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「世界は縮まった。(中略)あれほど億劫だった洋行というものも、隣村の盆踊りを見に行くほどのたやすさとなった」
明治43年(1910年)の時点で純日本人にこうまで言わしめている。
この純日本人というのが西村天囚。本書の主人公で、著者の湯浅氏が考察する『欧米遊覧記』の書き手だ。天囚は朝日新聞社が主催する「第二回 世界一周会」というツアー旅行に特派員として同行、旅中に紀行文『欧米遊覧記』をしたためた。
そろそろ人肌ならぬ旅肌が恋しくなってきたが、本書では旅疲れも感染も気にせず尚且つ優雅に廻れる笑
メンバーは、天囚ら特派員5名を含む計57名。
ルートはざっくり言うと、横浜→ハワイ→北米→ヨーロッパ周遊→シベリア鉄道でロシアを横断→船にて敦賀に帰着の計104日間。「世界一周」と言えど、日本人にとって"世界"とはまだ欧米のことしか指していなかったのか。
費用は最低でも700万円は要したという。当時の海外旅行は、やはり財力至上主義だった…!
ツアー客の一挙手一投足まで描写が細かい笑 船内では書画会や運動会(!)をして、徐々に運命共同体としての絆を深めていったようだ。
自分にはその場にいるような感覚になる文章と映ったが、著者は漢学者の一面を持つ天囚の美文を称賛し、その真意まで解説されている。また参加者の一人、日本画家の御船綱手が残した各国の風景画も旅の記録に華を添えている。
数ある観光地から特に印象的だった場所を挙げると…
・大陸横断鉄道(アメリカ)
西のサンフランシスコから東のボストンまでほぼ真一文字に横断している。自由時間があったりと、比較的融通が効く旅程の模様。
D.C.ツアー時には、徳川宗家16代当主の家達公が国会を訪問されていたらしい。大政奉還を経て、こうして日米の架け橋になろうと努められているのが(立場も時代も)よそ者ながら感慨深かった。
・日英博覧会(イギリス)
本ツアーにおけるメインイベント。
ここでは日本の展示品に対する場内の解説が不足していたという。「日本は古来受容を得意とし、発信の意識が乏しかった」せいで自国の文化を上手く紹介できない。彼らの残念がる姿が目に浮かんだ。それが今なお図星に思えるのがまた悔しい。
・冬宮(サンクトペテルブルク)
訪露したのがロシア革命の7年前だから、まだツァーリの時代!「虚無党無政府党」の記述、冬宮も規模の割にはガバガバセキュリティで束の間の平穏を窺わせる…。
遊覧目的の旅行は平和な時にしか出来ない。現に本ツアーも、日露戦争後-第一次大戦の「奇跡のような空白期」に催されている。
貴重な旅であるほど記憶に残りやすい。世界が狭くなっても、彼らは旅先での見聞を思い出すたびに無上の喜びを感じていたはず。