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経済学が社会を捉える際に利用する「経済人」が備えるのは“合理的”で“欲望に純粋に取り組む”上昇志向をもち、そのための身の回りの雑用を考えなくて良い存在。
世の中の問題は男性的価値観に立脚する「経済人」にすべての原因があるのだ!とこんこんと語る16章。「存在しない女たち」を薄っぺらくしたみたいな内容で、わざわざこちらを読む必要はないかなと。
あと本書の内容の本筋ではないけれど、アダムスミスは「人々が自己利益のみを追求し合理的に振る舞えばうまくいく」なんて言ってないんじゃなかったか。
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アダム・スミスの経済論には、食事を作ったり洗濯したりは入っていない。夕食は利益の追求によって手に入れると彼は言ったが、どうもそうでもないね?彼の母親が作ったから、彼は夕食を食べることができたのだ。
前半は、バリバリのフェミニズム?とも思ったが、それだけじゃない。子どもを育てたり食器を洗ったり病人をケアしたり…お金にならないことは労働にカウントされず、見ないことにされてきたのだ。でもそれはあり続ける。
誰がやるの?
ナイチンゲールが、看護師の待遇改善に生涯をかけて取り組み、善い行いと金銭的な豊かさは両立しうると考えていたこと、これは覚えておきたい。
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産めよ、育てよ、働けよ、、、。
無理だよ!!!!
男性視点で作られた経済の仕組みに女性を入れてかき混ぜても女性の負担が増えるだけ。
なるほど、そりゃそうだ。女性を潰す気か。
女性が働きやすい環境は、男性が働きやすい環境でもある。
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経済の本というよりも、社会への抗議書、エッセイに近い。
経済は男性、それも経済学のために作られた合理的で孤立した個人としての男性しか想定していない。
その裏にいるはずの、家事労働、ケア労働をしてきた女性は経済的には価値のない存在として無視されてきた。
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確かに経済学は合理的な判断で経済活動に参加する個人を想定しているが、彼らだって生きていくために家族や周囲の人々に支えられている。特にその多くは女性だが、彼女らのケア労働はGDPにカウントされず、古典的な経済学から無視されてきた。そういった意味で今までの経済学は生身の人間の感情や行動を無視してきたと言える。女性の視点からみた新しい経済学が必要なのでしょう。
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“男性”が作った現代社会に『女性の地位向上』をそのまま入れ込もうとしても意味はない。今なお続く男性優位社会の中、上部だけの政策を盛り込んでも女性に更なる負担がかかるだけだ。根本的な意識改革が必要と思う。女性の賃金格差の問題には妊娠・出産を考慮した政策を手厚くすること、家事育児は女性の仕事だという古い価値観がなくなることが前提になると思う。しかし人種差別同様、過去からの歴史と思い込みがその前提を覆すことに強く尾を引いていてると感じる。ジェンダー教育が進んでいる今、さらに少子化の今、きちんと考えなければいけない問題である。
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色々とハッとさせられる名著。
経済学がモデルとする経済人とは、完全に経済合理的な存在だが、現実には、あり得ない。利益の追求による自由競争が結果とし合理的な価値交換をもたらすが、そこにカウントされない労働がある。著者は、「利益の追求」に対し「愛の節約」という言葉を引いたが、合理性とは、まさにそういう話だ。
〝合理性=報酬の最大化“にカウントされない労働、つまり報酬を得られない(愛による)労働に従事しているのが、多くは女性であり、まさしく経済人とは程遠い存在。
ここでも気付きがあった。
確かに、例えば家事を自らこなせば金銭は発生しないが、有償委託すれば金銭が発生し、GDPにカウントされる。委託する家事より、自ら従事する仕事の報酬が高くないと成立しないから、結果、家事労働の価値は下がる。女性が家事労働に従事する比率が高ければ、平均年収は下がる。また、日本のようにベビーシッターや家事代行が多くない場合、GDPにカウントされずに全体の労働生産性も下がる。つまり。愛による無報酬の労働が多い程、経済活動としてカウントされないために付加価値が下がって見える。更には、これにより税収も下がるため、無報酬の労働を可視化し、市場化させる事が課題となる。
「女性の社会進出」には、あらゆる労働項目を経済活動としてカウントさせたいという、目的がある。だけれど、本著が主張するように、女性は経済人とは遠い存在。だから、このジレンマに折り合いをつけるためには、合理的ではない企業制度も必要。最近のアファーマティブアクションの強引さは、この辺もあるのだろう。そんな気がした一冊。
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一応さいごまでめくってみたけど、これはかなりひどいのではないか。時間の無駄。
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著者が、第一章のだらだらした文章で言ったのはけっきょく「お金の動かない労働(家庭内労働とか)はGDPに反映されません」だけ。これ読む価値あるんかな。
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今まで経済書の類は全く読んだ事がなく、新聞の読書欄にて興味を持ち購入
このジャンルは初読であるも、変わった視点からの書き方なのだろうなというのは感じ取れた
深く考えずに受け入れているが、よく考えると確かに変だという事柄は経済以外でもよくあることかなと
翻訳本という共通点だからかもしれないが、若き日に読んだ沈黙の春を思い出した
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読みやすいが、議論の書というよりはプロパガンダ。現在の新自由主義が引き起こしている(と思われる)経済格差の拡大、少子化、等の問題の、根源として経済人モデルを挙げているが、経済人モデルの欠落部分をフェミニズムと結びつけているので、むしろ問題が小さくなっているように思える。また、経済人モデルの欠陥は指摘しても、代わりになるモデルを提示するわけではないので、もどかしい。
モデルは、そもそも問題を解析可能にするための単純化なので、それが現状を完全に反映しないことは当然といえる。その中で、そのモデルに反映されていない部分が重要であるとすれば、そのモデルによる分析や予想は現状を把握できないので、改良が必要になる。家庭内労働がGDPに含まれないから経済活動を正しく把握できなという議論と、経済人モデルは、人間が常に合理的で利潤を最大化する様に行動するというモデルが正しくないという議論とは別のものである。どうもそれが混ぜこぜになっているように思える。
女性の権利の拡大として、「男性並み」に働くことがいいことなのかという話もまた、作者自身どちらがいいと言っているのかよくわからない。
ちょっと面白いのは、人はもともと独立していて、独立人同士の契約として社会が生まれるという考え方は間違っているというところ。逆に、他者に依存した存在で、社会抜きにはあり得ず、そこから個人の権利や一定の独立を得ようとする方向に発達するというところ。そうだよね。人間は、一人で地面から生えてくるわけではないから、社会の方が後なんて有り得ない。そこもうちょい掘り下げたい。
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経済を語るとき、主語が大き過ぎてはいないか、ケアや共感や献身や配慮を引き受けた女性が含まれていないのでは?という気付きを与える本でした。
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アダム・スミスの夕食を作ったのは誰なのか。スウェーデン出身女性ジャーナリストによる、ジェンダー視点の経済論。
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「経済学」の本だと思って読んでみたら、「経済と女性」の本だった。作者はスウェーデン出身の女性ジャーナリスト。
プロローグより「フェミニズムつねに、経済を語ってきた」。また、訳者あとがきには「フェミニズム経済学は女性の置かれた立場を分析します」と。 そして「フェミニズム経済学の考え方をベースに、 既存の経済学をバサバサと斬っていく爽快な読み物」とある。
そして「経済人」モデルが、いかに現実にそぐわないかを明らかにしている。また、経済を「ジェンダー」の問題として捉えたのが新鮮だ。こういう観点はいままでなかったと思う。
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経済学を、そもそもの根本から捉え直す試み。フェミニズムが問題なのではなく、問題とすること自体が問題なのだ。このテンポの良い語り口、経済学の歩みの俯瞰と現状への警鐘が分かりやすく述べられ、なるほどと腑に落ちた。
「世界を所有するかわりに、世界に居場所を見つけることができる」筆者のいうそんな社会を実現できる経済学であってほしい。
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最終的な解法については世の学者の領分になるが
ジャーナリストによるウィットに富んだ語り口で
経済とフェミニズムの結びつきに関しての視座を得られる。