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人新世の『資本論』→シューマッハーなど産業主義批判を一巡→自然科学→社会科学などを色々巡って辿り着いた前野先生の本。
まさか、昨年11月に自分が辿り着いた境地と、全く同じことが同じロジックで書かれているとは。。。
"ウェルビーイング資本"主義。とても良いと思います。
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第1章 前提条件:心はない
パンデミックという人類滅亡リスク
資本主義は限界を迎えたのか?
不幸化する日本
ウェルビーイング産業への転換を
第2章 必要条件:死を想う
心がなくて本当によかった
わたしはずっと嘘の人生を生きていたのか?
怒りと本能
一生の長さはたったの0.1ミリ
主観的な死は存在しない
第3章 幸せの連立方程式
生きてよし、死してよし
「幸せ」はいつも人類のテーマだった
やってみよう・ありがとう・何とかなる・ありのままに
アコモデーション
第4章 解:わたしは、地球であり宇宙である
わたしは地球の一部以外の何者でもない
この宇宙の一部である以上に、なにを望む必要があるだろうか
中心に無がある国・日本
あらゆる価値観の無自覚な雑居
人類3.1
第5章 分岐点:愛するか、滅びるか
心の地動説
「世界中の生きとし生けるものを愛す」ことは可能か?
自利利他円満というひとつの円
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日本人の孤独
心配性遺伝子 内向きの鬱積 110万以上の引きこもり
現代、自由度は増したが、普通の人へのセーフティネットの多様化が不十分
人を個人としてではなく、みんなと見ている
欧米:強い個が自発的な利他行動 日本:無意識な集団主義の利他性
心は幻想
意識=脳が無意識に行っている処理をエピソード記憶するためのもの
過去も未来も幻想 今しかない 主観的には死は存在しない
幸せの因子
ありのままに 他人と比べない どうなりたいか?
やってみよう 主体的に生きる 自分の道を歩むほどつながりやすくなる
なんとかなる 未来を信じる ポジティブ思考からポジティブな結果
ありがとう ともに生きる 社会貢献活動に関わる
合意できる上位の共通点
アメリカ:中心に愛と自由
日本 :中心に”無”がある (絶対真理がない) 無私
ウェルビーイング中心主義 世界人類を愛そう 100%
Ikigai 4つの円
1.好きなこと 2.社会が必要とすること 3.得意なこと 4.収入を得られること
4つの円が重なるところがIkigai
4つの円がひとつに一致=自己利他円満 =100%愛する
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前野幸福論の集大成。壮大である。理想が、これでもか!というくらい詰め込まれている。ただ、理想を掲げなければ何も始まらない。あとは、各々がどう行動していくか。
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人生は泡沫、突き詰めればなにもないから、感謝して、愛して、前向きに生きて、(意味なんてなくとも、せめて)幸せに生きたほうがいいよね、がメッセージかな。
著者がいっていることはとても共感するし、整理された考えは、そうだなーと心から同意するけど、うん分かってたって言いたくなる内容だったので★3.
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著者も、プロローグの部分で危惧している。
「本書を後半だけ読むと、奇をてらったトンデモ本に見えるかもしれない」と。
壮大な理想論だ。タイトルの通り「幸福論」、いや、もう、著者の願いというか、思いがあれこれと述べられており、もはやエッセイに近い。後半だけ読まないよう、順に前から読んでいけば、それなりに学術的な裏付けや、研究結果も付言されてはいるが、言いたいことを言い放ったものという感が強い。
けっして間違ったことは言ってはいないので、単なるトンデモ本ではないが、常に「だから?」という思いがよぎる。
「いずれにせよ、立ちも戻るべきは「死んだらなにもなくなる」という客観的事実である。」
その事実に立ち返ると、どうなる?
「人間の心にいきいきと湧き上がるクオリアも、わたしはすべて幻想だと考えている。クオリアがすべて幻想であること、それはすなわち、「心はない」ということだ。」
割りと序盤の記述だが、もうこのあたりで、そうなの?じゃぁ、どうすれば?と反問だらけ。
死について、心について、いかに捉えるか、いかに向き合うか、理想を語るが、そのために何をすれば、どう実践していけばという話がない。新・幸福論の概論故にか、あるいはガイドブックじゃないから、そこは書いてないということか。
「みんな、もっと自分のゲームをするべきだ。誰かが決めたルールに従うゲームに身を任せるのではなく、自分でゲームをつくるべきなのだ。」
それが出来れば誰も苦労しないよ。
心、死、そして幸せについて、多角的に考察し、著者自身の捉え方を示してはくれる。それが、“目の前の「視野の狭さ」から脱するためだ”と、言われて、「死ねばなにもない」「心はない」と得心して、どう行動に移せばよいのか、本書を読み終わったときに、さぁ、動き出そう、という思いには駆られなかった。
「地球的46憶年の視点や現生人類約20万年の視点から、いまという瞬間をたまたま生きる自身の存在の意味について、視野を広げて思考するためだ。その姿を、自分なりに捉えるためだ。」
要は、自分は小さな存在だと思えばよいことか?
という点では、冒頭に紹介されている、イギリスのシューマッハ・カレッジにある「Deep time walk」という、地球が生まれてから現在までの46憶年の歴史を、4.6キロメートルにたとえて歩く活動は、面白い試みだ。
「わたくしたち人類の歴史は、地球4.6キロの旅の最後のたった20センチなのだ。そして、農耕革命が1センチ、産業革命は0.26ミリだ。そして、あなたの歴史は、100年生きたとしても、0.1ミリに過ぎない。
あなたは、この0.1ミリの人生をどのように生きたいだろうか?」
たかが0.1ミリ、されど0.1ミリだ。
間違ったことは、言ってない内容だったが、心に届くかどうか? 私には響かなかった。
P.S. Ikigaiベン図は、ちょっと使えそう。だが、その中心にある「Ikigai」に手が届かないのが、世の中の大半なのだ。
「約80憶人の世界人類がこれをできる世界を目指せたら、まさに自利利他円満な社会である」
ごもっとも。間違ったことは言ってない。そこへのアプローチが示されていない、トンデモ本かな、やっぱり(苦笑)