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2019年「死にがいを求めて生きているの」
2020年「どうしても生きてる」
そして2021年「正欲」
1年ごとに向き合う、「生きる」ということ。
ここ数年、春先はいつも朝井リョウ氏の「生きる」と向き合って、わたしも生きている。そう、わたしは生きている。
前2作品は、あまりにも直接的に心の中を覗かれて、ずるむけにされたような感覚に陥っていた。
本作品はどうか。深くて狭くて、暗い穴の中。斜め上から、光が差す。そこから、こっそりと覗かれているような。始まりはそんな感じだった。
しかし。
読み進めていくにつれ、一番覗いてほしくないところを覗かれた上に、そこをゴリゴリと押して刺激してくるような感覚が、最後まで続く。
前2作品は、各主人公が苦しみながらも「生きる」という方向に向かっている姿に胸を打たれたが、本作品は、主人公が人に言えない「生きづらさ」を抱えていて、それは簡単に「死」の方へ振れてしまいそうなレベル感を持っている。帯の『生き延びるために、手を組みませんか』という言葉が、作品を手に取った時とは異なった重さとベクトルで、響いてくる。
よく耳にするようになった「多様性」という言葉。
それは、言葉にした時、相手に発した時、共感をしてくれる人がいる時にのみ効力を発揮するものだ。
自分に都合のいい、マジョリティの作り出した言葉だ。
平等で受容的に見えて、実は支配的。どうしたって「多様性」にはじかれた者たちは存在する。
もちろん、それを含めて「多様性」であることは分かっている。
けれど。
どうしても入り込まれたくない何か、どうしても大切にしたい何かを抱えていると、それを安易に人に言えなかったりする。
それを分かりやすいストーリーにされたり、多様性とひとくくりにされることには違和感がある。だから、口を噤む。
そして語らないことは、時に勘違いされ、その勘違いから傷つけられることがある。
全員が共感できる作品ではないだろう。でも、目的は共感ではない。
物語冒頭、ある記事からこの作品がスタートする。
最後までこの作品を読んでいくと、こんなにも違って見える、この記事。
違う違う違う、そうじゃないそうじゃない、って思いながら読んでいるから、全然言葉が入ってこなくて、気付けばラストは何度も同じところを読んでいた。
これは衝撃作。
「多様性」という言葉を使う自己嫌悪が、じっとりと残る。
自己嫌悪。
自分の理解の範囲内で話を聴きたがるところ、相手の開示をすんなり落とし込めなくて、沈黙が相手を傷つけてしまうところ。こうした話の聞き方は、相手がせっかく開いてくれた口だけでなく、心をも閉ざす。
多様性、多様性なんて言って、自分に都合のいい多様性のレールに乗せて、自分が理解できるように誘導しているだけ。
結局わたしが理解できる多様性なんて、自分を勝手に被害者のポジションに置いて、それを受け入れて、愛してと叫ぶ多様性だ。その被害者のバリエーションを多様性と言っているにすぎないのだ。
自分の理解の範疇をこえる「多様性」を目の前にした時、わたしはそれを理���できないかもしれない。でも、理解したいとは思っている。受け入れようとも思っている。
途中、話についていけなくなった自分は圧倒的マジョリティなんだろう。
厄介なのはたぶん、マイノリティのフリをしているマジョリティだ。
彼らが、マイノリティを深く傷つけている。
わたしもたぶん、それに該当する。
八重子のような人間。話せばわかると相手に開示の圧力をかける。これはマイノリティからしたら明らかなハラスメント、暴力だ。
そんな大っ嫌いな八重子が、自分と重なった。
「多様性、多様性」と声高に叫びながらも、自分の描いたストーリーにない多様性が目の前に現れた時、動揺する。その動揺こそが、相手を傷つける。
これまで、様々な話を様々な人から聞いてきて、多少のことでは動揺もしないし引くこともなくなった。
ではそれを聴いた上で、事実と受ける止めることができなかったとしたら。
開示された以上、そこに向き合う責任が生じる。
人のことを理解したふりをして、話を聞くよと近づいて、なにも出来ないことなんていっぱいあるのに。
当事者は、常にそれを抱えている。
話を聞くことは、その苦しみを、常に一緒に抱えるということだ。
わたしに、その責任が負えるのか。
結局分かりやすいストーリーに落とし込んでいるだけなんじゃないのか?
わたしは理解したい、受け容れたい。
だけど、きっとその責任を負うのは怖いのだ。だから、仕事のような責任の所在がはっきりした場所でしか、多様性の責任を負おうとしてない。
でも、じゃあ、それが自分だったら。自分と関わらざるを得ない人だったら。
逃げずに向き合うことができるだろうか。目をそらすことができないところに存在する、多様性に。
矯正する必要なんてない。むしろ共生したい。
だけど、マジョリティはそれを許さない。だからこそ、マイノリティは口を噤んでしまうのだ。時に、自分で自分を殺そうとする。結局、マジョリティの勝利だ。
マジョリティになる必要なんてないと思う。でも、マジョリティにいないと生きていけない社会なのだ。
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裏の裏は表ではない、とでもいうような。
多様性が唱えられまくる今日、
むしろ多様化が進むことは
その境界に引っかかる者にとっては
さらに世の中から分断されることになりかねない。
多様性なんて
「他者を思いやれる俺/私、優しいでしょ」
という偽善者の自己満足が
形成した不覚な結果なのかもしれない。
美徳とされているものでも
すんなり受け入れず
咀嚼を欠かさぬこの思想
捻くれてるねえ、朝井リョウ。
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マイノリティとして生きる身としては共感できる部分がかなりあった。
隠さないといけない部分があるから
自己開示をあまりできない挙句
心を開いていないだとか経験がないだとか
勝手に想像を膨らませて詰められる。
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最近よく聞く多様性と言う言葉の意味と深さと重さ…
多様性を認めていきましょう!
多様性のある世の中にしましょう!
そう言ってより良い社会にして行きましょう。
的な感じな事を聞くけど、その多様性って、自分が許せる範囲だけの多様性ってことだろ?
軽々しく言うなバカタレ!
とぶっ叩かれた気がした。
きっと人間の奥深さは想像以上にエグ味が深い…
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めちゃくちゃ心揺さぶられました。
生きる理由=まわりの人との繋がり
にはとても共感しました。
自分も親が死んだら生きる意味ない。
世の中は 明日も生きたい人 で溢れてるし
私はまだそれにうんざりする側の人間です。
私にも繋がりが出来たらいいな。
この作品好きな人が周りに居たらいいのに、
と思いました。
生きる意味って?ってなってる人に
ぜひ読んでほしい〜!
朝井リョウ作品でよく思うのは
この作品でいう修とか沙保里みたいなタイプの人間はどういう気持ちでこの本読むんだろう。
小説とか読まないかな。笑
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私たちが言う、多様性って世間で言うマイノリティの中のマジョリティなんだよな
って思った。
人間はセックスのことばかり話している、ってのに共感。
思春期から大人になってもセックスのことばかり話している。
それに対して、自分が少数派じゃないか不安だから確かめるんだ。ってところで、なるほど。となった。
確かに何々に興奮しないか?しない?
何々されるの良くない?って、確認するように性的な話題を振られることって多い。
あれも確認をするためだったのか、自分がおかしくないかどうかの
この本を読んだ後、犯罪を犯した人に対する見方が変わるかもしれない。手放しに責め立てることが、少し難しいかもしれない。
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タイトルが素敵。
2020年を生きる小説だった。
若すぎない体力を感じる小説だった。
ファミレスで執筆されている朝井さんの姿が時々思い浮かぶ小説だった。
この小説を読むと、100年以上前から名著と評される小説を読みたくなるのは私だけでしょうか。
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所謂「マイノリティ」に入れない人達を知った。切り取る題材が絶妙だし、みんなが隠しておきたい感情を表現するのが圧倒的に上手い作家さんだなあと思う。
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大学を卒業して、いいところに就職して、好きな異性と結婚して、家を持ち、出産して、パートナーや家族と穏やかな老後を過ごすこと、正直私はこんな人生が″まとも″で、″ごく普通″の幸せだと思っていた。
この本を読んで、多数派に当てはまらない異物を徹底的に排除しようとする社会のあり方が、私の持っていたような固定観念を作り上げ、そんな大きな「枠」からもれた人間を苦しめる構図を生んだのだと思った。
全員に当てはまる「あたりまえ」は存在しない。風船の割れる音や水の飛沫に性的な欲望を抱く人にとっては、人間同士の恋愛が異常でさえある。端的な言葉でしか表せないけれど、本当に人間は人それぞれで、簡単に一緒くたにはできない。
やれダイバーシティだ、多様性だと叫ばれるこの時代で、「主語を大きく語らないこと」、朝井リョウさんの伝えようとしているメッセージの一つではないかと思う。
心に残った言葉↓
「みんな本当は、気づいているのではないだろうか。自分はまともである、正解であると思える唯一の依り所が"多数派でいる"ということの矛盾に。三分の二を二回続けて選ぶ確率は九分の四であるように、"多数派にずっと立ち続ける"ことは立派な少数派であることに。」
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終盤のある場面で心理描写とそれとは全く関係ない周りの出来事が交互に書かれている文章がある。そこを読んでいるとき文字を読んで頭で想像するのではなく、文字を追っていくと目の前に勝手に場面が浮かび上がってくるという不思議な体験をした。
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人が自分に近い誰かに幸せになってほしいと思うのは、その人への無償の愛ではなくて自分も社会で生きていける、幸せになれるという確信を得たいという自己欲望。というのが心に残った。
もちろんテーマもクリティカルで、嫌でも自分と向き合わされるこの感じ、さすが朝井リョウ。
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多様性という言葉に誰もが感じる些細な違和感を小説を通して描いた稀有な作品。マジョリティーや普通であることについて考えさせられるのではなく、考えざるを得なくなる。作者は目の前の世界をどう見ているのか何を感じるのかが恐ろしくなった。
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関係者に衝撃を与えた「児童ポルノ」事件。3人逮捕されたが、そのうち2人は、隠された秘密があった。検察側の視点や逮捕された2人の視点、関係者の視点から「なぜ、このようなことが発生したのか?」を紐解いていく。
読み終えた直後は、今の感情をどう言葉にすればいいのか、表現しづらいぐらい色んな感情が渦巻いていました。
大まかに言えば、朝井さんの中に潜んでいる「影」の部分をこれでもかと深掘りされたくらい、グレーに近い黒な部分が多くありました。
正直、感想を書きづらいなと思いました。というのも言葉を発することで、それを受け止める人は、色んな印象を与えます。酷く傷つくかもしれませんし、心に響くかもしれません。
自分の常識では考えられない行為や感情が、この世の中には蔓延っており、なかなか理解しづらい部分が多くあります。
色んな性癖があるのも事実で、この作品でも色んな人が登場します。読んでいても理解できるのもあれば、理解不能なのもあります。
なので、この作品は読む側の人によって、受け取り方は様々です。共感できました!という人もいれば、全然理解できない!という人もいて、そういった意味では、面白いかなと思いました。
内容としては、最初の部分で「児童ポルノ事件」の概要が提示されます。その段階での印象と読了後の印象は、同一ではありませんでした。
なぜ、そう思ったのか?は、様々な登場人物の視点を通して、明らかになります。事件発生までの道のりが心理描写をメインに丁寧に書かれています。特に「世間」と比較することで、心の葛藤が多く書かれています。
そこには、魂の叫びも含まれていて、正直今後、人とどう向き合っていけばいいのか不安にさせられました。
何が「普通」で、何が「異常」なのか。何で周りと違うのか?様々な疑問を投げかけられたようで、どう答えればいいかわからないばかりでした。
ただ、人にわかってもらえない悩みや一生分かり合えない悩みには共感する部分もあって、ちょっとした安心感を得られながら読んでいました。
色んな人の解釈や「癖」が登場するのですが、全てを理解することはちょっと無理かなと思いました。
結局は、相手を深掘りせず、そっと見守っていることが大事なのではと思いました。
また、マスコミによる情報の印象操作も大事だなと感じました。言葉一つとっても、その印象は大きく変わります。
背景を知ることで、違った印象を得たということをこの作品を通じて改めて感じました。
自分から発した何気ない言葉が、人にどう影響するのか。その人の背景を知らないと、なかなかわかることはできませんが、世界には自分とは違った人が多く多くいるということを自覚しなければいけないなと感じさせてくれました。
明日から「人」との接触がちょっと不安になりそうです。
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世の中で礼賛されている多様性に一矢報いる内容、ということで、
各方面に配慮した優等生的発言しか許されない、そんな風潮への問題提起なのかと想像した。
配慮のせいで隠されてしまった人間の本質を炙り出す!みたいな。
いま思う。ひどい先入観だ。
いかに自分がこの物語の内側にいるか思い知らされた。
本当にすべてが掬い上げられているわけではない状態で、多様性を謳うことがいかに残酷か。
登場人物のなかでは、八重子が出てくる場面がとくに身につまされた。
自分の善意が相手にとっても同じく良いものであると疑わない傲慢さ。
暴走してるだけなのに献身的に寄り添ってるつもりになっていたり、もう、すみませんでした…。一緒に謝りたい。
異常者のために何で正常な人が不自由な思いをしないといけないのか。
誰かに聞かれて、上手く答えられる気がしない。
今日の正常は明日の異常。
国が違えば、時代が違えば。
そんなタラレバでお茶を濁してしまいそう。
目指したい社会像の中に、本当にすべての人が組み込まれているのか。
その視点を忘れないように考えていきたい。
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それぞれの登場人物のストーリーが一個一個は独立してるのに、ちゃんと繋がってくる構成が朝井リョウっぽくてすごい好き
読んでからはもう安易に多様性って言葉を使えないなって感じた。私たちが想像しうるマイノリティにも属さない人達が世の中にはたくさんいて、そういう人達からしたら、多様性なんて言葉はマジョリティの戯言にしか聞こえないんだろうなって。
読む前と読んだ後では自分の中の価値観が変わる、というよりも読んだ前には戻れなくなる作品でした。