投稿元:
レビューを見る
移民政策と国民(江口隆祐)
《第3章シンガポールの多文化主義》
■歴史
・1963年にマレーシア連邦の一員になり、2年後1965年に分離・独立せざるを得なかった。
→多文化主義の形成に大きな影響
→マレーシア憲法の多くを継受したものの、マレー人優遇政策を否定し、機会の平等と能力主義へと止揚させた。
・人口は日本の25分の1にも関わらず、GDPは日本を大きく上回っている
→人口 日本:1億2,588万人 シン:569万人(2020年)
→GDP 日本:40,247米ドル シン:65,233米ドル
■発展は外国人労働者に負うところが少なくない
・人口569万人の内訳
→永住者404万人(約70%)
→約3割が非永住者(日本は約2%)で、さらにそのうちの8割が同労目的非永住者
つまり、外国人を重要な労働力として政策的に位置付けている。
★外国人労働者向けの住宅需要(ある程度の品質/スピード)があるのでは?
■日本よりも少子化進む
・出生率1.14(日本1.42)
■民族
・中国人・マレー人・インド人・その他(ヨーロッパ・アジア混血)
■沿革
1819年 イギリス東インド会社発見。当時150人ほどのマレー人・中国人が住んでいる未開の地
1824年 東インド会社が全島を買取、イギリスの海峡植民地へ。
自由貿易港として飛躍的に発展。人口1万人越え
1901年 人口23万任(中国系移民が多数流入、人口の大半)
1942年 日本軍が占領。憲兵隊による恐怖統治
5,000万ドル献金を住民に強制・反日分子と判断された数万人を処刑
1945年 日本降伏でイギリス統治復活
1958年 シンガポール州の設置・国防と外交を除く自治権を獲得
1963年 マレーシア連邦が建国(マレーシアに合併)
1965年 マレーシア連邦から分離・独立
2年で独立の理由は、マレー人優遇政策をシンガポールの中国系住民が容認出来なかった。