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タイトルから良さそうと手に取った作品はすばる文学賞受賞作だった。これはきっと良いだろうという直感は外れてなくて、リズム良く進んでいく。
要介護になった老人と過ごしたことがある人なら痛いほどにわかるんじゃないだろうか。身内にに介護士もいるので二重によくわかる。半分死んでる老人の、ただひたすらな毎日がリアルで。リアルで。
すごくよかった。
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口語体で語られる、認知症を患ったカケイさんの人生。
“あの女医は、外国で泣いたおんなだ。と、おしえてやる。”という一文で始まります。
認知症を患っている“あたし”の語りなので、終始危ういバランスでもって、壮絶な人生が語られていきます。とにかく衝撃的な出来事がこれでもかとカケイさんの身には起きていて、目を背けたくなるような、耳を塞ぎたくなるような話も出てきます。
ですが、「かたり」の凄さに終始圧倒されました。のめりこんで彼女の話を聞いたって感じ。
カケイさんの人柄に、かたりに引き込まれ、惹きつけられます。
なんで芥川賞候補にならなかったのだろうか…と思う。あまり読んだことがないような雰囲気を纏ったこの作品を(始まりの方は“おらおらでひとりいぐも”に似ているのですが、間違いなく別物です)沢山の方に読んで頂きたい。
タイトルの『ミシンと金魚』の意味も分かりますし、デイサービスで面倒をみてくれる方たちみんなを“みっちゃん”と呼ぶ意味も分かります。
小説ってすごいなと、改めて感じた一冊。
ラストもたまらないです。
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死んだじーちゃんのことを思った。
じーちゃんが倒れた当時、わたしは高3だった。大学受験だ。
じーちゃんの介護は、同居の伯母とばーちゃんがメインでやってた。
それまでじーちゃんに当たり散らしてた伯母が急に猫なで声になったのは、じーちゃんが倒れてからだった。
あの頃、受験生のわたしをどうするか、家族会議とか開かれてたんだろうか。
結局その年の受験はボロボロだった。だけどそれはじーちゃんのこととは関係ない。
わたしが塾の先生を好きになって、うつつを抜かしてただけ。ただの自己責任だ。
次の年、浪人してなんとか第一希望の大学には受かったものの、じーちゃんに合格した姿を見せることはできなかった。
わたしが浪人してる時、じーちゃんは死んだ。
ばーちゃんがわたしの合格に涙したと母から聞いて、わたしはばーちゃんがそんなに心配してるなんて思ってなかったからそれにびっくりで、だけど、その間にあったじーちゃんとのこととか、そういうの込みでの涙だったのかな、って。今はそう思う。
ばーちゃんは未だに健在で、デイサービスを「幼稚園と一緒だ」と毒づきながらも、自分の得意な分野(漬物作りとか梅干し作りとか、折り紙とかの工作)をそこで存分に活かしてる。
時々よく分からないことを言うけれど、それはあくまで呆けの範囲内で、認知症というものではなさそうだ。
読みながら、認知症の方の介護を経験したことがある方や現在認知症の方が身近にいる方には凄くしんどいのだろうな、と思った。けれどそれ以上にしんどい描写は、主人公カケイさんの壮絶な人生の自分語りだ。彼女がする独白を、冷静には受け止めきれない。
それほどの経験をされてきた方の話を、子どもに話しかけるような猫なで声で、つまりは上の人が下の人に話しかけるようなスタンスで聞き、話しかけていることがあるのだ。
これは人間関係全般に言えることだけれど、わたしたちは、自分より何かができない人を下に見がちで、だけど、歳を重ねたときの「できない」は、教えてできるようになる前の「できない」とは違う。
そして、これは社会福祉士の実習で実習先の人が言っていたのだけれど、「歳を重ねた時の境地は私達も経験したことがないからわからない」のだ。
だからこそ、その「わからなさ」を想像して相手を思いやれるかどうか、その「わからない」世界で生きていることを尊敬できるかどうか、だと思う。
でもわたしはたぶん、親族だったら冷たく当たってしまう気がする。親族だからこそ感情をぶつけやすいし、実際にぶつけてしまうと思う。
だから母に介護が必要になったら、わたしは介護の専門家にみてほしいと思ってる。
そしてそういう選択肢があることに、心から感謝をしたいと思ってる。
自分ができないことを、やってくれている人がいることに。
『ミシンと金魚』
このタイトルの意味がわかったとき、意味のわからなかったそれが、とても苦しい意味を持つものになる。
表紙の渦巻きも、非常に深い意味を持つ。
「そうせざるを得なかった」人達は昔も今もたくさん存在するわけで。
わたしたちが、どんどんどんどんこの作品を読み進めたように。つまりカケイさんの話に耳を傾けたように。
例えば、虐待とかを断罪する前に。
話を聴いてほしいんだ。想像してほしいんだ。「そうせざるを得なかった」ことを。
「間違ってしまった」ことを断罪する人がいるから、人はSOSを出せない。
それが、誰かを追い詰める。
けれど一方で、考える。
わたしはどうだろう。
わたしもよく、断罪する。正論をふりかざす。
けれど、同じ状況だった時に、もし自分に断罪されたら。
何も言えなくなる。
みんな、精一杯、一生懸命、その環境の中で生きているのだ。
でも、その中で起こってしまった「間違い」が断罪されないのなら、別の選択肢が生まれたのかもしれない。
他の選択肢を、もう少し気楽に選べるような、息苦しくない国になればいいな。
母が認知症になったとして、本人にとって痛烈な何かをずっと覚えていたとして、母にとってそれはどんな出来事なんだろう。
わたしが知らない父の姿が、そこにはあるんだろうか。
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認知症のばあちゃんのしゃべりが小気味よく
リズムにのってすいすい読める。
すいすい読めるから
うっかりすると流してしまいそうになるけれど
人生の深くて重くて大事なことが
いろいろ詰まっているようではっとさせられる。
苦労や貧乏話も明るく笑い飛ばすから
忘れたいのに忘れられない
昔の辛い過ちが余計にいっそう際立ち
せつなく胸に迫ってくる。
それでも、やっぱり幸せだったと言い切れる
ひとりの女の人の一生に涙。
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冒頭の女医とヘルパーのやりとりが小気味よく、この感じで認知症のカケイさんとヘルパーとの日常が描かれるのかと思いきや、話はどんどんカケイさんの人生に遡っていく。そこには「ミシンと金魚」の切ないドラマが確かにあった。
ゆっくり認知症か進んでいく本人の語りという形を取った小説という点で、朝倉かすみの「にぎやかな落日」と比較されることもこともあるだろうが、朝倉かすみという作家と永井みみという作家の2人が書いたおもちさんとカケイさんとに出会わせてもらって感謝したい。
どちらも傑作だと思う。
川上未映子の「ただ素晴らしいものを読ませてもらった」との言葉に同感。
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2022年2月
カケイさんは幼い頃から食うに困る生活で人間としての尊厳が踏みにじられまくっているが、生き抜き、老いて人生を全うしようとしている。
わたしは今のところカケイさんとは全く違う人生であるけれど、わたしもいずれ老いて死ぬ。
きっと誰でも人生の最後のほうはカケイさんと同じような感じになるのだろうと思うし、カケイさんほど最期まで生きることができればそれは上出来であると思う。
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認知症のカケイさんから見えている世界。負の部分もみずみずしくて、人が自分の人生を生きて、終えていくことにお疲れ様でしたの気持ちになる。
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全編が「認知症の高齢女性の語り」で進む。認知症の人の見ている世界が広がる。認知症だからと言って全てがわからなくなるわけではない。心の奥底、脳の奥深いところに埋め込まれた記憶、感情は簡単には失われない。人生は切り取れるものではなく、誰でも生まれてから死ぬまで、どこをとってもその人の人生が続いている。カケイさんの言葉から「生きること、死ぬこと」について考えさせられました。
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介護をやったことのある人ならきっと心に響く小説になるだろう。
一人の老婆の介護支援を受けながら過ごすシーンが、その主人公の心の声がありありと書かれているのが素晴らしい。
人にはいろいろな過去があり、生業があり、背負っているものもある。痴呆にもなり体はいうことを聞かず、もはや一人で生きることすらも困難ながらも死ぬことは許されない。目が覚める限りは今日も一日生きねばならない。そんな終末期の主人公の生涯が差し込まれているので、読んでいて切なくなる。
人はどこまで耐え忍び強く生きなければいけないのかを思う。安易に自殺なんかでドロップアウトするような人を弱者とは言わない。ほんとに弱者というのは死ぬことを自分で”選択することすらできない”のだから。
「おれ、うたれよわいから~」とか「俺、あほだから~」とか言ってるやつ、そういう奴ほど心臓が図太いというのをわかっていない。神経弱い人ほどそういう言葉を発することすら相手に気を使って言えないんだというのを知らないのだろう。そういう意味では確かにあほだと思う笑。
最期がまた切ない。いずれ自分も親を介護する、また身の回りの人を介護する機会もあるし、実際少し間仕事でもやっていたんだけど、尊厳をもって対応するというのがいかに難しいかを考えさせられる。「みっちゃん」のように接することができたらなと思う。
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認知症のカケイさんの一人語り。
認知症の方との関わり方はそれぞれあるなとも感じたし、やっぱりどんな人でもいろんな苦労や経験をして歳を重ねた人なんだなあと感じました。
自分の最期の日はどうなるのかなあと少し考えさせられる一冊になりました。
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一気に読んだ。
読んだことのない物語だった。作者がケアマネさんで同い年ということで新聞広告を見てぜひ読んでみたいと思った。認知症の人の目線で、語りで、微笑ましく、時に斜め読みをしたくなるくらい凄絶な箇所もあり。
もう一回、ゆっくり読みます。
全国のたくさんのみっちゃんに自分もいずれお世話になるのだろうか。
看取るのも怖い、ましてや自分の死はまだ身近に考えられない弱虫の自分。しばし放心。
装画も意味深です
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カケイさんの語りで、自身の過去が語られる。同時にみのるさん、嫁、兄貴、健一郎、広瀬のばーさん、みっちゃん。関わる人の人生も浮かび上がる。
語られない人生も浮かび上がらせるカケイさんの語りに圧倒された。スゴい。
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認知症のカケイさんが曖昧な記憶を手繰り寄せ振り返る人生。育った家庭も築いた家庭も壮絶ななか、カケイさんは愚直に生きてきた。一心不乱にミシンを踏んで。
施設の介護士さんを全員「みっちゃん」と呼ぶカケイさん。「みっちゃん」にまつわるエピソードとその波紋、その切なさ。
安泰とか成功とは程遠い人生、それでもそこには美しく尊い一瞬をはらんでいる。
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認知症になるとこんな風に考えたり、感じたり、思い出したりするのかな、という断片を見ることができた気がします。ケアマネである著者だからこそ書けた文章。
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いつも貸出中でなかなか借りられなかった本。ボリュームが少なくて一気読み。認知症(軽度)を患っているおばあちゃんの一人語り。口調が独特で少し読み辛い。前に介護業務担当してたこともあって話に入りこみやすかった。作者が元ケアマネだから書けたんだろうな、おばあちゃんの様子は勿論、家族(息子の嫁)の感じとかすごくリアル。前に認知症(重度)の戦争を生きたおばあちゃんが出てくる『羊は柔らかに草をはみ』を読んだけど、それとは認知症の症状や戦後の感じが全然違うなーと少し比べながら読んでいた。最期に人生を振り返ると辛い出来事も「そんなこともあったな〜」ぐらいに案外思えるものなのかな。やってることが滅茶苦茶だったおばあちゃんの兄とその奥さんが妹であるおばあちゃんのことをなんやかんや大事に思っていたところでじーんとなった。