紙の本
世界史の一つの見方
2022/01/09 21:38
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投稿者:とりこま - この投稿者のレビュー一覧を見る
世界史をキリスト教対イスラム教で見るのではなく、キリスト教も東西に分かれた世界として捉え、3つの世界を舞台に、帝国=ユニヴァーサルヒストリー(一つにしようとする考え方)の歴史として見るところは、世界史の一つの見方として面白いと思う。
著者が言うように史実は変わらない。どういう世界観、考え方でその流れを見ていくかで現代に起きている覇権争いの見方も変わるので、考え方の一例として読み、自分なりの世界観を作っていくための手助けにできると思う。
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世界史(特に覇権絡み、近代以降)マニアとしては、「○○の世界史」「○○で読み解く歴史」の類は「○○」のレンズから世界史を一気に眺められるので、既知の知識を心地よくマッサージされている感覚になれて心地よい。
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佐藤賢一氏なりの見方・切り取り方で語られる世界史である。
その観点は「おわりに」の冒頭に記されている通り。
曰く
「世界史は三世界史から成っている。西世界、東世界、イスラム世界の三世界が、しばしば帝国を形造りながら、それぞれにヘゲモニーを志向し、また究極的には他を容れないユニヴァーサル・ヒストリーを紡いできたため、その三つの流れを合わせたものがワールド・ヒストリーになる。」
との立場だ。
氏の言うユニヴァーサル・ヒストリーとは「ひとつの方向に向けられた歴史」、つまり色んな歴史が並行するのではない単一の歴史とのこと。
もし世界統一を果たした帝国があればその帝国史がユニヴァーサル・ストーリーになるはずだが、いまだかつてそのような国は存在しない。ならば、世界統一を志向した人たちの歴史が、それに準ずるものとして扱うことができるのではないか。
では、世界統一を最初に志向したのは誰で、それがどのように引き継がれていったのか。
以上のような前提のもとに、世界統一を志向した最初の帝国として、アレクサンドロス帝国から筆を起こすのが本書である。
良くも悪くも、なかなか学者では書けない、小説家らしいといえば小説家らしい舞台構想だと思う。
最初は何言ってるんだ?という感じもしたし、読んでいる途中では「東洋史がすっぽり抜け去っている」という点を欠点のようにも感じたが、最終章まで読めば著者なりに中国や日本、東南アジアも、著者の考える枠組みには入ってくると(あるいはなぜ途中まで入ってこないのかという理由が合理的に)説明される。
賛否はありそうだし、なんだかちょっと強引だなとも思える世界史理解だが、こんな切り口もあるのかと面白くもあった。
世界史の語り方なんて無限にあっていいものね。
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世界史をバラバラな個別国の歴史の集合ではなく、西と東とイスラムの3つのユニバースとして捉えているのが面白い。
この視点から整理するととてもわかりやすい。
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アレクサンドロスの大帝国の成立と崩壊後にその精神を引き継いだローマ帝国、さらに分裂により成立した東西ローマ帝国に引き継がれ、7世紀に出現したイスラム帝国の3勢力、あるいはその後の派生形により成り立っているという主張は面白さはありました。
ただし、近代史、現代史の国家もそれに該当するはちょっと乱暴かなと思いました。
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今年(令和4年)の10月上旬に私もとうとうコロナに罹患してしまいした、症状は咳が出た程度でしたが抗原検査で陰性となるまでは基本は家で静養しておりました読書をする時間が取れましてその時に読んだ本です。
覇権帝国といえば、ポルトガルに始まる欧州国家の帝国は歴史の授業で時間を多くかけて習った記憶がありますが、それ以前の歴史については、この本で初めてしっかりと知ることができました。この本を読むことで、歴史というものは一つに繋がっていると認識できました。
以下は気になったポイントです。
・オリンピックは古代ギリシアが発祥だが、その陸上種目(槍投げ、高跳び、徒競走など)は歩兵に求められる技能、レスリング(グレコローマン=ギリシア・ローマ)スタイルも歩兵の技である。騎兵は組んだり投げたりしない。この歩兵をマケドニアは軍に導入し常備軍(職業軍人)とした、ギリシアは季節兵士(素人兵士)であった(p41)
・アレクサンドロス大王の王国は、プトレマイオスのエジプト、セレウコスのシリア、リュシマコスのトラキアと小アジア、カッサンドロスのマケドニア、アンティゴノスのペルシアに別れてしまう(p59)
・ギリシア世界が広がるとギリシア文化が国際教養、国際語になる。ローマ人の子供はギリシアに留学する、今日の英語のようである(p51)
・イタリアを下りて行ったローマ、チュニジアから乗り出してきたカルタゴがシチリア島でぶつかったのがポエニ戦争である。これはアレクサンドロス大王の跡目争いとも言える(p71)ポエニ戦争(第一次)後にシチリアに加えて、コルシカ、サルディーニャ島を直接支配した(p73)
・キリストが十字架に磔になったのは、国家に反逆した人間に対する処刑法であったから(p124)アレクサンドロスの時代からギリシア語が国際語になっていたので、パウロはイエスの教えをギリシア語で伝道した。キリストというのはギリシア語で救世主という意味(p129)
・神様がキリスト教では一人、そこに皇帝が関わることができれば政治組織のみならず精神的な構造においても帝国は一つにまとまっていく、まさしく一つに向かう発想であり、ローマが世界帝国になるためには一神教の支えを欠くことはできない。ニカイア公会議で、父と子及び精霊は同質なのだと唱えるアタナシウス派が正統とされた、イエスは人間だとするアリウス派は異端とされてローマ帝国から追放される(p145)
・イスラム教が伝播したのは、まさしくアレクサンドロスが征服した土地である、ギリシア文化が伝えられたヘレニズム世界でもある、またイスラムもその直系である、アレクサンドロスはアラビア語で「イスカンダル」という(p177)
・カール大帝は教科書的にはフランク皇帝とよばれ、フランク王国も以後はフランク帝国である、この冠は「西ローマ帝国」の冠であるが、文書に現れる称号は「ローマ皇帝」である(p192)
・東ローマ皇帝とコンスタンティノポリス総大主教は西ローマのローマ教会・ローマ教皇を認めないので、自分たちの方が正統だと、こちらはオーソドックス、��リシア正教会を名乗るようになる(p194)
・870年のメルセン条約で、後継者の絶えた中央フランクのアルプス以北部分が、東西フランクに分けられ、これが後にドイツとフランス、中央アルプス以南がイタリアとなる。(p200)
・モンゴルを統一したテムジンがチンギス・ハンを称したのが1206年のこと、覇業は子孫に受け継げられる孫のフビライハンが南宋を滅ぼし、1271年に国号を「元」として1279年までに統一をする。1224年には三男オゴタイがオゴタイハン、1227年に次男がチャガタイハン、1243年にバトゥ(長子)がキプチャクハン、1258年に末子フラグがイルハン国を建設した(p251)
・1538年プレヴェザの海戦で、スペイン・ヴェネツィアの連合軍を撃破して、オスマントルコは地中海の制海権を掌握する、これに対して1571年レパントの戦いでは、西世界の神聖同盟が大勝してオスマントルコの勢いを止めた(p282)
・1533年に即位したイワン4世で「イワン雷帝」であるが、1574年全ロシアのツァーリ(ロシア皇帝)の称号を使い始める。モスクワもローマ、小ンスタンティノポリスに次ぐ第三のローマであるとされる(p290)
・1622年アンボイナ事件では、イギリス東インド会社とオランダ東インド会社が武力闘争し、イギリスは敗れて、スマトラ島のアチェン、ジャワ島のバンタムを残して東南アジアから撤退する。オランダは、1624年に台湾、1656年にセイロン島を占領する(p317)東インドとはインドのこと、西インドはアメリカ(コロンブスの間違い以来の伝統)である(p316)
・オハイオ河流域の支配をめぐる争いでイギリスはフランスに勝利、1763年のパリ条約にて、フランスからはミシシッピ河以東のルイジアナとカナダ、スペインからはフロリダを奪い取った(p321)
・明治維新の頃、日本は人口大国で、中国・インド・ロシア・フランス、オーストリアに次ぐ第6位であった(p359)
2022年10月11日読了
2022年12月30日作成