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平和の少女像を巡って日本ではきな臭いことばかりを耳にする。
でもこの像が象徴しているものは、日本人を否定しているものでも批判しているものでもなく、過去の戦争において日本が犯した罪、それによって踏みにじられた尊厳を忘れないでいようという誓いであり、罪を認めようとしない日本政府への告発、二度と同じ思いを子どもたちにさせないようにという願い、祈りである。
韓国国内のあらゆる地域に少女像は建立されている。市民の声と運動によって建てられてきた。中には高校生たちが自分たちの街にも、と募金活動を行って実現させ例もある。世界16都市にも招致されている。
ただ、韓国でもそうだけど、世界各地で建立計画が立ち上がるたびに、強固に反対する現地の日本人がいたそうだ。
なぜ日本人はこの問題を直視し、問い直そうとしないのだろう。ハルモニが求めてきたことは、心からのお詫びと、二度と繰り返さないという具体的な政策だ。お金ではなく。
少女像は、ハルモニたちがかつて連れ去られ「慰安婦」とされたときの姿を表している。多くがまだ幼さの残る、10代前半の子を含むの少女たちだった。
私の娘と同じ年頃で、それを思うと私は胸をえぐられるような気持ちになる。
少女像の隣に置かれた空いた椅子に座って、その目線で過去日本が他国に何をしたのか、現在その歴史をどう捉えて、未来になにを残すべきなのか、考え、世界の人たちと対話しなければいけない。
ハルモニや支援者の方の言葉に、日本は被害者であることばかりを主張する、とあった。
原爆や大空襲の被害は非人道的であり、何をもってしても肯定する余地はないけど、それを世界に伝えようとするとき、私たちは自分の国が過去に犯した蛮行を理解反省し二度繰り返さないことを誓わなければ、声は届かないのだと思った。