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でもジュリアンってすごく自意識過剰。自らにいろいろ課してすごく疲れる性格ネ。変なの。この小説の映画が見てみたいナ。ジュリアンはユワン・マクエガーだよね。確か。
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「彼はここで何をしているのか。ここが気に入っているのだろうか。人に好かれると思っているのだろうか。」(ロンサール)
「そして私は昇進した。私の力量によってではなくて、私の主人が神経痛になったから。」(ベルトロッチー)
「およそ偉大な行為で、それがはじめて企てられるとき、極端と思われないものがあろうか。それが成しとげられてはじめて、俗人たちに可能なことがわかってくる。」
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●ほんとに読み終わらない・・・・。
●なんとか夫人との恋に破れ(←いかんせんそのへん読んだのかなり前なんで、名前忘れました)、現在の彼はin花の都パリ。
相変わらずイナカ者っぷり炸裂。
雇い主の侯爵の令嬢に恋しております。
まったこの令嬢が、やたらと気まぐれ。
ジュリアンにハマってみたり、冷めてみたり、こう一貫性がないのよね〜。
賢い美女ってことになってるんだけど、いかんせん賢すぎてフツーの恋愛ができないタイプ。苦笑。
恋に恋してたところに、のこのこ出て来たのがジュリアン君。やれやれ・・・。
いちおう彼は、美青年で頭が良いと言う設定のはずなんですが。
この場合の「頭が良い」は、判断力があると言うんじゃなくて、知識があると言う意味の頭でっかちタイプ。
しかも、自尊心が人一倍高い野心家なわりに、ちょっと自身ありげに振舞っている他人を見ると、すぐに自信をなくし、「どうせどうせオレなんか、いじいじいじ(鬱)」モードに突入すると言う(苦笑)
通俗小説の主人公としても、お、おまえバカすぎるぞー!?
●そんなこんなで、いまだ三分の二弱。
そもそも、読み終わるのか・・・。(遠い目)
追記:
その三日後に読了。
ジュリアン君は、どこまで行ってもおばかさんのままでした・・・。
これが作者に似てるって、相当情けない人だったんだね、スタンダール・・・。
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一人の青年の人生を描くことで、スタンダールは神様の存在と世界の関係とか、形而下の世界での人間の姿とか、心の動き、
そういうものを描いている。
合点のいくことばかりじゃなかったが、
all the roads we have to walk are winding
all the lights that lead us there are blinding
ってことだよな、スタンダールさんよ。
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結局のところ、こういうオチになるのもわかる気がする。
それだけのテンション持った男だよね、ジュリアンって。
腹をくくった姿はなかなか男らしくて見直した。
しかし令嬢は気丈だ。
デュマの「王妃マルゴ」を読み返したくなった。
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ナポレオン没落後~七月革命前までの、反動的なフランスが舞台。
田舎の山奥の貧乏人の息子ジュリアンが学問に対する能力とものすごい野心を持って、遂には上流貴族の仲間入りをする話。
そこに至るまでの恋愛模様は上流の女性に恋?をして結局はその愛を勝ち得るというもの。
ジュリアンの恋愛の仕方はあまりにも理性的でその上自分が燃え上がってくると奪い取ろうとするような姿勢で共感が全く持てず、また上巻で出てきたそのパターンが下巻でもより上級社会でのステージで登場しているだけで、まったく同じことの繰り返しのように感じた。
そのため、下巻の途中までは「ああまたか」という感じで少し飽きていたのですが・・・
…まさかこういう結末になるとは、という感じでした。下巻の437ページで私のこの小説に対する評価が180度変わった気がする。やはりすごいねスタンダールは。フランス心理小説の最高峰と言われているだけあった。
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上巻の途中から面白くなってきたので、早く続きが読みたかった。
最後のシーンは非常に引き込まれるものがあった。
長かったが、最後まで読んでよかった。
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当時(高3?)は、情熱的な若者の恋愛小説、としか記憶がなかったが、
権威、権力に対する政治小説だったんだね。
時代背景を気にするようになったのは、20代になってから。
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色々読みとるべきところはあるんだろうけどやっぱり恋愛の描き方のすごさに目が行ってしまう…。描き方っていうか駆け引き(無意識)っていうか…。
アンナカレーニナのもっているようなキラキらしたロマンス要素は薄く、よりリアリティのある恋愛でした。
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(こうやって死の二歩手前のところで自分と語り合っていてすら、おれはまだ偽善者だ……おお、十九世紀よ!) 446
(…
一、おれは誰か聞き手があるかのように本心を偽っている。
二、もう余命いくばくもないおれが、生き、恋することを忘れている……ああ! レナール夫人がいない。多分、あのひとの夫は妻がここへ来て、ますます不名誉の上塗りをすることを許すまい。
このことが俺に孤独の感を与えるので、公正、善良、万能の、悪意なく復讐心に渇していない神のいまさぬことではないのだ……)447
「…あたしはあなたに、本当は神さまだけに対してもたなければならない気持をもっているのよ。尊敬と、愛と、服従の心のまざったもの……」(431f.)
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主人公ジュリアンがパリに向かう場面から始まる。この巻にはいると、レナール夫人とマチルドに対する愛が極めて対比的に語られる。前者では「自然」な感情が語られるのに対して、後者では勝利や支配、征服といった極めて策略的な関係が描かれる。もはや、後者の愛は偽善でしかない。
加えて、この小説は、フランス革命やナポレオン戦争のモチーフが大量に動員され、なおかつ、マチルドはジュリアンにユグノー戦争時の英傑たちの精神を見ようとする。しかし、実際にやっていることというのは、上流社会での駆け引きと恋愛沙汰であり、そこには議会での討論もクラブでの活動も戦争も存在しない。だから、マチルドとジュリアンの関係はただちぐはぐなもののように感じられる。――最後の数章でのレナール夫人とマチルドに対するジュリアンの応対の差は、このちぐはぐさの表現なのではないかと思われるほどであった。
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上巻に比べて下巻は読むのがしんどかった。ジュリアンも高慢だけど対するマチルドも鼻持ちならない高慢ちき。お互いプライドばかり高くて相手を振り回すことにゲームみたいにムキになって、あまりいい印象を持てない。不倫だけどレノール夫人との関係のほうがむしろ微笑ましい。
ラ・モール侯爵の秘書になってからはジュリアンの人生、マチルドの件を除いてトントン拍子に進んでいた。けど転落も早かった。あれだけ野心を持っていた男が生きる気力をすっかり無くしてしまう様もなんだか解せない。
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まさにカオスというに相応しい小説。村上春樹のいう総合小説とは、ドストエフスキーのようにその時代の流れのようなものを掴み、物語という形に変換することでその一切を語り尽くすというものであるが、赤と黒を敢えて何かの枠組みに当てはめる試みをするのであればこれは総合小説ではなく、むしろその時代にあるものをさながらイギリスの自然公園のようにそのまま移し込んだといった具合に感じる。それは不可能のようにも無意味のようにも見える。しかしながら、スタンダールはこの所業をやってのけた。出版当時人気が出なかったのは当時の人々にとっては少しも夢を感じなかったからではないだろうか。夢の中で現実を見ても大して嬉しくないのだ。だが、スタンダールは貴族、聖職、第三階級の関係性を綴るとともに男女の愛を描き、その2つの軋轢から生まれる自尊心と野望の滑稽さを浮き上がらせている。そして、その事象は単なる偶然で片付けるものではなく、階級から生まれる問題であることを多義的に表している。スタンダールの小説が後から賞賛を浴びるようになったのは時が経てば経つほどその問題の根源が理解されるようになったからではないかと感じた。
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家庭教師、神学校の第一部もいいが、加速度的におもしろいのは侯爵の書生となって、社交界デビューする第二部。舞台がぐんと華やかになる。
出世するし、叡智はあるのに、生まれが悪いせいか、とことん性格が暗いジュリアン。なのに、持ち前の美貌を武器に、貴婦人、ご令嬢などを瓔珞していく。一歩間違ったら、安っぽいハーレム小説まがいなのだが、主人公がまったくの悪で女たらしではないので好感がもてる。
ラストの処刑前後が圧巻。国王までギロチンにかけた国なのに、王政復古で階級制が息を吹き返す。しかし、主人公を死に至らせたのは格差社会だけなのだろうか。別訳で再読してみたい。
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切ないねぇ。どんなに身を立てたくても、
もともと身分もないに等しい彼を
フランスの社会は受け入れてはくれませんでした。
彼の心にはナポレオンの野心がありました。
しかしながら、身分を重んじる階級には
それは敵としか映らなかったんですよね。
だからこそ狂乱の中殺人を犯したジュリアンは
死の道しかなかったわけで。
二つの恋が出てきていたけど
本当の恋は禁断の愛の方なんだよね。
マチルドとの恋はいわゆる策略だからね。
でも、確かにジュリアンは愛したのよ。
だけれども、身分の違い、
思想がそれを許してはくれなかった…
せつねぇなぁ。