替えて読む
読書において大切なのは多読ではなく乱読だ。目的を持たないまま、自分の守備範囲から遠く離れた本をたくさん読んでみる。
いい取材者であるためには、自分を守らず、対象に染まり、何度でも自分を更新していく勇気を持つことが必要である。人生を送れば送るほど、変わるのを恐れ、楽な本にしか手が伸びなくなる。妥当な意見にしか目をくれなくなる。
年を取っても、新しい理論や考えに感動できる感性を持つことが大切だ。そのためにも、情報を情報のまま処理せず、「考え」まで昇華できるよう能動的な読書に取り組もう。
3 取材について
取材とは就職面接と似ている。どれだけ取材慣れしている人でも、取材という空間で「まったくのいつもどおり」で居られる人などいない。面接試験のように、いいことを言おう、失言しないようにしようと思ってしまう。
それが語り手側の心境だ。場の空気を作るのはいつも「聞き手」である。
では、どうすればよい聞き手になれるだろうか?
よいインタビュアーは、「聴く」ことが7割、「訊く」ことが3割だ。相手の話をながらで聞くのではなく、心を相手のほうに向けるのが「聴く」姿勢だ。
とはいっても、「傾聴しなさい」といってすぐできるわけではない。
次のようなコツを意識するといいだろう。
まず、どうすれば自分が相手の話に身を乗り出して「聴く」姿勢になれるかを考えよう。それは、
①相手の話が面白い
②相手のことが大好きである
③自分にとって、ものすごく大切な話をしている
このうちの2つ以上を満たしているときではないだろうか。
このうち、①の「相手の話が面白い」は、こちらではコントロールできない。
一方、②と③は自分次第でどうにでもコントロールできる。
だから、取材前には相手のことを入念に下調べする。相手を「好き」になる手がかりをつかむために、徹底的に調査する。そうして、いいところを思いっきり膨らませて「好き」を育てていく。そうすれば、自然と「聴く」姿勢が作られていくのだ。
下調べができない相手には、「こんな人だろうな」と想像する。
●取材中の脱線はOK
インタビュアーはどうしても語ってほしいテーマを持っている。しかし、取材はときとして思うようにいかず、何度も脱線を繰り返す。インタビュアーはときにこれをコントロールし、何とか自分の台本通りのテーマを話してほしいと工作する。
しかし、操られたインタビューに面白いものは生まれない。
話は脱線していいのだ。
インタビュアーはそのジャンルに対しては知識の浅い旅行者である。そんな素人が建てたプランをなぞるだけでは、ありきたりな受け答えにしかならない。
「話に夢中になるうちに、気づいたらこんなところまできてしまった」。お互いがそう思える取材が、最高の取材なのだ。
●相手を評価しない
就職面接のときに緊張する理由は、「相手から評価されている」からだ。評価とは上の立場から下の立場の相手を測ることである。そんな中で行われた取材では、相手の価値、能力、職業観、人生観を見ようとせず、ただ「記事に使える/使えない」の基準しか考えなくなってしまう。
相手を評価するのをやめよう。
●「訊くこと」について
取材において大切なのは、「訊くべきこと」と「訊きたいこと」の両方を持ち、あらかじめそれぞれを切り分けておくことだ。「訊くべきこと」を訊かなければコンテンツが成立せず、「訊きたいこと」を持っていなければ取材が面白くならない。
取材のなかで「訊くべきこと」を見極め、その流れや優先順位を整理する能力は、プロとして絶���に必要だ。しかし「何を訊くべきか」だけを意識していては、ライターとしてどこかで天井にぶつかる。悪い意味で過不足のない、つまりはおもしろみのないコンテンツしか作れなくなってしまう。
だから自身の「訊きたいこと」が必要なのだ。
注意すべきは、インタビュアーは「本音」が訊きたいのであって、「秘密」を訊きたいわけでは無いということだ。本音とはプライバシーにかかわるものでなければ、変な質問によってあぶり出すものでもない。リラックスした会話のなかでふと零れ落ちるのが「本音」であり、ライターはそれを「拾う」役割であるはずだ。
●相手に上手く質問するためには?
どんなときに、どんな質問をすればいいかなんて、考えたところでわかるわけではないし、パターン化もできない。
ただし、会話の流れをスムーズにする質問はできる。
相手が発した言葉に対して、冒頭に「つまり」を置きながら聞き返してみる。
たとえば、友人が仕事の愚痴をこぼしている場面。それを聴き、返すことばの冒頭に「つまり」を置いてみる。すると「つまり、○○ということ?」「つまり、お前は○○がしたいの?」などの質問が浮かんでくるだろう。愚痴に共感してみせるでもなく、意見したり、説教したりするでもなく、純粋に相手の思いを訊き出す質問になる。
実際の取材においては、要約や決めつけのニュアンスが混じる「つまり」よりも、「ということは」を考えるほうがいいだろう。相手の話を受けて、瞬時に「ということは」に続く問いを考える。
「ということは、○○でもあるわけですか?」「ということは、今後○○をめざしていくのですか?」
自分のなかに接続語(主に接続詞)のストックをたくさん持ち、それぞれに続く問いを考え、瞬時に言語化できる訓練を重ねていこう。
●驚きを取材に入れろ
どんでん返しに代表される「驚き」は、エンターテインメントの基本条件だ。
原稿(コンテンツ)が面白くなるカギは、「自分の心がどれだけ動いたか」にかかっている。
何を聴いても「へぇー」で終わる人は、与えられることに慣れすぎている。取材者は相手に対してもっと自分の意思を持ち、仮説を持って質問を投げかけることが必要だ。そうすれば、どのような質問が帰って来ても、仮説とのギャップにより「そうだったのか!」と驚きが生まれる。驚きが生まれれば、相手の話を身を乗り出して訊くようになる。
4 調べること、考えること
●自分のあたまとことばで考えろ
前取材(下調べ)と本取材の後には、後取材が待っている。後取材とはインタビューが終わったあとにやる作業だが、ここでは「わからないことを洗い出す」作業をしている。
ライターは「自分が理解できていない」文章を書いてはいけない。書いたとして、その文章はとても分かりにくい、伝わらない文章になる。書き手自身が何を書いているのか分からないからだ。
「わかりやすい文章」とは「レベルを落として書かれた文章」を指すのではない。
書き手自身が、わかっている。対象をわかったうえで、書いている。対象をとらえるレンズに、いっさいの曇りがない。「わかりやすい文章」とは、「曇��のない文章」のことなのだ。
そして、「わかっている」というのは、ただ知識として自分の頭の中に蓄えられている、というわけではない。それはインプットしただけ、ただ知っているだけだ。
分かるというのは、「自分の頭で考えたかどうか」だ。
では、自分の頭で考えるとはなにか?
それは、「自分のことば」で考えることである。
誰かから「イノベーションとはなにか?」と聞かれたとする。それに「技術革新だ」と答えても、それは他人の言葉だ。自分の考えがひとつも含まれていない借り物の言葉だ。
他方、イノベーションについて考えに考えて、「イノベーションとは『と金』の創出である」、と自分の頭のなかで結論に至ったとする。それは正真正銘自分の言葉である。
「と金」が正解とは限らない。技術革新のほうが正しいのかもしれない。しかし、それでも自分の頭を使って考えた言葉だ。
取材とは、そうした作業の繰り返しだ。仕入れたさまざまな情報を、自分のあたま(ことば)で考え尽くすことだ。
自分のことばで書くにあたっては、多くの本を読み、たくさんの資料にあたるのがよい。そうすれば、「これは他の本にも書かれている」「これはこういう意味を言わんとしている」といった世界が、どんどん広くなっていく。使えることばが多様性を生み、ことばが自由になってゆく。
●後取材
取材のなかで「わたし」はなにを感じ、なにを思い、そこからなにを考えたのか。なにをおもしろいと思い、なにをノイズだと判断したのか。本を読むとき、人によって付箋を貼る場所が違うように、主体としての「わたし」が違えば、つくられる原稿の姿も変わってくるのである。
だから、取材が終わったら、まずは自分に問いかけなければならない。「今回の取材、自分はどう思って、どう感じたのか?」と。
そして、取材を終えたあなたは、「誰かに伝えたい!」という思いを持っていると思う。
対象についてなにも知らなかった自分が、そこに飛びつき、「伝えたい!」と思うまでに至った、理解と感情のステップを、後取材で追想していく。
具体的には、次の4項目だ。
「面白そう!」=動機
「知らなかった!」=驚き(知らなかったことを知ったときの感情の振れ幅を、忘れないようにしよう)
「わかった!」=理解(自分なりの理解にいたった道筋を丹念にたどり、そのロジックを再現する。そうすれば、何も知らない読者もついてきてくれる)
「もったいない!」=衝動(何故これが世に知られていないのか?知らせたい!)
動機、驚き、理解、衝動の4つの全てを読者と共有できたとき、そのコンテンツは抜群に面白くなる。
5 執筆
ライターの機能とは、「録音機」「拡声器」「翻訳機」だ。
1 録音機…記録のためというよりも、伝達のために文字情報を残す
2 拡声器…ある人の言葉を「より遠くに」届け、かつ「できるだけそのままの声を」届ける。
3 翻訳機…誰かの言った言葉を、書き言葉に変換して届ける。感情の震えや揺れを言葉にすることも含まれる。
感情の揺れ、震えを、ことばにする(翻訳する)ことを、習慣化したほうがい���。それは自分という人間を知ることでもあり、ことばの有限性を知ることでもあり、翻訳機としての能力を高めていく格闘でもある。
●論理的な文章を執筆することについて
そもそも論理的な文章とはなにか?それは、みずからの主観に基づく論が、なんらかの客観(理)によって裏打ちされることである。
そのためには、主張―理由―事実の3層構造が必要だ。
ただし、事実のところを字面通り「データ・数字」と考える必要はない。
主張と理由を支える論拠は、データや数値でなくともかまわない。「実例」や「類例」――見事なたとえ――を論拠とすることによっても、論理性は担保される。
ただし、論理的な文章を書くときに注意しておくべきことがある。それは、論理的な文章はときとして息苦しい読み物になるということだ。
「説得」と「納得」の違いを考えてみて欲しい。
説得力のある文章は、主に「有無を言わさぬ論理」を武器にして、読者を説き伏せんとする。当然、読者は反発する。ここでの読者は、書き手の主張に反発しているのではない。論理の力を使って強引に押し切ろうとする態度に、反発しているのである。
読者に必要なのは、説得という「受動」ではなく、納得という「能動」である。
では、どうすれば納得してもらえるのか?それは、「課題の共有」である。これから論じるテーマが、読者にとっても無関係ではない、切実な課題だと感じ取ってもらうこと。それができてようやく、納得の下地は整うのだ。
●起転承結
「起転承結」とは筆者が考え出した文章構造であり、どんでん返し的なおもしろさはあるが主語と述語が遠くて非論理的な「起承転結」と、論理的だが納得感の薄い(説得感の強い)「序本論」のいいとこ取りをした形である。
・起 一般に、文章は「起承転結」の型に沿って書きなさいと言われる。
・転 しかし、それでは論理的な文章など書けない。
・承 なぜなら「起承転結」は○○で△△だからである。
・結 論理的文章を書きたければ、「起承転結」とは別の形式を選ぶべきである。
転は、世界で常識とされていること(起)をいきなりひっくり返すことだ。唐突にぶちこわされた読者は、「なぜだ?」「何を言っているか説明してみろ」と感じる。課題がここで、共有されるのだ。
それを、前半に持ってくるほうがよい。従来の起承転結では、「転」の部分までの前フリが長すぎて読者が離れてしまう。せっかく掴んだ読者の気持ちを冷めさせないためにも、どんでん返しを先に提示するのがよい。」
6 構成
文章は、安易に書きはじめるのではなく、何かしらの設計図を引いたうえで書いた方がいい。
そのためにはまず、「何を書かないか」を考える。
何を残し、何を残さないか。それを知るためには、絵本を教材にして構成を学ぶ。
絵本とは、ストーリーを最小限の絵でしか表さないコンテンツだ。絵本を学べば、「どれが重要でどれを捨てるべきか」という、文章の屋台骨を捉える訓練になる。
●絵本思考
「桃太郎を10枚の絵で表現する」。
どうすれば、構造をきちんと保ったまま、少ない情報量で物語��伝えることができるだろうか?
①「構造の頑強性」を考える
まず、桃太郎のお話をシークエンス単位で区切る。
A おじいさんとおばあさん
B 桃太郎の誕生と成長
C 鬼退治への出立と家来たち
D 鬼が島への旅
E 鬼が島での合戦
F 凱旋と再会
このうち、構造の頑強性を保つためには、各シークエンスから最低1枚の絵をピックアップしなければならない。でないと、話が飛躍する。
②情報の希少性を考える
桃太郎の、「他の昔ばなしとは違うところ」を考える。すると、
・桃
・きびだんご
・家来になる動物たち
・鬼が島
この4点が挙げられるため、これらはマストピックとなる。
これは自分でコンテンツを作るときも同じであり、「ここでしか読めないものがあるか?」の目でストーリーを見返してみるのがいい。
③課題の鏡面性を考える
「課題の鏡面性」とは、読者がコンテンツを自分事のように考え、感情移入すること。
桃太郎で言えば、読者がもっとも興奮するシーンは、やはり鬼退治だろう。とすると鬼退治のアクションシーンは外せず、そのための鬼の恐ろしさの描写も必要だ。
また、桃太郎には「勧善懲悪」と、「育ててくれた恩に報いるべく、武勲を得ようと自立する」というテーマが横たわっている。時代を超えて受け継がれるようなテーマだ。ここを活かすためにも、「桃太郎の出発時の決意」と、「おじいさん、おばあさんとの再会」は欠かせないだろう。
このようにして、設計図づくりの練習をしていく。
7 出版物を作るときには
●いかにして体験をつくるか?
本は読むのに時間がかかるからこそ、ウェブメディアには無い「体験」を作ることができる。そして、ほとんどの本は体験を楽しむための「設計図作り」ができていない。
エンターテインに富んだ設計図を作るには、「百貨店の設計」をイメージするのがよい。
●百貨店の構造
1階…化粧品売り場
百貨店の1階は化粧品売り場だが、なにもハイブランドの装飾品や化粧品という「商品」だけを売っているわけではない。商品よりもむしろ、「日常から隔絶された異世界」という体験を売っているのだ。
これを本でも取り入れる。
まず一章には世界観の提示を盛り込んでいく。入り口からいきなり「すごい世界だ」というメインディッシュを持ってくるのが望ましい。
2階…レディースフロア
導入で提示したテーマや世界観を、より具体的に、よりおもしろく展開していく、その本の中核となるフロアだ。まだまだメインディッシュは続く。もったいぶってはいけない。
3階…カジュアル・ユニセックスフロア
1階、2階よりも「手に取りやすい」話を提供する。
1章、2章と続いてきた本のメインテーマが、ここで読者と接続され、「わたし(読者自身)の話」になる。課題が共有され、より読書がおもしろくなっていく。
4階…メンズフロア
新章に突入する。視点を変えた第2部の始まりである。
5階…インテリアと専門店フロア
本を作っていて、どうしても入れなければならない専門的な話題を���う部分。エビデンスとなるデータ、高度な応用などが紹介されている。読み飛ばされることを覚悟して配置しよう。
6階…レストランフロア
これまでの時間を振り返り、いままでのストーリーをゆっくりと反芻するパートだ。第1章から第5章までの議論を踏まえてこそ語ることのできる、もう一段上の議論に踏み込んでいくのが、あるべき最終章の姿だ。
あとがき…屋上
読者に新しい景色を見せる場所。
●インタビュー原稿のゴールは?
インタビュー原稿の目的を、「インタビュイーが言いたいことを引き出し、読者に提示する」と思っている取材者が多いが、これは間違い。
本当のゴールは、「その人のファンになってもらうこと」だ。
読み終えたあと、なんらかの情報や知識を得るだけではなく、その人のことを好きになってもらうこと。「言っていることの正しさ」に同意するというよりも、「人としての在り方」に親しみや好感を持ってもらうこと。それがインタビューする側の責務である。
●インタビューに望むとき
「訊くべきこと」と「訊きたいこと」の両方を持って取材に臨むこと。決して誘導尋問のようにならないよう気をつけること。
話が脱線するのは大歓迎だが、脱線した話を本線につなぐポイントを考え抜くことも大切だ。
●対談とインタビューの違い
対談は、交換と化学反応を期待されている。インタビューよりも未知数、なにが起こるかわからない場である。その「分からなさ」の中で起こる化学反応を期待されているのだ。
対談者二人の関係性を明示し、対立点と一致点を明確にすること。相手の何に同意し、何を意外そうに受け止めたのかに着目しよう。
●コラムとエッセイ
コラムは「巻き込み型」の文章であり。持論の展開と論理性が鍵である。
エッセイは「巻き込まれ型」の文章だ。日常の些細な変化に巻き込まれ、そこから生まれる内面の変化を書いたものである。
エッセイは感覚的文章であり、対象への観察眼と描写力が必要になる。
8 原稿の文章表現
原稿は、読者のエンターテインを誘うものであるべきだ。端的に言えば、面白くなければいけない。
では、原稿のエンターテインを生み出すのはどのような文章なのか?何を重視して文章を書けばいいのだろうか?
筆者の答えは、文章の「リズム」と「レトリック」、それに「ストーリー」である。
●リズム
書いた文章を音読し、自分が気持ちいいと思うまで繰り返し確認する。
また、自分が気持ちいいと感じる文章を筆写する。
よく誤解されるところだが、いくら名文を書き写したところで、筆力は向上しない。表現力が上がるわけでは、まったくない。しかし、書き写すことで、読点の位置に驚いたり、語尾や文末表現の豊かさに驚くだろう。そうした「自分とはまったく異なるリズム」を発見し、自分の癖やリズムを再確認することが、筆写の効果だ。
文章をずっとandで繋いでいては面白い文にはならない。そこでは主観=わたしの気持ちだけしか伝えない独りよがりのものになるからだ。自分の語りたいことを、ふたつのB(but,because:しかし、なぜなら)を使って語れるようになろ���。
視覚的読みやすさを重視する。句読点の打ち方、改行のタイミング、漢字とひらがな・カタカナのバランスを整える。
●レトリック
比喩を使う上で大切な条件は次の通り。
①具体的・映像的であること。曖昧な比喩ではなく、より具体的に描写する。
②普遍的・一般的であること。具体的であっても、局所的・限定的ではいけない。みずからの技巧に酔うのではなく、「読者にも見えるわかりやすい比喩」を意識する。
③遠距離であること。たとえば「天使のやさしさ」は、比喩としては稚拙すぎる。これが面白くないのは、「天使」と「やさしさ」が近すぎるせいだ。それよりも、「悪魔のやさしさ」のほうが面白い。意外なふたつの類似性を提示できれば、比喩はぐっと面白くなる。
また、比喩と同様に大切なのが、類似を見て取る力だ。「〇〇のような」よりも大きな単位のたとえ話を作る力が、文章に納得感を生む。
●ストーリー
論文のストーリーは小説のストーリーと違って、時間軸を持ち込んではいけない。
では、論文は「時間の流れ」無しにどう展開していけばいいのか?
時間の流れの代わりに、「論の流れ」を描くのだ。
「説明」や「描写」に傾き過ぎて、論の流れを止めてはいけない。次のシーン、またその次のシーンへと、常に論を、エピソードを、そして読者の思考を展開させ続けてこそ、文章にストーリーが生まれる。
では、どのようにして論を展開すれば、より魅力的なストーリーラインが生まれるか。
それは、「なるべく遠いところから始める」、つまり「導入から結末まで距離を置く」ことにある。
距離の遠いところから始めることで、意外性が生まれる。読者に見える景色の量が増え、ストーリーが躍動していく。
「どうすれば面白いストーリーになるか?」という「起伏」を意識するのではなく、「どのぐらい離れればいいか?」という距離を意識して執筆しよう。
9 推敲
推敲とは、自分への取材である。
このときあなたは、なぜこう考えたのか。もっと別の話をするべきではないのか。言い換えれば、推敲の段階でライターは、取材から翻訳までの流れを、自分自身に対して行っていく。自分で書いた原稿に対して、赤の他人のように容赦なくダメ出しして、ハサミを入れていく。一晩寝かせて読んでみる。
推敲のための3ステップ
1 音読
2 異読(縦書きを横書きに、明朝体をゴシック体に変えて読み直す)
3 ペン読(朱入れ)
●論理矛盾を見抜くために
文章における論理は、まさにコンテンツの骨格である。
骨格が破綻をきたしているかをチェックするためには、箇条書きで論点を整理し直す。
また、長めの原稿を書くときは、まずは箇条書きで流れを定めてから書き始めるといい。骨格を組み立てたうえで文章を肉付けしていくのだ。
●すべての原稿には過不足がある
対象への思いが強いほど、「盛り」が生まれる。盛りの中には嘘や誇張、煽情が混じってしまい、著しく客観性を欠くことになる。
一方、対象について調べれば調べるほど、知識が増え、基礎知識を自明のものとして省いてしまう。これが���漏れ」だ。
両者とも、推敲の段階で厳しくチェックしよう。
●自信
推敲で追い求めたいのは、「ゆたかな文章」だ。
語彙がゆたかであり、展開がゆたかであり、事例がゆたかであり、レトリックがゆたかな文章。一本調子で書かれておらず、さまざまな表現が盛り込まれた文章。言い換えるなら、「表現の希少性」にすぐれた文章。
そして、最後の出来栄えを決めるのは、「自信」だ。迷いのない文章を書き、自分を信じて推敲に臨む。自信の有無が、「いい原稿」や「面白い原稿」を生み出すのだ。迷って書く文章と、自信をもって書く文章の違いが、出来栄えの差となってあらわれる。
●いつ筆を置くか
いったい推敲は、いつになったら終わるのだろうか。
それは、原稿から「わたし」の跡が消えたときだ。つまり、原稿を構成するすべてが、「最初からこのかたちで存在していたとしか思えない文章」になったときだ。
苦しんで書いた跡、迷いながら書いた跡、自信のないまま書いた跡、強引につないだ跡、いかにも自分っぽい手癖の跡などがすべて消え、むしろ「これ、ほんとにおれが書いたんだっけ?」と思える姿になったとき、ようやく推敲は終わる。
原稿から「わたし」の跡が消えるということ。それは、ライターであるわたしと、取材に協力してくれたあなたが「わたしたち」として溶け合い、ひとつになったことの証左だからだ。ここでついに「わたしからあなたへ」のプライベート・レター(返事)は、「わたしたちから読者へ」のコンテンツ(手紙)として完成をみるのである。
2021/04/25 06:58
投稿元:
読み終わったけど、
こういう本は、一度読み終わっただけではなくて、
折に触れて何度も何度も読み返して、自分のものにしていきたい本なんだと思う。
この教科書を基にして、
取材、執筆、推敲を楽しく、自分のものにするために
読み続けていく本なんだと思いました。
だからこそ余計なことがない真っ白い表紙に、文字だけ。
自分なりの色や形に染め上げて
自分の手垢がついて自分の指紋がついて、
自分を取材するための手助けになってくれる本なんだろう。
値段や費用や価格と言った、いわゆるお金のお話が登場しなかったような気がしました。
工場労働ではないからこそ、出来上がったものに作業時間の多寡には影響は受けません。
しかし、時間がかかれば関わる人が増えれば費用も増えていくような気がします。
人が仕事する以上そこに価値が生まれ、その価値を表現するために価格があります。
赤字覚悟で作品を作るのは、ビジネスではないとは思います。
芸術作品を作って、オークションで誰かが値段をつけてくれるわけではないので、
書き上げた原稿をどうやって売っていくのか?
締め切りはいろんな調整で伸ばすことができるとはありましたが、
想定価格はどんなタイミングで決まるのだろうか。
ここは編集者の持ち分で、ライターは考えない点なのでしょうか?
読みながらこんなことを考えるのは、ライター視点ではなくエディッター視点で読んでいるのでしょうか?
もしそうだとしたらどこかにあるかもしれない、
この先生まれるかもしれない、
「編集者の教科書」も読んでみたいです。
2021/04/30 00:26
投稿元:
『#取材・執筆・推敲 書く人の教科書』
ほぼ日書評 Day397
古典的名著以外で、初めて☆5つ(ブクログ評価)を付けたくなった一冊。
映画監督の黒澤明は、もともと絵描きを目指していたが、自分にはその才がないと悟ったきっかけは、素人目には上手い絵が、すぐ描けてしまうこと。本当の絵描きには、自分達には見えていないものが見えるから、無限ともいえる時間を掛けて描くしかないのだ。冒頭に紹介されるエピソード、「書くこと」についても全てはここに立ち戻る。
以下、読み返すためのノート。
書くことは「読む」ことから始まる。
良い文章を書きたければ読書せよといった類ではない。「読む」とは、世界を、書いていない時間の全てを、感じ、問を立て、自分の言葉で答えを出すこと。
『枕草子』でも『徒然草』でも、優れた観察者の目が千年の時を超えて読み継がれる随筆作品を成立させている。★冒頭、「春はあけぼの」などはまさに言い得て妙である。
インタビューするように本を読む。そこにあるものに目を奪われるのではなく、たとえば素晴らしい文章に出会った時、「なぜこう書いたのか?」だけでなく「なぜこう書かなかったのか?」まで考える。その裏には「自分ならこう書く」という能動的な意思が必要になるから。
きく、聞く(hear)、聴く(listen)、訊く(ask)を使い分ける。インタビューは、聴く7割、訊く3割。
相手の話を引き継ぎ、発展させる接続詞のストックを増やそう。例えば「ということは…」。「言い換えると」、「逆に言うと」なども有効。
取材相手のこと(告知や主張を含む)を是非世の中に伝えたいという思い。最良の反対意見にも網を張り、そうした意見への自分なりの反駁を試みることで取材相手の気持ちになれる。
「後取材」の重要性、インタビューを終えた後に「わからないこと」を洗い出す作業。ひとは「自分の頭で分かったことしか書けない」ゆえに必須のプロセスだ。
例えば「私の好きな映画」という取材で、知らない映画が上がったら、その作品を観るのはもちろん、監督や俳優の評伝、さらには公開当時の映画雑誌も取り寄せる。時代の流れという文脈に、その映画を置くことで、取材相手の人生観のようなものも見えてくる★準備に時間をかけるのは当然と考えていたが、こちらの方がより大変な作業だ。
ライターの機能。1.録音機、2.拡声器、3.翻訳機。
録音機、語られた言葉を記録する。伝達のために読みやすく記録する機能が必要。
拡声器、広く伝える。歪みが発生しない程度に音量を上げること。
翻訳機、話し言葉を書き言葉に変えつつ、正しさと分かりやすさを両立させる。
日本語に適した論理構造は「起転承結」。世間の常識(起)を、すぐに非常識な自らの主張ないし仮説(転)でひっくり返す。それを裏付ける理由や事実(承)で受け、最後に論証を経た上での結論(結)で結ぶ。
何を書くか、よりも、何を書かないかの選択が重要。★昔話「桃太郎」を、シークエンスに分割し、最低限10枚の絵だけで「桃太郎ならでは」を表現するエクササイズは、非常にわかりやすい。
各シークエンスを取りこぼさない「構造の頑強性」とならでは…を成立させる「情報の希少性」が決まったら、これは私のことでは!…と思わせる「話題の鏡面性」を入れ込む。
第7章、原稿を作る…は、デパート理論でいう「専門店」、すべてが具体的なテクニックゆえ、選択的に拾うことができない。
第8章、推敲。推敲の本質は「自分への取材」。このときあなた(過去の自分)は何を考えていたのか、なぜこう書いたのか…厳しい問いを容赦なくぶつけていく。書き手として未熟だから推敲が必要なのではない。読者としてすぐれているから、推敲ができるのだ。★プロの文章作りのシビアさが垣間見られる箇所。さらに、巻頭の「読むことから始まる」にしっかり戻っているのも流石。
自分の文章を客観的に見直すために、書く時だけでなく、推敲段階で主要論点(柱)を箇条書きで書き出す。柱が傾いていたら文章(家)も確固たるものになるはずがない。
集中して原稿を書いているとき、ライターはそこに没頭する。結果、平時の自分を超える文章が書ける。が、そこには必ず「盛り」と「漏れ」が出ることが避けられない。
最終章の編集者云々の件、本書で主張される「デパート理論」で言えば、食堂街でも屋上でも無かった気がする。自分の主張を超えられない典型なのか、著者が意図的にそうしたツッコミ所を用意したのか…そんな深読みもしてしまう本であった。
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2021/07/05 23:11
投稿元:
原稿を整理する時、絵本を描くようにどこを絵にするかを考える(何を使うより、何を捨てる)。取材するときの質問を繋げる言葉。すぐ実践しました。本当に教科書だった。また読み返そう〜
2021/05/09 22:24
投稿元:
読みごたえがあっておもしろかったです。
「聴く」も「読む」も能動である。
「誰かの話を『聴く』ことは、その人の話を『読む』こと」というのが衝撃でした。
また、「100年先を見たければ、100年前を見よう」という観点も自分の中にはなかったので衝撃でした。
「聴く」こと、「読む」こと、「書く」こと等、こんなふうに説明してもらえる本は今までなかったので、新鮮でした。
繰り返し読む本になりそうです。
2021/05/22 20:23
投稿元:
久しぶりの良書。書くことを仕事にしている人は必読の1冊だ。
100年先も残る教科書となることは間違いない。
最初はそんなキャッチコピー大袈裟な、と思ったけど、なぜ100年先も残るのか、根拠がしっかりとあった。
ライターとはなんと素晴らしい仕事なのだろう。
何度も、読み返します。