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<目次>
第1章 歴史と人間
閑話休題 休息中の会話
第2章 歴史の「現場」
<内容>
2019年におこなわれた、鎌倉女学院高校での特別授業を文字化したもの。高校生相手に和気藹々と歴史を学ぶこと、歴史を知ることの意義を実例や自己体験を元に説いていく。自からの過去を語っているので、磯田氏の歴史好きの由来や古文書を読み取れるようになったいきさつも知れる。
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サクサクと読めて、まるで授業を受けているような錯覚になる本。
磯田さんが磯田さんである理由がよくわかります。
磯田さん曰く、歴史とは他者理解。
自分とは異なる誰かの了見を理解しようと思いを巡らせす作業だそう。
仕事や私生活でもその作業は必要なこと。
どんな学びも抽象化して自分の生き方に転用することが大事だと感じていて、磯田さんはとてもそれが上手い方だと思う。
教養は無駄の積み重ねという名言もこの本の中にはありましたが、まさに。
忘れてしまったような学びも次に出会った時に違う顔を見せてくれる、これが大事。
しかし、こんな先生が娘の学校に来てくれたらいいなぁ(まだ保育園生)
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2022/5/5
歴史に対する考え方を学べる、磯田先生の講義録みたいな形式。
高校生に行った授業をそのまま文章に起こしているので、内容もとてもわかりやすく、読みやすかったです。
どうして歴史を学ぶのかと言う問いに対する磯田先生なりの答えにとても納得してしまい、自分も好きなもの×歴史で調べてみようかなと思わされました。
過去の歴史を学んで何の役に立つのかと言う、現代の勉強に対する疑問への回答もあり、内容が太宰治のパンドラの匣に書かれていた内容と全く同じ共通点だったところも興味深いなと思います。
無駄を大事にできるようにならなければいけないという言葉を自分も大切にしたいなと思いました。
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歴史と人間
植木鉢の破片じゃなくて
空間や時間を飛び越せる動物
記号、シンボル、抽象化
3K=カミ・クニ・カネ
豚やトイレに歴史はあるか
歴史は実験できない
ある程度の法則性はある
矛盾が大事
教科書は平均値にすぎない
休憩中の会話
歴史の「現場」
ニセモノはなぜ生まれるか
一次史料と二次史料
すべてが史料になりうる
文字をもつ人・もたない人
革命思想と日本
これからは発想結合
比較・解釈・仮説
傲慢であってはいけない
教養とはムダの別名
一冊の本がさらなる対話を生む
ビリギャルもう一回勉強するよ(小林さやか×磯田道史)
教科書に載らない歴史に食らいつく!(外山莉佳子×磯田道史))
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歴史とは5W1Hを調べて因果関係を考える学問。
日本に住んでて日本の歴史を知らないのは恥ずかしい。一般教養として教えるべき学問で、そこから興味があることを深掘りすればよい!
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映画化もされた『武士の家計簿』の著者でNHKの歴史系番組への出演などでも有名な磯田道史先生による2019年6月11日に鎌倉女学院高等学校にて行われた特別授業の講義録と「ビリギャル」小林さやかさん及び名古屋のアパレルショップ店長で歴史好きの外山莉佳子さんとのミニ対談付き。
いわゆる歴史の授業ではなく、磯田先生による「歴史学」の講義で分かりやすく、かつ奥が深い。
どうしても学校の授業では暗記科目になりがちな「歴史」についていろいろな例えや事例を用いて解説してくれる。
印象に残ったのが、タイトルにもなっている「歴史とは靴である」、「歴史的にものを考えると、前より安全に世のなかが歩けます。歴史はむしろ実用品であって、靴に近いものではないか」
「時代小説」→「史伝文学」→「歴史小説」→「時代小説」の説明。浅田次郎さんが、「知り合いの会社の社長と社員の不倫をそのまま書けないが、江戸時代の町家とか藩の家老と女中さんの話にしたら書けるんだよ」という言葉にその違いがハッとさせられた。
「教養」とは「ムダの積み重ね」「年季の入ったムダ」、一回覚えて忘れた状態を教養という、最初から触れたことがない人間とでは雲泥のちがいがある(内田百閒のことばだそう)、このことは磯田先生は特に重視しているようで、巻末の小林さやかさんとの対談でも、「読んで忘れた状態を僕は教養って呼んでいるんです。あらゆる本を読んで、過去をさかのぼって、世間的にいう歴史を勉強しておくと、なにが起きてもどんな話になっても楽しめます。」と言っている。
歴史とは他者理解、自分と違う時空のヒト・モノ・コトを一生懸命理解しようとする営みである。自分を重ねすぎると歴史ではなく願望になってしまう、色見眼鏡になってしまい、自分が見たい歴史を見ようしてしまう。
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【概略】
鎌倉女学院高等学校の生徒さんを前に、歴史についての楽しみ方を語る。著者の言う「歴史とは靴である」とは、どういった意味なのか?歴史とは、事柄を一つ一つ覚えていくことを指すのか?史実の確認と、偽物を見抜くこと、そして偽物が発生したその裏側にまで思いを馳せること、本書を通じて、一般人が持つ「歴史」という言葉が、変わる。
2022年11月30日 読了
【書評】
「あぁ・・・この本を『面白い』と感じる人と、友達になりたい」と思ってしまった。同時に「磯田さんって、こんなに面白い人だったのか!」という再認識も。「英雄たちの選択」で拝見してて、興味があって。でも、著書を手に取ったのははじめてで。「磯田道史という人間をやっている」って、凄く共感!(もちろん、知識や教養、見識の深さ広さなど、足元に及ばないけれど)目の前にある「平面」だけで損得勘定(その事柄を知っておくべきかどうか)しちゃうことに対する嫌悪感がある自分にとっては、とてつもなく救われた気分になった。あ、でも・・・いわゆる世間一般の「普通の人」という物差しをあてると、評価は変わるかもだけど。でもそれは、ある意味、現代の方向性を既に具現化しているといっても、過言ではない。と同時に、「物事は、インスタントには成る(これこそ「なる」じゃなくて「成る」だ!)ことはないんだよ」という厳しい現実も、見せつけてくれてる。
そうなんだよね、「歴史」って、年号や人物、出来事だけで成り立っていないし、些細な事柄、そういったところからも歴史は紐解くことができる訳で。自分の興味あるものから裾野を広げていくということ、そして、その興味あるもので大成したいならば、歴史ってどんどん吸収していった方がいい、ということをわからせてくれる安心させてくれる。そしてそれは、皆で一緒に同じものを学ぼうという義務教育の限界を意味してる。これをマスで行う義務教育に落とし込む(着地点を探る)のって、大変だなぁ。
この本は、歴史上の何かの特定の事柄について深く学ぶ本ではなく、もう一つ抽象化されたものと、聴き手である生徒さん達の具体化されている心の琴線を、うまく結ぼうとするためにある本としてできあがったのだと思う。たとえば自分も含めて、毎日何かに追いかけられたり追い詰められたりした時に、または自分がちょっと「違うなぁ」なんて思ったことに取り組まないといけないような時に、どういったマインドチェンジをすればよいか?というヒントが散りばめられている気がする。無駄なものは何もない、というよりも、無駄なものの蓄積が教養であるのだということ、教えてくれる。
本書内で磯田さんが引用した内田百閒の言葉(多少、磯田さんがアレンジしてるみたいだけど)が響いたよ。「1回覚えて忘れた状態を教養という、最初から触れたことがない人間とでは雲泥のちがい」というもの。ここだけでも、この本を読んでよかったと思える。
久々に「人生のバイブル10冊 和書編」の入れ替えかな。
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司馬遼太郎:歴史とは、いろんな人の人生の集合体である。こんな人生で行った人がいる。あんな人生を送った人もいる。それを集めた集合体が歴史になる
歴史とは、その人にとっての過去のリファレンスであって、別に教科書や偉人・有名人の歴史に限ってものではないのです
短期的には、新技術が社会にひろがると、たいていは貧富の差が広がっています。これが歴史の教訓です