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僕は屋根裏のチェリーから読み始めたので、こちらが別視点という印象でした。
ひとつの物語を2つの視点から読むのは楽しいですね。登場人物一人一人が素敵で特にカナさんが好きです。
不思議な魅力です、流星シネマから漏れでる音を聞きながら煙草を吸ったり、野良猫の頭を撫でてやったりといった描写は美しいなと思いました。
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鯨の話とアキヤマ君の話とオーケストラの話と…カナさん、バジ君、ハルミさん…全ての話と全ての人が個性的でありながら、主張的ではなくて静かに絡みあっていく様子に引き込まれ、ページを操る手が止まらなかった。
ファンタジーではないけれど、ファンタジーのような心地よい世界に浸りきった気分。
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いつかの流星のように、
よぎったはずのあの想いを、拾い集めて、
ふたたび夜空に描くように言葉を散りばめる。
その瞬きの美しさに感嘆のため息。
一番星のように空に導きを置いてくれる。
基調音の「ラ」がお守りのように鳴り響き、
それをたぐり寄せて「シ」を奏でていく。
ささやかで心地よい音と詩が生まれる場所に、
そっと光を灯してくれる。
かけらはなにかの一部になって、
そこから紡ぎ出される物語を愛おしく包み込む。
なんという恵み。
吉田篤弘さんの紡ぎ出す言葉が、とにもかくにも大好き過ぎて……本当に好きな作家さんです。
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穏やかに流れるクラシック音楽のように、その物語は静かに進んでいく。
かつて一頭の鯨が泳ぎついたとされる川。今は暗渠となって遊歩道の下を流れている。
川の姿を見ることは叶わなくても、今もなお地中深くに川は確実に流れている。
幼馴染みの3人の、忘れられない川にまつわる記憶。
長年に渡り閉じ込められた大切な記憶が蘇った時、物語は新たに再生される。
時を戻すことは叶わないけれど、人生は何度でも再生して、何度でもやり直せる。
たぶん、きっと、おそらくは。
去年図書館から借りて単行本を読了。
つい先日『屋根裏のチェリー』を読んで『流星シネマ』のみんなと一年ぶりに再会。
懐かしくなって『流星シネマ』を再読したくなり、急遽文庫本を購入して改めて読み直した。
一度目に読んだ時には気付かなかったあれこれを発見し、改めて感動が蘇った。
『流星シネマ』の終盤で『屋根裏のチェリー』が始まっていたことが分かりとても嬉しかった。
「そして、冬はある日、何の予告もなしに終わってしまう」
そんなふうに始まる物語は、吉田さんの中でこの時から既に始まっていたなんて。
吉田さんの「あとがき」によると、この先〈鯨オーケストラ〉の物語が控えている、という。
その時もまた『流星シネマ』と『屋根裏のチェリー』を改めて再読するのだろう。
たぶん、きっと、おそらくは。
今からとても楽しみだ。
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映画のお話ではありません。
これはクジラの眠る町で暮らす人々の
ささやかな日常を綴った物語です。
舞台となっている町には
むかし川が流れていて、
200年程前には大きなクジラが遡ってきたそうです。
クジラは海に戻ることができず息絶えてしまい、
その亡骸を埋めるために塚がつくられました。
主人公が子供のころにもクジラが迷い込んできて、
ちょっとした騒ぎになりました。
そんなこんなでいつしかこの町は、
クジラの眠る町と呼ばれるようになりました。
いまではその川もアスファルトで覆われて、
暗渠になってしまっています。
耳を澄ますと遊歩道の下から、
かすかに水音が聴こえてくる町。
町にはそこで暮らす人々の物語があります。
かつてそこで暮らしていた人たちの物語も。。。
世代が交代するごとに物語は上書きされ、
古い物語は時とともに色あせていきます。
それでも
いつまでも忘れられない出来事というのはあるものです。
それが淡い記憶として人の心に残り続けます。
静かな感動を覚えるお話でした。
べそかきアルルカンの詩的日常
http://blog.goo.ne.jp/b-arlequin/
べそかきアルルカンの“スケッチブックを小脇に抱え”
http://blog.goo.ne.jp/besokaki-a
べそかきアルルカンの“銀幕の向こうがわ”
http://booklog.jp/users/besokaki-arlequin2
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都会のヘリのガケ下の町。流星新聞という地方紙を発行するアルフレッドの手伝いをしている太郎。太郎自体は平凡でどこにでもいそうな癖のない人なのに、彼を取り巻く人たちは癖が強い。かつて鯨がたどり着いた。御伽噺のような歴史は、太郎の心にも残っているし、地元の人の心にも残っている。それは事件であったり、ロマンであったり、人それぞれの形になっている。そして、太郎をとりまく人たちは、人は点なのに、太郎が関わることで線になり、円になる。人と人の出会いは縁であることを柔らかく、優しく紡いだ物語だった。
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過去、現在、未来が混沌の中にゆらめいていて、それぞれの断片が物語が進むにつれて、形作られていく。
表現が詩的で、意味が拾いきれない部分もあったけれど、登場人物たちの言葉がすてきで、何か大きなものに身を任せる心地よさを感じた。
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「むかしむかし、この町には大きな川が流れていて、その川へ、鯨が海から迷い込んできた」
そんなおとぎ話のような、ガケ下の町で、魅力的な個性あふれる人たちばかりが登場するお話。
淡々と続いていく清流のような、とても静かな物語です。
音もない断片的な8ミリフィルムを繋げたり、鯨の骨の標本を組み上げたり。
物事はすべてつながっているようです。
遠い昔の記憶、その小さなかけらのひとつひとつが温かく、じんわりと心に沁みてきます。
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お正月、のんびりまったり癒されました。
著者の作品の登場人物はどの人も、どこでもいるようでいない変わりものたちで。
今回も太郎さんはじめ、いい味だしていました。
こんな街に、お店に、人の中でのんびり長く暮らしたい理想郷のようでした。
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住んでいる街に鯨が眠っている。なんてステキなことだろう。。そういえば、「アスファルトの下には森が広がっている」と教えてくれたのも著者だったか。
自分の足元に広がる世界に思いをはせる。
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見えない川が 静かに、静かに、流れるような不思議なお話。
現実の話として語られるのですが、ファンタジーのようです。
それは、「目に見えないもの」について語っているからでしょうか。
昔、海からとんでもないものがやってきたという伝説の川がある町。
伝説の川は、今は埋められて遊歩道になっています。
でも、歩道の下は暗渠になっていて今でも川は流れているのです。
表に見えないだけで…。
ある発見が町を湧きたたせます。
詩人であり、詩集の編集者でもあるカナさんはこう言います。
「たいていのものはかけらなのよ。すべてが何かの一部なの」
かけらを形にしようと 作業を進めるうちに
作業に関わる人々の心に、未来へと向かう明るい変化が生まれます。
未完成なものがあるということは
目標に向かって手を休めない限り
いつか完成する日が来ることを意味するのですから。
静かで心温まる物語でした。
ただ、冒頭に書かれていた文言がずっと引っかかっています。
『この世界は着々と冬に向かい続けていて、
われわれもまた、ひとりひとり冬に向かい続ける。
けれども、今自分がどのあたりまで来ているのか分からない』
そして、中盤では、例のカナさんがある依頼を受けてこう言います。
「できるだけ急いでね。そうじゃないと…」
ちょっと切ない感じが残りました。
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世界のどこか知らない町の物語、ゆったりとした平和な日常、静かに町の歴史に刻まれた悲しい過去。
吉田篤弘さんの文章は、ゆったりと美しくてほんのりと寂しさがあったりしながら心温まる、というイメージ。
ハラハラさせる作品が苦手な私にぴったりだ。
4日くらいで読み切った。
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鯨の眠る町。
この世界は、いつでも冬に向かっている。
と始まるが、人生の四季と重ねつつ
静けさと暖かさを感じる作品でした。
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海から流れ着いた鯨の亡骸が眠る<鯨塚>を臨むガケ下の町に暮らす青年とその周囲の人々を巡る喪失と再生の物語。著者の持ち味である静けさとノスタルジー、そして作品を包み込む穏やかなトーンが心地良く、雨の日にもってこいの読書だった。難点を挙げるなら、今作は全編が主人公の一人称視点で、登場人物が多い割には個々のエピソードを深掘り出来ておらず、従来の作品に比べて些か奥行きに欠ける仕上がり。とりわけ、最終章の畳み方はらしくないほど性急に感じてしまった。尤も、三百頁未満でこれだけの作品を描ける構成力は流石の一言に尽きる。
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何気ない日常を淡々と綴った小説です。町の喧騒や雑踏からかけ離れ、会話のテンポややり取りも余計な感情が削ぎ落とされた印象なのですが、不思議なことにずっと読んでいたくなる魅力があるのです。これが吉田篤弘さん特有の世界でしょうか。
主人公・太郎の視点で描かれる日々は、優しさと静けさ、寂しさと哀しさが同居し、幻想的な雰囲気さえ醸し出しています。
物語の舞台が、<鯨塚>というガケの下の町で、暗渠(地下埋設の川・水路)があり、かつて、この川に鯨が迷い込んで絶命し、埋葬されたという逸話があるのでした。
「今」と「かつて」を結び付ける、というより、つながっていることを示した浪漫が感じられます。「あとがき」に次の一文が…。
<なぜ物語を読むのか、書くのかといえば、この騒がしい世の中に暮らしながらも、ひととき、書物のかたちになった静寂に立ちかえり、心身を「澄ます」ためではないか>
なるほど納得です。日常にフィルターをかけ、異世界へ連れて行ってもらえるような心地よい読書体験ができました。