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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
福島の原発事故から何年もたつのに、一向に廃炉とか、セシウムなどの汚染水問題は解決していません。風評被害というので、読んでみたけど、ちょうど、読み始めたときに薄めて海洋投棄が話題になっていて……。
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渾身の一冊。問題意識を強く喚起された。ずっと風評被害と闘ってきた著者が、当事者にしか書けない福島の状況を記し、デマや差別を生み出す人の心や社会の構造を分析。それを理解した施策と科学的事実に基づく議論、誤情報を積極的に排除することの必要性を強く感じた。
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第1章 「情報災害」とは何か
メディアが「引き金」を引いた
デマや流言、風評は何故発生するのか
「神が去った」時代を迎えた社会
「情報過多」は「情報不足」と同じ
「寝た子は起こすな論」
活動家がデマや差別を再生産する
「嘘も百回い言えば真実となる」
第2章 複合的「情報災害」と福島
コロナ禍における「情報災害」とデマ
隠蔽、陰謀……テレビ報道による扇動
福島野トリチウムだけが害悪視
活動家の「反対」は何のため、誰のためか
福島と水俣の共通点としての「情報災害」
韓国の外交カードとしての風評扇動
陰に埋もれた「避難するリスク」
「ゼロリスク志向」が生み出す別のリスク
プロパガンダとしての「風評加害」
コラム:「迷信」が差別を引き起こした例
第3章 印象操作という「引き金」
「ほのめかし」報道は何を狙うのか
脱原発学習会報告「福島はレントゲン室と同じ」
差別が原因で福島空港発便がキャンセル
次世代への被曝影響を誤解させる記事
第4章 「情報災害」を記録するということ
福島を巡る言説は現場の声と乖離していた
「フクシマ」は忘却されるのか、消費されるのか
地域の「尊厳の喪失」から立ち上がるために
コラム:放置しても「情報災害」は広がる
第5章 「情報災害」と、その後
「情報災害」の長期的な影響を知る
「浜焼き文化」復活の軌跡――相馬
風評加害と闘った生産者たちの11年――南相馬
ホッキメシと私の故郷――双葉郡
終章 教訓は生かされるのか
マスメディアが「加害」に加担する構図
元首相5人が世界に放った独善の「正しさ」
「間違いの可能性」を含んで情報を伝える必要
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誰からの批判も受け付けつけず、ここまできてしまった第四の権力。メディア、報道。
福島を「フクシマ」、安倍元総理を「アベ」と呼び、人の不安を煽ったり、角度をつけた編集で、独自の正義を、デフォルトの正義に仕立て上げ、逸脱者を「追及」したりする姿は見るに堪えない。
丹念な記録で、そうした姿を露わにする著書。
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メディアの情報に振り回されない為には
一次情報にあたること。
一次情報を読み解く力をつけないといけない。
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テーマはど真ん中でそれ自体は正しいのですが、どうにも本として稚拙過ぎて、読み進めるのが苦痛で、低評価になってしまいました。割と高評価が多いのですが、私と同じように合わなければ時間の無駄なので切り替えてもらえればと思い、この評価で登録します。
同じ福島出身者として、3.11からの混乱・風評被害には著者と同じく憤りを感じて過ごしています。この本は、その想いが強すぎて、むしろ「毒」として作用してしまっているから性質が悪い。事実を正しく発信する重要性を説いているのに、やってる事は強い言葉で人を扇動するデマと紙一重。
徳間書店の校閲や編成力ってこんな程度なの?
・どんなことでも正しさと誤りはある。なのに、誤りだけを取り上げて、発信者を無責任だと断じること自体が無責任な論調
・冒頭で津田氏の「専門的な知識が必要な情報は素人判断できないから有益な情報は広め、定点観測し、誤りがあった場合などは訂正などアップデートしていく」というやり方を断罪しているのに、本書では「専門的な知識が必要な情報を然るべき人が広め、デマや誤りは訂正するようアップデートしていく」と同じやり方を推奨している
・当時の混乱が結果的に誤りであったことを、今の時点で断罪し、それによる被害を訴えているが、あの時点で世界に例のない災害に対して正確無比な情報を提供することは不可能で、著者の言い分に従っていたら、取り返しのつかない被害が出ていた可能性があり、であれば初動としては取らざるを得ない選択肢だったことを考慮していない
・「恣意的に選ばれ続ける「地元の代表」」という章があるが、内容は「マスコミが欲しい言葉を言う特定の人物が毎回代表として載っている」ことを批判しているのであれば、「恣意的に選ばれる」のはその対処法として正しいのでは?もしかして、「意図的」「作為的」な意味で「恣意的」を使っている?校閲もOKなの?
・散々、間違った情報を広めた人やマスコミを責めてきたのに、最後のまとめは「「間違いの可能性」を含んで情報を伝える必要」というオチはどういうこと?
これは、著者ではなく、編集が責められるべき本だと思います。もっとうまく著者の想いを世に届けられる本にして欲しかった。
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「まがいものの正義」がどこから来るのか、誰から来るのか、私たちはもう知っているはずなのに、どうして対策がとれないのだろう?
「情報」というあまりにも危険な代物を扱うには、それなりの訓練を受け、資格を持った者に限るべきなのではないのか?と思うが、言論の自由とぶつかるからダメなんだろうか?
「風評加害者」を効果的に取り締まらないと、いつか民主主義が成立しなくなるのではないかと危惧してしまう。
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p51 人は初めて知った情報よりも、馴染みがある情報を心理と考える傾向がある それゆえ、デマを繰り返し報じることで、その情報の受け手がそれを真理と考えるようになる
p105 水俣にせよ足尾にせよ、かつての公害病は、まず健康被害が先に起こり、当初は原因も不明だった。
しかし、福島でそもそも放射線そのものによる健康被害はおこっていないし、今後も起こりえない。
福島と水俣には共通点はある。無論、それは汚染による健康被害などでなはい。水俣と福島で共通するもの、それは深刻な情報災害である
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原発事故から日が経たないうちの生々しい数々の報道を思い返すことができた。
全ての報道に悪意があるとは思わないが、所詮メディアは自分たちが作ったニュースを見てもらいたいがために刺激的に着色していることを念頭に置かなくてはならないと改めて思った。
声を上げるべき人(原発事故であれば政府や福島県)がきちんと正しい主張をするとともにデマへの取り締まりも行うべきである。
私たちが情報災害に立ち向かうにはセンセーショナルな報道にこそ疑問を抱き、一次情報への接続を試み、メディアや著名人の主張に流されないことだと思う。
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福島の方のリアルな声。
もっと正確に言うなら無観客の東京五輪では悪化しなかった、では??あくまでわかっているのは。
何を書かないかで印象って簡単に変わる
「自分達が想像した虚構の中に閉じ込め支配しようとする意識であったと言えるだろう」
これあちこちで起こってるよなぁ…「○○のため」と自分が全く関係ない分野で正義感に駆られて活動して、実際の立場の人が苦しむ構図だったり、実際をよく知ることなく勝手に相手を下に見て、自分を上と錯覚するような。
いくら正しい情報が発信されていたとしても、有象無象ある中で見つけ出すのは本当に難しいと感じる。
この方は情報の取捨選択にある程度信頼をおけると思える人を各分野ごとに見つけ、その人が紹介してくれることで知識を広げられる。
でも出だしを失敗すると、沼にハマってしまう。
相手のためを思えと言いながら相手を傷つける言葉を発する。
正しい情報を見いだすのが難しい場合もあるけど、明らかなデマや偏見の場合、振り回されていない人がいても、その場合はわざわざ存在をアピールすることはなく、でもデマや偏見は相手に届けることを目的にしているから余計に厄介。
「日本の避難基準設定は、チェルノブイリの反省と知見もある程度踏まえた上で、ICRP(国際放射線防護委員会)が示した、安全とされる年間20~100ミリシーベルトの範囲の中で、住民の安心を最優先した年間20ミリシーベルトを避難の基準として採用した。」とかもそうだけど、この本を読んでやっぱり歴史とか流れを知ることって大事だなって改めて思いました。自分の無知を棚に上げないよう気をつけていきたい。
人って普段いかに無頓着でも、1度見えてしまうとどんな数値も冷静に見れなくなって意味がなくなってしまうものなんだな。世の中0・100じゃないのに。
肩に止まった虫がいなくなっても根絶やしにしないと気が済まないようなものだな。
値下げを要求されることを見越して、最初から落とし込みたい数値は出さずに余裕を持たせて提示するというような頭はどこにでも必要なのかもしれない。
すごく丁寧に書かれていて、同じ話が何回も出てきまくるのがちょっと疲れちゃいました。特にまとめは1回でお腹いっぱい…。
こういう天変地異的なことが起きるとこじれやすいもので、余裕がなくなると視野が狭まり、皆が敵に見えてきて、疑心暗鬼でより自ら分断を深めてしまうものであり、結局当事者以外ができる1番のことって黙って見守るしかないんじゃないかって思いました。実際のところなんて外からはわかりません。
復興の形は人それぞれとあるとおり、一人ひとり、目指すもの求めるものが違うもので、であれば自分で動くしかない。
それに、ゆかりがなければ他人事になるのは仕方ないと思うんです、だってそれぞれ自分の生活があるんですから。原発のことがなくても、他の何かしらに相対しているものであり、そちらにだって敬意は必要です。
んで確かにその後の情報を追う意識というのは大事だと思うんですけど、それぞれの人生には他にもいろんな物事が起きるわけで、日々��中で全部追うなんてまぁ無理ですし、だからこそこうやってまとめて発信する存在は大事になってくると思います。そうすればこうやって読んで知ることができますしね。いろいろな困難を乗り越えての執筆ありがとうございます。
制限された一部地域はどこを指すんだろ?とかの情報も一緒に書かれているとありがたい。
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ちょっと筆に熱が込められすぎているというか、「福島の風評被害を伝えなければ!」という思いが大きすぎるせいで、メディアに対する批判の言葉があまりに強く、かえって筆者の見える範囲が狭まっているのでは?と思ってしまった。(←実際にはそんなことはないのだろうけど、そういう風に感じてしまうような文体だった、ということです。)
本書では「フィルターバブル」という言葉が引用されながら、結局、その人が見たい・知りたいと思っている情報しかその人には届かないということが触れられていて、それ自体は納得できる。しかし、では、正しい情報が自分のところに届いたと言えるのはどういう状況なのか?という部分をきちんと論じていないのが残念。
そこを説明していないと、筆者がフィルターバブルに陥っていないとは言い切れないと思う。
タイトル「『正しさ』の商人」というのは、正しさを商売道具として金儲けしているメディアに対する批判だと思うが、私の目には、結局のところ、風評被害を流すメディアも、それを批判する筆者も、お互いが「自分の方が正しい」と信じているだけにすぎないのでは?と思うような箇所もちらほら見受けられた。
正しさと正しさの衝突という状況が、陰謀論や風評被害やフェイクニュースへの盲信に繋がっているのだとしたら、結局この本が根本的な解決を提示したとは言えないと思う。
メディアの無責任な報道や人々のそれに対する無批判な盲信が、福島の風評被害につながり、現地の人々をひどく苦しめたということを記したルポとして読めば十分価値があると思ったが、タイトルが大仰すぎる。
筆者が書こうとしていることと実際にこの本の内容とにやや乖離がある。
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「誤った情報により助かったはずの存在に犠牲と被害をもたらす災害」と定義する「情報災害」について、福島第一原発事故を事例とし、その構造と対抗する術を考察した本。
直近その存在を強く認識させられただけに、読み応えがあった。
この1ヶ月、処理水放出に対し科学的事実を恣意的に捻じ曲げ発信する人の存在が浮き彫りになったが、彼らの目的をこう記す。
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被害者や弱者を自分達の政治運動や商売の「内側」に取り込むことで自らは「代弁者」的な立場を手に入れ、その「当事者性」を使って自分達の反政府活動に利用することだ。
この目的を踏まえると彼らの本心は「当事者救済」どころかその正反対であることが分かる。何故ならば当事者が救済され「弱者」でなくなると、折角獲得した優位性が損なわれるからだ。
以下の分析でも彼らが当事者を加害する「風評」に対して関心が薄いことが指摘されている。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/b06a69badc65ea0451abdaa6e184b8b1ffef7bc8
このような心と行動の不一致は常人に耐えられるものではないが、彼らは装着した「正しさ」を掲げ多少の矛盾など気に止めることもない。
こちらから見ると完全に無敵の人であり、論を投げかけることすらも諦めたくなるが本書ではそれを是としない。
毅然とした態度で立ち向かい続けることを重要とし、成功例として以下を示す。
当時はこのニュースにつよい印象は持たなかったが、改めて見ると情報災害を鎮めた希望がある事例だ。
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元首相5人「原発事故で子どもが甲状腺がんに」とEUに書簡…政府は「誤った情報」と批判
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20220204-OYT1T50263/
触れる情報が増えすぎた故に安直なストーリーを軸として情報災害が発生するのであれば、曖昧な誤情報をひとつずつでも潰していくことが大切。
普段SNSに浸かっている身としても、迂闊な情報拡散で災害の一端を担ってはいけないなと身につまされる本だった。おもしろかった。
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色々な意味で本書を読めて良かった。
夫から「この本読む?情報への印象が変わると思うよ」と渡されて、前情報なくいきなり読み始めた。
本の初めから、著者は怒りながらこの本を書いている雰囲気を感じた。読み進めていくと、著者は福島出身の、原発事故で発生した風評被害・影響を受けつづける当事者であることが分かる。
風評被害・人間の心理・愛情と無関心・情報の性質・原発事故の教訓・・について考えさせられた。
何が真実か を知ることは簡単ではない
けれど自分が他人事として居るか居ないかの
違いが重大な要因だと思い至る。
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感想
リベラル知識層が弱者を取り込む。そこに情報災害の契機が生まれる。人を困らせる人より邪悪。だが保守層にも同じインセンティブはないのか。
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この本ができたことが良いです
ウェブの媒体ではなく、
本という形にまとまって
著者と編者とそれ以外の人との間の
コミュニケーションが結実したから
こういう形で本ができる
著者も言われているのだけど
実際に書けなかった部分には
どれくらいあったのだろうかなっと
想像していました。
誰かの思いがあって
それを言葉にする
事実は一つだけど
その人の思いが乗っかると
正しいって何が何だかとなってくる
「正しさ」という言葉だけではなく
Justice、Correctness
日本語だけで捉えきれない概念をどう表すのか?
自分の中の正しさは事実に基づいているのか?
その事実は科学に基づいているのか?
リスクゼロはあり得ないのだからこそ
そこにある事実の中で
何を受け入れていくか
どの商人からどの情報を買うのか
買っていることに気づいているか
紛い物の正しさではないところへ辿り着くために