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私は高校生くらいのときに横溝正史の小説と、横溝正史の金田一エッセイを読んでいました。
金田一耕助エッセイを読み返したいけど題名忘れちゃったなあ、挿絵は和田誠だったのでこちらのようです。
https://booklog.jp/item/1/B000J8JX1A
しかし現在手には入らず、検索げ見つけたのが「柏書房 横溝正史エッセイコレクション」全三巻。そしてこの『真説横溝正史』こそが私が再読しようとしたエッセイでした!
文庫本一冊分のエッセイを読み返そうと思ったら、単行本7冊(エッセイ3冊、由利先生4冊)に増えちゃったよーー笑
本って仲間を連れてきますよね。今回も探していたエッセイが「仲間も連れてきちゃった★」と言われたら、みんなまとめて面倒見る(読む)しかない 笑
横溝正史は、湊川近くで楠公祭りの日に生まれたので、マサシゲ公からケが三本足りない「マサシ」と名付けられた、ということ。
作家になってから先輩に「セイシ」と誤読されたので、ペンネームはセイシにしたということ。
横溝正史が70歳超えてからなぜか金田一耕助物が再ブームの大ヒット、角川春樹事務所(かなりパワフルな若手として書かれている。うん、パワフルすぎるくらいだったよね…)による映画も当時の興行成績世界記録を作るほどの大ヒット。横溝正史のところには金田一耕助へのファンレターも来る、しかも若い女性からのものが多かったそうです。
金田一耕助が登場した『本陣殺人事件』は昭和12年で日中戦争勃発の年。この頃は実際によれよれ和服で髪ボサボサの若者というのはたくさんいたらしい。そのためか、初期の金田一耕助映画では様相のパリっとした金田一耕助(片岡千代蔵とか。たしかに格好良すぎる)として描かれていました。
それが年数を経て世間から和服が珍しくなり、いかにも純朴でお金とも女性とも縁がない金田一耕助は「かわいい」として大人気になり、ヨレヨレボサボサもトレードマークとして定着したようですね。
なお、映画化においては原作者の意向はまず考慮されないのが当たり前だったらしく、「原作と犯人が違うのは『原作読んだ人も驚かせる』という意気込みを感じてまあいいけれど、できれば原作通りにやってほしいなーーという気持ちがある」ボソっと書いています 笑。
さらに映画の宣伝で「女優の〇〇が連続殺人鬼を演じる!」という見出しで売ったり、その女優さんも「犯人役やります」と発言したり、現在では絶対ありえん宣伝が普通に行われていたようだ笑・笑・笑
海外や日本の推理小説や作家についても色々語っています。
戦時中は横溝正史たち作家の書くものにも制限させられていました。捕物帳である『人形佐七捕物帳』は、いろいろな女性に声をかけたり、親分をからかったりするのがけしからんと言われ、断筆せざるをえなくなったようです。江戸川乱歩も、大衆人気の本を絶版させられてしまったとか。
横溝正史は、作家として政治や軍事に協力要請されたら一家心中しようと、戦時中は青酸カリを隠し持っていたのだそうです。
そんな日本に対してアメリカは<むこうの兵隊さんは探偵小説をポケットに戦い続け、ついにこの国の本土にまで乗り込んできたのである。(P112)>ということ。
そして終戦に際して「これからだ」と思いを持ち、青酸カリを廃棄して、本格推理小説一本書いていくことを決意します。
私は日本人では戦時中、戦後世代の作家が好きなのですが、このような死が身近であり、突然無くすことが当たり前であり、しかしそれでもなんでも生きていくことができる突き抜けた逞しさも感じるのです。この世代の作家の小説は、不幸不運がただ小説のための絵空事ではないと感じるし、その反面人間の生きる力も感じるんですよ。
閑話休題。
戦後に発表した金田一耕助ものの大ヒットは、横溝正史が岡山県総社市(『悪魔の手毬唄』の舞台)に居住していたことが功を奏したようです。同じ頃東京では作家たちが集まり「探偵小説とは、推理小説とはこのようであらねば〜」と喧々諤々を繰り返していたということ、岡山県に潜んでいた横溝正史にはそのような周りの声が聞こえなかった分好きに書けたんですね。
推理小説に対しては「二回読むこと」としているそうです。一回目は話を追って楽しむ、二回目でここにヒントが!など感服する。
<探偵小説というものはトリックの文学である。作者が構成したトリックを読者のほうではなんとか早くかんぱしてやろうとういうのが、本格探偵小説を読む醍醐味であろう。したがってトリックが分かってしまえば、ああ、そうだったのか、まんまと引っかかったわいとか、あるいはその反対に、なあんだ、やっぱりそうだったのか、そんなことなら初めから分かっていたよ、ざまあ見ろい、で済む文学ではないか(P134)>ということ。
描写、語り口などももちろん大切だけど、結局はトリックの奇抜さ、面白さが物を言うと思っているそうです。
それなら読者としては、本格探偵小説では面白いを読み取って愉しめば良いんですよね。
金田一耕助と横溝正史について。
「金田一」という名字は、当時横溝正史が住んでいたご近所にアイヌ研究家金田一京助先生の弟さんが住んでいて、「金田一」の表札が気になっていたんだそうです。
私も最初に「金田一耕助」の名前を聞いたときに「辞書に書いてある金田一春彦と関係が?」と思っていたのですが、本当名前の元になっていました!京助先生は「金田一耕助のおかげで、名字を誤読されなくなった」と言っていたようです。
性格や身なりについては、横溝正史の色々なお知り合いから混ざったて出来上がったということです。
どうやら作者の前に現れる登場人物というのはいるようで、横溝正史にとっては金田一耕助がそうだった様子。金田一耕助は「どうやら私より十くらい若いらしい」ということで、「3年に一度くらい遊びに来る」「彼は私を『成城(横溝正史の住居)の先生』と呼び、私は彼を『耕ちゃん』と読んでいる」「うちに女性からのファンレターが届いたから耕ちゃんに見せたら照れていた」という仲なんだそうだ。
そんなに親しいお付き合いをしている作者と主人公だが、やはり主人公の運命は作者が決めなければいけない。
金田一耕助の最後の事件は『病院坂の首縊りの家』ですが、これは最初の事件は未解決で終わるが(重要証人が渡米して話を聞けなくなった、とかだったかな)、二十年後にまた事件が起こり金田一耕助がまとめて事件を解決するというもの。
この時作者である横溝正史は75歳くらいで長編を書き上げたのはもう十年ぶり。金田一耕助も、『病院坂』前半では40歳くらいだが、後半で解決した時には60代、等々力に至っては定年退職後。
書きながら横溝正史は「これ以上金田一の老いた姿を晒したくないorz」「さすがに自分も年だし、自分が書けるうちになんとかしなくちゃ…」と思って、金田一耕助の運命を「米国に渡って行方不明になりました」にしました。
しかし新たな宣言もします。
<金田一耕助ファンよ、ご安心あれ、金田一耕助を主人公とする小説はこれで終わったわけではない。私自身は十年以上もスランプが続いて筆を取らなかった時期がある、しかし金田一耕助はその期間も活躍しているのである。幸い金田一耕助はアメリカへ経つ前、それらの資料を全部私に託していったので、私は今後も金田一耕助物を書き続けて行くつもりである。それがせめてもの金田一耕助への手向けでもあり、私としては七十五歳への抵抗だと思っている。P127>
<金田一耕助もかなり気紛れらしいから、行方知れずになりにけりと思っていたのに、ある日、突然、票然と帰ってこないとも限らないのだからご安心を。P30>
そのため、『本陣』から『病院坂』は、金田一耕助はなんとなく年を取っているけれど(年表を作ると矛盾もあるらしいが/笑)、その後発表した作品は「年齢不詳」としているようです。
そんな金田一耕助物で評価が高いのは①獄門島②本陣殺人事件③犬神家の一族④悪魔の手毬唄⑤八つ墓村 らしい。
それに続く自薦として、売上も込みで考えると⑥『悪魔が来りて笛を吹く』⑦仮面舞踏会』⑧『三首塔』⑨『女王蜂』⑩『夜歩く』あたりかな、ということ。
ああ、読まなければいけない本がどんどん増えていく〜