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〇ひめゆり学徒隊であった“ももちゃん”の体験。
遠かった“戦争”が目の前で繰り広げられたとき。
どうやって反撃するかではなく、どうやって戦争を回避するか起こさせないか、やめさせるかをすり切れても考え続けないといけないのではないか。
〇沖縄について考える。ホンドのヒトは、いまだに沖縄と向き合っていないのではないかと振り返り思った。
◎今から百年前、南の島、沖縄で生まれた女の子の物語
1:紙のピアノ
三人姉妹の末っ子ももちゃんはお勉強が苦手で引っ込み思案。お母さんはももちゃんに、「勉強しなさい。先生になりなさい。」と口やかましく言います。お父さんが作ってくれた机に紙にかいたピアノの鍵盤をはって歌うことが大好きでした。
世間では戦争のかげが色濃くなっていきました。
〇兵隊さんを見送ることの意味を知りはじめる。『銀波』と出会う。
2:グランドピアノ
ひめゆり学園にピアノ弾きたさに合格したももちゃん。
音楽の東風平先生がももちゃんたち音楽好きな生徒たちをのびのびと育てていきます。
しかしアメリカ文化は敵の文化だと、さまざまなものが禁止されていきます。
男子校での音楽会。
沖縄が戦場になる。
〇10代の子どもたちが、人を殺せと歌わされる。
〇地理の島袋先生、国語の「神さま」先生
3:みかん箱のピアノ
ひめゆり学園の生徒たちに戦場で仕事をするよう命令がくだされる。
学校では厳しかった先生たちが、生徒たちを元気づけるために陽気な歌を歌ってくれる。
みかん箱をピアノに見立てて練習する。
軍の病院での卒業式の歌は東風平先生のつくった『相思樹の歌』ではなく、『海ゆかば』だった。
感情が摩耗していく毎日。やさしい貞子先輩の最期。
初子ねえさんと愛子ねえさんの幻。
東風平先生からの言葉「生きろ」
ひめゆり学徒隊はアメリカ軍に完全に包囲された陸軍病院を追い出される。
辿り着いたガマで、兵隊に「殺して!」と詰め寄る生徒、「出ていけ!」と生徒たちを逃がす兵隊。
〇悔しさと生への渇望と洗脳された死への焦がれと。
〇自身も極限状態のなか、子どもたちへの言葉や大道や願い
4:月明かりのピアノ
アメリカ軍の捕虜として。
死の恐怖からのゆるやかな解放。
司令官の遺言で失われてしまった命。
沖縄本島の住民の3人に一人が亡くなった。
一人ぼっちになり小学校の先生となったももちゃんのもとにホンドに避難していたお母さんが幼い弟妹を5人連れて戻ってきた。
家族のために米軍基地で働き、教会のピアノを弾けるようになる。
〇先生方も若かったことを思う。
終曲:心をつなぐピアノ
結婚して子どもか生まれ、上京する。
やがてパートナーがももちゃんのためにピアノを買ってくれる。
70歳になり、同窓生のお友だちと『相思樹の歌』を伴奏し歌う。
〇打ち上げ花火の音が苦手なももちゃん。きっとそんな人がかつては多かったのだろう。
花火の音にふるえる人が、いない世になって���しい。
画家より
「戦争」ってなんだろう
戦争を繰り返さないためには、どうしたらいいんだろう
戦争について、聞いてみよう。話してみよう。考えてみよう。
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2022年に94歳になるももちゃんこと、上地百子さんの人生。
沖縄で生まれ育った小学1年生のももちゃんは、早生まれで同級生たちになかなかついていけなかったけれど、ピアノが大好きだった。
4年生になった頃に日本は中国と戦争を始め、近所のお兄さんが戦争に行ったきり、帰ってこなかった。
12歳になり、ももちゃんは憧れのピアノの演奏を初めて聴いて、大好きなピアノを弾くために一生懸命勉強をして、14歳のとき、無事にひめゆり学園に入学することができた。
ピアノの練習をさせてくれた東風平先生との交流。
戦争で勉強どころではなくなり、兵士たちが戦うための準備の手伝いから、傷ついた兵士たちの看病を任されることになったももちゃんと、ひめゆり学園の生徒たち。
沖縄戦で劣勢になっていく状況、毎日死んでいく誰か、次は自分の番かもしれない、捕虜になる前に死ねという政府の教えと、生きろと言ってくれた東風平先生。
政府や部隊に見放された看護隊であるひめゆり生徒。
海沿いに逃げたももちゃんたちと兵隊さんたちの会話。
アメリカ兵に捕虜として捉えられ、収容所で過ごした日々と、終戦と同時に知る父と姉たちの死。
ももちゃんはまだ17歳だった。
一番楽しい時期を大変に過ごしたももちゃんの人生。
この時代に生きて死んでいったももちゃんだけじゃない人たち。
戦争は絶対にいけない。
ひめゆり平和祈念資料館に、いつかまた行きたい。
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沖縄への襲撃は1945年3月23日。同年の3月10日に東京大空襲があった。沖縄戦は約2週間後の出来事だったのか…生きたくても生きれないことは本当に辛いこと。主人公のももちゃんがピアノで外国の曲を弾きたくても禁止されていた時代。想像するだけで辛い時代。
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ピアノが大好きな女の子が、ひめゆり女学校に入学してこれからというときに、沖縄に戦争がやってくる。先生の「生きなさい」という言葉や、追い詰められた女学生達と日本兵のやりとりが印象に残った。子どもたちが沖縄戦がどういうものかを知るのにとても良い本だと思う。
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ドキュメンタリー映像作家の柴田さんが、2004けらひめゆり学園から戦争に行き生き残った人たちの体験を聞いて記録していた。2006年に完成したのが長編ドキュメンタリー映画『ひめゆり』。こよ映画完成後もひめゆりの皆さんに人生(生まれ育ちや戦後のこと)を聞いていた。
その中の与那覇百子さんの話を2022年に本にしたもの。
百子さんと著者はピアノが好きで盛り上がったそうです。多くは戦時下のももちゃんがえがかれているが、ももちゃんの1年生からおばあちゃんになるまでの話。
ももちゃんは1年生、勉強が嫌いです。それには理由があります。ももちゃんは3月28日生まれで周りの子より幼いので、勉強についていけなかったのです。しゃべるのも上手に出来ず、休み時間にはいじめられることもあります。そんなももちゃんですが、音楽の時間だけはのびのび出来ました。紙のピアノで練習して学校へ行ってオルガンをひくと、友だちが集まってきます。仲良しが増えももちゃんの引っ込み思案は治っていきました。
ももちゃんが小学校4年生の時、日本は戦争をはじめました。
戦争が始まって3年、ももちゃんは12歳になりました。二人のお姉さんはひめゆり学園に通っていました。ひめゆり学園で音楽発表会に行って、そこで銀波(ぎんぱ)を聞きます。ももちゃんはうっとりします。グランドピアノが弾きたいために桃ちゃんは姫ゆり学園に入学する勉強を始め見事お姉ちゃんたちの通う学園に合格します。
(東風平)先生と出会います。そしてピアノを教えてもらうようになります。
ももちゃんは銀波、ソナチネ第1番、月光の曲に感動し、ピアノを引き続け、音楽に支えられます。
捕虜にならずに死を選べと教えられて、それが当然だと思ってしまう、大人たちと子どもたち。
その一方で生きろと教えてくれる大人がいた事が救いだ。英語の先生の「自己を大切に事故に忠実に。そして他人を手段にしたり、犠牲にしたりしてはいけないよ。また、他人のために自分が犠牲になってもいけないんだ。」
この言葉は人権そのものだ。
戦争の悲惨さ特に沖縄戦の悲惨さと、ももちゃんにとってはピアノが生きる糧だったことがわかります。