最終章4章が一番興味を持てた
2023/07/26 19:25
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投稿者:とらとら - この投稿者のレビュー一覧を見る
見ている映画も見ていない映画もあるが、本の内容は分かりやすかった。3章までは、それぞれ70年代、80年代、90年代のアメリカの映画と、その映画に映し出されているアメリカの社会のことや歴史を語っている。最後の4章は、日本のことも交えて、また、現在のことも含めて(ちょっとだけだけど)語られていて、一番興味を持てた。
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その時代のアメリカの象徴としての映画が紹介され、出来事を回想する。60年代ならば、ベトナム戦争や反戦運動、ヒッピー映画である『イージー・ライダー』のような。果たしてサブカルチャーと言っても、アメリカにメインカルチャーなんてあるのか。美術や絵画、演劇などのクラシックな文化は欧州にはあり、フランスのジャンリュック・ゴダールが、日本はアメリカばかり見ているが、本当は欧州の方が相性が良いはず、という意味が分かる気がする。若いアメリカは物語が欲しくて、無理矢理、西部劇をシンボリックに語り、年代を象徴する若者のシーンを映画と共に発現してきた。そして、このカウンターカルチャーさえ、それより上の世代が消費社会に飲み込んで収益化しながら食べ尽くしていくというのが、リアルなアメリカの姿だという気がする。
本著でも紹介される90年代の『トゥルーマンショー』は私も見たが、リアリティ番組の中で、それとは知らされずに、自らの人生を観衆に見世物にされる主人公。彼の生きる世界は戯曲で、登場人物は全て役者だ。観察者が、誰かのリアルを娯楽として消費する世界。仕掛け人である支配者、知らずに支配される演者、それを消費する外の人。この三角構図がまさに、アメリカだ。
このリアルを食い物にしていくカルチャーは日本のテレビショーにも取り入れられ、木村花の自殺に繋がる。海外でもto catch a predatorという番組で淫行のおとり撮影で引っかかった男をお茶の間に放映し晒し首、偽善を尽くした故に自殺に駆り立て、裁判沙汰になった。消費というものは、ニーズを演出して欲望を誘発する事で他人の余力を搾取する手段であるから、リアリティ番組は、まさにテレビショーとしてマッチポンプの小単位だ。この単位を大きく若者全体に広げて一網打尽に搾取していくという年代別のシーンが、アメリカ文化だったというと言い過ぎだろうか。
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サブカルチャー史というより、映画で辿る各年代におけるアメリカの社会観についてといった感じ。
一方で、映画が文化的素地の表象に足りうるのも事実であって、その時代を生きた筆者陣の境遇からは当事者としての意識や、外部から見逃されがちな出来事についてのアクセスを促すし、そもそも時代を代表する映画作品について遍く触れるでもなかったので、これを機にいくらか試してみたいとも。
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切り口は面白く悪くはないが、映像作品を言葉で表現することの難しさを感じた。タイトルもちょっとミスリードっぽい気がする。
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60年代後半から90年代までの米映画史を取り上げたNHK番組のまとめ+αの内容で番組の復習にはなる。ポイントとなるのは+αの4章で、日本が米映画に象徴される米文化をどう受容したのかというのが問題になるはずだが、思想問題等々にまで風呂敷を広げすぎてしまい論点が定まっていない。そもそも米思想の「反基礎付け主義」は、南北戦争を契機としてスタートしたプラグマティズムに起源があるのだが、その辺の認識に欠如しているのか議論がおかしくなっている。
もっと素直に米映画の受容について端的に語ればよいと思うのだが、著者にはその知見がないせいか、これまでの知識や関心で大上段に書いてしまうとこうなってしまうのだろう。興味深いテーマなだけにこのようなまとめは残念である。本人が無理なら誰かこの辺の研究をしている人を探して、書籍化か番組作りをしてもらいたいものである。
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アメリカの歴史をサブカルチャー(映画)から紐解いた面白い作品。
70年代のニクソン、ヒッピーの時代とスタウォーズやゴッドファーザー
80年代のレーガン(小さな政府)とトップガンやスピルバーグ
90年代のITとバットマンやタランティーノ作品
何気なく観てきた映画に新たな視点を追加してさらに面白くしてくれる本。
個人的に、サイレントマジョリティが南部保守や北部の工場労働者たちを指していることが初耳で、欅坂の曲名の深さも改めて知りました。
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その時代のアメリカの象徴と映画を結びつけて時代背景を回顧する本になります。
切り口は悪くないのでしょうが、なんかこじつけ感が伝わる部分もありました。
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NHKの番組を書籍化したもの。60年台から現代まで、政治や社会の状況を、サブカルチャーの変遷から比較分析したもの。サブカルチャーはカウンターカルチャーであるから、カウンターの向こう側の「正当なもの」の写し鏡であると考えると、このアプローチはとても面白い。むしろ、身近な出来事であり、共感しやすい。その時々で流行したもの、人々の支持を得たものがなんなのか、その理由は。今はやっている音楽や映画を、こんなふうに見ると、社会の理解が多面的になってとても良い。
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イージーライダーより
自由を、語ることと自由であることは違う。本当に自由な個人を見ると彼らは怖くなるのだ。
ウォール街 強欲は善だ
パルプフィクション
バラバラに割れたガラスを元に戻すかのような手法。
アメリカの90年代
みんなが同じものを見ていたと回顧できる最後の時代
カルチャーもまた100万人が好きなものと100人が好きなものに分断してしまっています。
9.11が90年代の終わりと言いきれなくなった。リーマンショックもコロナもあった。ソーシャルメディアは生活を一変させた。
ラッファーカーブにかけたレーガン
90年代アメリカは、すべてポストポストポストだった。ただし、それが何かの「あと」であることは分かっても、それが何であるのかを人々が分かっていたわけではありませんでした。
大陸は、近代を否定しない。近代を伝統として敬意を払いつつ、批評的に吟味しようとする。近代を捨て去ろうとしない。
アメリカは捨ててしまおうとする。
日本の雑種性。純粋を求めようとしないしなやかさ。