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聖地と言われるところは、観光と深いつながりがある。地域の目玉となるだけに注目を集める。
聖地がにぎわいを見せるのには理由があった。人が聖地に対して超自然的存在のリアリティを感じるのは、神仏を感じさせる気配があるからだと述べている。比叡山、東大寺、羽黒山、伊勢神宮を例に挙げている。
そこでしか感じることのできない「気配」は、それぞれで行われている「行」や「儀礼」から分かるとしている。
観光資源としての聖地の視点から研究している慶應義塾大学名誉教授・鈴木正祟氏にインタビューしている。
聖地に対する感覚が、変わっていったのは2010年代と述べている。山岳信仰に関わる聖地が区切りの都年を迎えて、イベントを行った。
しかも山岳信仰の世界にも世界遺産の影響が出た。2004年に「紀伊山地霊場と参詣道」が世界文化遺産に登録された。「ブラタモリ」でも取り上げていた熊野三山を含む高野山、吉野山、大峰山を巡る参詣道に注目が集まるようになった。
富士山の場合、鉄道開設が信仰に影響を与えたと述べている。山麓までの道のりが楽になり、多くの人が訪れるようになった。
コロナ禍で話題になったことの1つと言えば、アマビエだ。疫病退散の守り神としてネットで話題になり、一般にも幅広く知られるようになったアマビエだが、アマビエの聖地は存在しない。
その理由について、北海道新聞大学院准教授・岡本亮輔氏は、「信じない宗教」だからこそアマビエが受け入れられたという矛盾を指摘している。
ここで著者は1974年、宗教学者柳川啓一氏の「信仰のない宗教」とい論考を引用している。
日本には古くから「特別に心の問題として信じるものを持たなくても宗教が持てるというかたち」があるという。(「現代日本人の宗教」)
どこかの宗教にどっぷりつかっているのでもなければ、あくまでもアマビエを気休めの対象としている人が多いと思う。アマビエ原理主義者なんて聞いたことがないからなあ。
今回、書店でふと目にしてめくって見て面白そうだから買って読んだ。世の中にはいろいろな雑誌があるなあと思う今日この頃だ。