紙の本
混迷のミャンマーを知る
2022/08/21 10:13
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投稿者:ニッキー - この投稿者のレビュー一覧を見る
ミャンマーは、軍事政権の独裁と蛮行で混迷を深めている。そのミャンマーの現代史を太平洋戦争直前から現在まで分かりやすく、まとめられています。教養入門書です。
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民主化・自由化・市場経済化してこれからというミャンマーが、なぜクーデターによってまたも軍事政権時代に逆戻りしてしまったのか。このような疑問に答えるために、ミャンマーの現代史と現在を解説する新書、本文は約280ページ、序章・最終章を含めて全八章。
本書が扱うのは主に1988年から23年間続いた軍事独裁政権から、「上からの民主化」時代を経て、アウンサンスーチーが最高権力者の座に就いた短い五年間を挟み、2021年のクーデーターで再び軍事政権に逆戻りするまでの約34年間。日本軍に抵抗した戦時中など、それ以前の時代についても必要に応じて部分的に言及される。
本書が取り扱う主な期間はスーチーが政治活動を開始して以降と重なり、四つの時代とともに、スーチーを含む四人の最高権力者たちを中心に語られる。
1988~2011年:タンシュエ
2011~2016年:テインセイン
2016~2021年:アウンサンスーチー
2021~現在 :ミンアウンフライン
26年もの間、国家元首だったタンシュエについては、著者からも「世界で最も目立たない独裁者のひとりだったかもしれない」とされるとおり、就任期間のわりには影が薄い。タンシュエ時代は「収奪的で低位安定型の経済が持続」し、「民主化や経済成長が進んだ東南アジア諸国を尻目にミャンマーは停滞した」と評される。元首が寡黙だったことを除けば、典型的な軍事政権時代といえそうだ。
2011年に開始された民主化への「上からの移行」とともに、タンシュエに推されて大統領に就任したテインセインの活躍は、タンシュエやその後のスーチーと比較しても目ざましい。就任前は国のナンバー2ですらなく、期待は高くなかったというテインセインだったが、「政治、経済、社会、外交、あらゆる面で、ミャンマーはほとんど別の国になったかのようだった」とされる2011年以降は、テインセインの柔軟性と決断、指導力によってもたらされたものといえそうだ。
つづいて、ついに、スーチーが率いる国民民主連盟(NLD)が総選挙で大勝して与党となり、スーチーが実質的な国家元首の座に就く民主政権時代へと移行する。スーチーの時代は地方への民主化の浸透といった変化もあったが、テインセイン時代に比べるとロヒンギャ危機を含む少数民族の統治の失敗を中心に、期待が高かったスーチーへの失望の声も多かったことがわかる。また、憲法上、軍部の意向が大きく反映されるミャンマーの法制度もあって、軍部、民間の支持者、国際社会の板挟みに苦慮していた様子も窺える。
最後に、昨年のクーデターで選挙結果の無効を訴えて大統領に就任したミンアウンフラインについては期間も短いため情報量も少ないが、野心家としての一面や、民主勢力への弾圧下における巨大仏像の建立といった行動からは、自己顕示欲の強さを印象づけられる。
本書を通して、ほとんど知識がなかったミャンマー現代史の基本的な流れに触れることができた。圧倒的な長期間を民主的勢力ではなく、四度ものクーデターを成功させてきた軍部によって統治されてきたミャンマーにおいては、むしろ2010年代の急激な民主化が浮き上がってみえてしまう。この点、ミャンマーの���主化は「強権的な統治者の誤算」によって進んだという著者の分析がしっくりとくる。併せて、軍幹部出身である「上からの民主化」後の初代大統領テインセインが予想以上に民主化への指針が明確なうえに優秀であったことがミャンマーの急激な民主化に拍車をかけたようだ。統治者としての功績としては、明らかにスーチーより、このテインセインのほうが目立っている。
スーチーについては初めから軍部との軋轢があったうえに、周囲と自身の双方によるスーチーへの期待が高すぎたという著者の指摘に納得する。国際的な非難にさらされたロヒンギャ危機については、国内のマジョリティに配慮した指導者の立場としてはやむを得ないといった見方もできる。軍部を弱体化させるための性急な方針も災いしたかもしれない。ただ、そもそもミャンマーの民主化がスーチーという一人のカリスマに依存し過ぎてきた側面は否定できなさそうだ。スーチーというアイコンが旧態依然とした性質の軍部を結果的に刺激してしまった点も大きかっただろう。個人的には、民主化勢力はスーチーを国家元首ではなく、あくまで象徴的な立場に戴いたうえで、実質的な為政者を別に立てることができれていれば2016年までの民主化を途切れさせない展開もありえたかもしれないとも思えた。
序章の時点で著者が「この国がクーデター前の状況に戻ることはない」と断言するとおり、ミャンマーの民主化への早期の復帰は困難であろうことが読み終えて実感できた。度重なるクーデターの成功と長期にわたる軍事政権によって、軍部中心の社会と政治が定着しきっている国の性質そのものが、ミャンマーの民主化を阻む要因として大きく立ちはだかっていると理解した。ただ、周囲の東南アジア諸国が民主化し経済成長するなかで、ミャンマーただのみ、軍部に牛耳られる状況がつづく理由についてはわからない。地政学的に中国をはじめとした大国に影響されやすい点などは指摘されているが、他の東南アジア諸国でも同様の条件の国はある。他国と比べて極端に民主化と経済発展が遅れるミャンマーの特殊性については、結局は歴史的な偶然の積み重ねの結果と思えなくもない。
終章で提示される、日本によって可能なミャンマーへの支援は、ミャンマーを一気に民主化へと動かすような劇的な内容ではなく、漸進的で現実的な提案となっている。「政府も企業も、ミャンマーの実態に目をつぶってはいなかっただろうか。もっといえば、ミャンマーのような困難な国と付き合う覚悟が欠けていたのではないだろうか」という指摘はもっともだと思える。東南アジア最後のフロンティアという「バスに乗り遅れるな」という、掛け声だけが虚しく残響しているように感じる。
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ミャンマーについて軍事政権がクーデターを起こして何回も政権を取る、といった経緯を明らかにした本である。科研費を使った研究成果の本であるために、一般向けよりもより専門向けである。ミャンマーについての卒論執筆では基本書となるであろう。
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朝日新聞2022910掲載 評者: 三牧聖子(同志社大学大学院グローバルスタディーズ研究科准教授,国際関係)
日経新聞2022101掲載
朝日新聞20221022掲載 評者: 藤原辰史(京都大学人文科学研究所准教授,農業史,環境史)
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現地で滞在したときに民主化の影響を「道路のアスファルト工事」に感じた。ということに深く頷けた。民主主義の重みを感じる。こうした部分にも着目し、丁寧にミャンマーの現代史を追っていてよくわかった気分になれる。しかし、スーチーの功罪のうち「罪」についての記述はなぜかあいまいというか、ぼかされたままであり、このぼかし方がミャンマーの風土を反映させたものかと勘繰ってみたり。良い意味でも、批判的な意味でも余韻の残る一冊。
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1988年の反政府運動とそれに伴う軍によるクーデターから民政移管、民主化を経て2011年のクーデターに至るミャンマー現代史を描き、今後を展望。
2011年のクーデターをもたらした背景について理解を深めるとともに、ミャンマーの厳しい現実を認識した。カリスマ頼みの急激な民主化の負の側面についても思い至らされた。それにしても、認識の歪みから自国民にも平気で銃を向ける軍は本当に酷いと感じる。
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1988年から2021年のクーデターまでのミャンマーの現代史を描いた本。
軍部と民主化を目指す団体との対立という単純な構造ではなくて、軍内対立や、少数民族、欧米、ロシア中国の思惑がこんがらがって現在の状況となっていることがわかる。
この本を読み終わっても、何が正解かがわからなくてもやもやする。
例えば、統治の形。独裁はトップ次第な部分があって不安定だし、政党政治は党派争いばっかりして自己利益追求してしまう。
独裁から民主化に舵を取るにしても、急に軍人ポストを減らすと実務が滞るし、残してても軍事政権イメージが拭えない。
クーデターという結果になる前にどうしたらよかったのかってのを考えさせられる。
ミャンマーの現代史ではあるけれど、他の国や自分の会社にでもそれとなく当てはまりそうな普遍的なケースに思える。ミャンマーってどうしてこうなったの?っていう疑問は解消されるけど、これからどうしたらいいんだろうと新たな疑問が出てきて、考えさせられる本だった。
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ミャンマーの過去と現在、今後の示唆に富んだ一冊。ミャンマーで検討中の案件があり、それを進めるべきか、止めるべきか、考えるために読みました。