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新文化で紹介。狩猟と出産専門の写真家の母,ペットではなく経済家畜としてゲームの代わりに鶏を買いたいという長男,無職の父という家族の実話。3回連載して大反響があったものを大幅に加筆して単行本にまとめたものとのこと。
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「ゲーム買うのやめるからさ、代わりにニワトリ飼わせて」という帯に書かれている1文にくぎ付けになって、読んでみた!
自分で調べて、自分で動いてみる。思いつきではなくて、いろいろな人に聞いたり、本を読んでみたり。こういう経験って、得難い。それをなんだかんだ一緒にやっていく筆者もすごい。
とてもパワフルで、おもしろい家族と長男くんだ!
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鶏を飼う、ペットとしてではなく、家畜として。
卵を売り、最後には命をいただく。
そんな中学生の息子と、それを見守る母や家族、弟妹。
先を考え行動すること、責任を持つこと、お金を稼ぐこと、とにかく全てに拍手。
現代の子どもを取り巻く環境はSNSや、ゲーム、情報は過多なのに受け身で、想像力の欠如を感じていたので、そうではない子がいること、大人が子どもを認めて見守ることの大切さを感じた。
あー、いつも食べてる肉だって、自分ではない誰かにやってもらってるだけで、殺生して生きてるんだと当たり前のことに改めて気づいた。
覚書 福岡の書店 とらきつね
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ある日の長男の「ニワトリを飼う」宣言から始まる家畜のいる生活。
生き物との暮らしを経て、家族はそれまでとは違う季節を過ごす事になる。
生、死、屠殺などを通じて、ひと回りもふた周りも大きくなる。
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思春期の息子が、ゲームを買う代わりにニワトリを飼うと言い出したら?!私が親だったら反対したい。面倒くさそう。著者も初めは乗り気でないが、協力者を見つけ、ちゃっかりニワトリを飼う土地を借りる交渉までしてしまう長男の行動力に巻き込まれていく。初めは順調そうだったが、夏の暑さで弱ったニワトリを死なせてしまう。畑に埋めたあと、「生きてるってすごいことだね」という長男の言葉に大きな学びを感じる。その後も、たびたび親子げんかをし、時には家出までする思春期の息子にハラハラさせられるが、「夫婦の鎹が子どもなら、わが家の思春期の鎹はニワトリだったのか」と著者が言うように、生き物がいることで、嫌でも家族が関わり合い、責任を持ち合うことは、子どもだけでなく親にも様々なことを教えてくれたと思う。ニワトリを飼うことは、ゲームを買うよりずっと良い選択だった!
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ニワトリを飼って、産みたての卵を食べたいと何度か思ったことがあります。大人の安易な考えです。
子どもの、ゲームがダメならニワトリ買ってという発想が面白いですね。ただ飼ってみたいという興味本意の思いつきではなく、土地はどうするか、においや近所への迷惑はどうか、えさはどうするか、等、自分で調べて、親を説得して、どんどん行動に移す子どもの情熱がすごい。応援したくなります。
ニワトリはペットではない。だから名前はつけない。卵は売ってお金にする。最後は、絞めて食べる。はじめからそこまで考える⁉︎ 思春期に命を肌で感じながら育つ子ども。計画通り、自分で絞める。捌いて食べる。たくましいな。親も心配や不安はあっただろうけど、子どもはニワトリからたくさんのことを学び、これからの生き方にも関わる、かけがえのない経験ができたと思います。
産みたて卵を食べたいなんて、簡単なことじゃない。食べ物、生き物への考え方が変わります。
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ブログで書かれていたものを書籍化したもの(?)
思春期の長男がゲームの代わりに買う!と宣言したのは鶏。。。。
というところからお話は始まります。
長崎で暮らすご家族のお話ですが土や草や生命のにおいの濃い生々しい話です。
時代が少し違ったらまた違うお話にもなったのだろうなと思う。
・鶏はペットではなく家畜だから名前は付けない
・それはおかーさんの意見、俺は俺の意見でやっている
・お父さんは憐れだね
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最初から最後まで、私の心に響きっぱなしで寿命が縮んだ気持ちにすらなった一冊でした。
ゲーム機を買う買わないで口論になった母と小6の長男。
「絶対にゲーム機を買いに行く!」と言い放って登校した息子からの電話で、母(著者)は「ゲーム買うのやめるからさ、その代わりニワトリ飼わせて」と告げられる。
我が子が突然養鶏を始めたいと言い出す。
しかも筆者は小6の長男を筆頭に3人のお子さんを育てるワーキングマザー。
さてはて、この一家の養鶏と子ども達の成長はいかに。
このご家族の、息子さんを中心とした手探りの養鶏を通して、家族、母という立場、命をいただくということ、しつけ、思春期などの様々なテーマについて全て胸を衝かれました。
我が子はまだ3才で、毎日耳元で大きな声を浴びせられ、休む間もなく求められ、疲労困憊な毎日だけど、
「これまで、“お母さんに同意されたい”という子どもの気持ちを、ずっと利用してきたことに気付かされた。」
「これまでは、子どもの身の回りの世話をし、知らないことを教えるのが親の役目だった。(中略)けれど、世話がなくなり、息子の方が識っていることが増えてきたら、私はどういう親をやればいいのだろう。」
これらの文章を読んだ時、今がとても幸福であると痛感し、また一方で来る我が子の思春期を見据えて、子どもや自分自身と向き合い続けなければならないと気付かされました。
また、養鶏を通して命の連鎖を学び、無駄のない暮らしに移っていく描写も素晴らしく、偶然にも今年の抱負の1つにフードロスを減らす生活習慣を揚げていた私には強く響きました。
小6にて養鶏を始め、その後株取引も覚える成長著しいご長男に感心する一方で、ものすごいスピードでこの腕の中から離れていく母親としての戸惑いを、飾らない言葉で過不足なく的確に書き上げた繁延さんの文章力は素晴らしいと思います。
もちろん、ご家族に向き合うその姿勢と肝っ玉も。
よい本に出会うとレビューがうまく書けません。
かなり散らかったレビューになりましたが、最後に1番心に残った箇所を。
「子の声ばかりが聞こえてしまう母親は、ときに狂いそうになる。」
まさに、その通り。
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ゲームを買ってもらいたい小6の息子。母との言い争いの末に、息子は、ゲームの代わりにニワトリが欲しいと言い出した。それも“にわとり飼育計画書“と共に。知らぬ間に近所の大人にニワトリを飼える土地はないかと聞きまわってもいた‥‥
これは、ノンフィクションです。
思春期の息子と母との関係、父との関係が赤裸々に描かれています。
そもそも、自分の行動を親に決められるのが納得いかない息子。養っているということを武器に力ずくで言うことを聞かせようとする親に納得いかない息子。
自分の思春期の頃を思い出せば何から何まで息子さんの言う通り。
『親に向かってその口の聞き方はなんだ!』なんてよく言われたものだけど、『親ってだけでなにがそんなに偉いんだよっっっ!』とムカっ腹を立てていたものです。だけど、自分が親になると似たようなこと言っちゃってるんですよね。
そりゃあ、壁に穴も開きますよ笑笑(思春期の男子がいる家には大体壁に穴が開いているとよく聞く笑)
そもそもなぜニワトリなのか‥‥卵を売ってお金に換えられるから‥‥なぜかというと、お小遣いをくれないから‥‥
そのお小遣いを与えない理由も、まぁ母の身勝手な言い訳のようなものなのです。そんな恥ずかしい母自身のことも包み隠さず書いてくれていて好感が持てます。
今まで様々なことを教え、守ってきた存在の子どもが、いつの間にか親よりも知識を持ち、親を必要としなくなってきている。「お母さんにはわからない」と言い放たれたときの衝撃‥‥‥
なぜ人は昔の自分を忘れてしまうのですかね。自分も同じように親や大人に対して不満、憤りを持っていたはずなのに。
でも逆に考えれば、あの時の親の気持ちが分かるということですね。
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思春期の長男がとても大人びていて、魅力があります。自分がこれぐらいの歳の時、こんなに自分の言葉で大人へ反論できませんでした。
初めて鶏に手をかけたシーンが一番ドキドキしました。鶏との生活風景の写真が美しいです。
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思春期を迎えた長男が養鶏を通して自立への階段を登る姿を、母親の目線で描くフォトエッセイ。
本編4章と、序章およびあとがきからなる。
* * * * *
凄まじい一家だと思いました。
東日本大震災が直接の引き金になったとはいえ、東京から長崎への移住は「勇気がある」程度ではできないことです。
その原動力になったのは、繁延あづささんの持つ野外写真家ならではの好奇心や思い切りのよさなのだと思いました。
彼女の好奇心と思い切りは長男のあやめくんにもみごと引き継がれています。
このあやめくんが、実にパワフルなんです。
心に渦巻くマグマを噴出させるように何に対しても全力でぶつかります。養鶏に取り組むのも、親に反抗するのも、すべて全力です。
それを同じく全力で受け止める母のあづささんもさすがです。狩猟写真がライフワークというだけあって、すごいパワーだと思います。
子育てに要する膨大なエネルギーこそ子育ての醍醐味の証しでしょう。
このエッセイが魅力的なのは、その醍醐味がほとばしるような面白味を感じるからで、それはつまり、子どもたちに振り回されつつも、あづささん自身が子育てを楽しんでいるからに他ならないのではないでしょうか。
ついでながら、あづささんの夫君が惣領の甚六タイプなのもよかった。
息子に「あわれ」と言われて拗ねる姿は『ドラえもん』ののび太くんのようです。( 次男のあおいくんが少し受け継いでいるみたいです。)
「生命」と「食」について深く考えさせてくれると同時に、子育てに全力を費やす著者の姿に、元気やパワーを分けてもらった気がするエッセイでした。
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「家族の成長ものがたり
「友だちが持ってるからゲーム買って!」という思春期の息子。
面倒が増えるからと取り合わない母。どこの家でもくり広げられる親子のいさかい。
そんな繁延家で、長男が「ゲームの代わりにほしい」と言ったのは、なんとニワトリだった。
実現に向けて奔走する息子と、著者である母の葛藤。
親子が迎えた成長の季節に、ニワトリのいる新しい風景が加わった――。」
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「ゲームの代わりにニワトリを飼わせて」。すごい。長男くんは自分で勉強し世話をし考え卵を売り絞めて食す。母親である著者は思春期の長男くんとぶつかったり喧嘩しながらも、寄り添い葛藤し自分を見つめ直す。親子って難しい。思春期って難しい。それでも乗り越えなきゃいけないもの。いずれ来る子の思春期を想像すると、自分の方が未熟さに打ちひしがれて苦しみそうで恐怖しかない。は
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ゲームがほしい、という小6の長男。しかし、突然ニワトリを飼いたいに変更。ペットとしてではなく、卵を得るために。もう、小6でこれを親に要求できる時点ですごい小学生。彼は、自分で大家さんと交渉して準備もすすめ、母親(筆者)もニワトリをもらってくるなど、協力するはめになる。卵を産ませたり、売ったり、そしてニワトリの最期(をどうするかがすごい)まで、母親は子どもと共に格闘する。そこには、命とは、食べるとは等々、いろいろ考えるところがあるのだが、私が感じ入ってしまったのは、なかなか言うことをきかない長男とのやりとりを通して、母親という存在について考えたところ。もともと、東北の震災を機に東京から長崎に移住した。そこに子どもの意志はあった?親は子どもを庇護し、養う存在であるが、実は圧倒的に権力者でもあったのだ。子どもを養うとは、親の義務というよりむしろ親の欲なのではないか。でも、出産も、子育ても、そんなに能動的な行動だろうか。それは自分という人間が浸食され殺され母というものに乗っ取られる経験。この下りがとてもぐっときてしまった。『母とはなんと儘ならないものか。私の意思など及ばない』あ~、こう思えるほど、どっぷり母親をやれる人って、すごいなあと、非常に感動したのでした。
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子どもが三人もいれば、一人くらいはやりにくい子どもがいるものだ。やりにくいから良くないのではもちろんない。世間の価値観を安易に受け入れず、自分で考え、疑問を持ち、納得できないときはとことん議論する。こういう資質は、素晴らしいものだ。が、家庭や学校にいると(大人の心や生活に余裕がないこともあって)なかなかすんなりと受け入れられない。
大抵の子どもは大人の要求が理不尽だと思っても、受け入れないと毎日の生活が滞るので、仕方なく呑み込むが、著者の長男は、とことん議論派。一歩も引かない。
養鶏を始めた息子との関係、食べることと生きることについて、柔らかい言葉で綴っているが、内容は深く考えさせられるものだった。
著者も一般的な親と比べると十分彼の意見を聞いているし、柔軟に対応しているのだが、子どもはよその家庭がどうなのかは知りようがないので、(私なんかから見れば十分に受け入れているようでも)不満なのである。また、(立派なことを言う割には)子どもだから、未熟なところ、抜けているところもあり、親はイライラすることもある。
思春期の子どもを持つと、親だって悩む。こういう子どもを持ったらなおさらだ。親だって初めての体験だから、試行錯誤していくしかない。
一方、子どもの、自立したくてもその手段のないやるせなさ、精一杯頑張ってもなお親の比護の下にいなくてはならない苦しさも伝わって、本当に胸が締めつけられた。
他人から見れば自分をしっかりと持ったたのもしい少年だなぁと思うが、我が子だったらやっぱり大変だろうなと思う。
読んでいて自分が思春期の頃のことまで思い出したりした。
思春期以降の子どもと親の関係は難しいが、会社と株主の関係に似ていると書いてあり、なるほどと思った。
それくらい客観的に見るべきなんだな、一人の別の人間なんだもの。
この間まで柔らかい手足をした小さな子どもだった記憶があるから、なかなか難しいけれど。
長男だけでなく、両親と兄のやり取りを見ている下の子どもたちも、今は言葉にできなくても、幼いなりにいろんなことを考え、感じている。それが彼らの生き方を作っていくだろう。そのあたりの部分がほの見えるところもとても良かった。
子育てをしている人、生きること食べることについて考えている人に是非勧めたい。素晴らしい本。