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折口信夫
河童は元は水神だった。
馬は神の中でも上位の神のみに許されたものである。下位の神はそれを羨んで、人が馬に乗っていると川で引き摺り込もうとする。河童は馬を引き摺り込もうとするのはそのためである。
胡瓜は異国からきた食べ物。異国の食べ物と一緒に他界から来た邪悪な神の形代として川に流すのが始まりとして河童の好物になったのではないか。
皿を割った下女の皿を数え、その下女は河童であった話。皿は平安貴族の時代から年に一度程度の饗宴で用意するのが大変…河童(とは限らないが)が皿を貸してくれる話。
など多くの可能性、説を提示している。
柳田國男
河童の起源は水神などで、元は全幅の信頼を寄せていた存在だった。恩恵を与えてくれていたがそうではなくなるケースも経験し、怖い存在となり、最後妖怪となるという、神の零落説。
千葉徳彌
座敷童子の話。起源は水底から来る神様的存在であり、河童とか、水神とかいう表現も出てくる。それが零落して妖怪になったり(河童?)、怨霊的なものになったりしていると。
野村純一
河童が火を乞う話という昔話の紹介。話は聞き間違えて火をあげようとして河童が逃げ、それから魔除けにしたり河童がいたずらをしないという話だが、氏は火を司るものは水をも司る、河童が水神だとする説を導き出している。
神野善治
建築儀礼での、大工が女房を殺して祀り、雛などを飾る儀礼の話と、大工が人形を作って建築の使役をして川に流しのち河童になった民話は、話の作りにおいて共通点がある。建築儀礼で人形として祀ることと、人形を使役したことはつながりがあるのではないか。ちなみに人形を流す時に人の尻でも食えと流され、殴られた時にできたのは河童の頭の皿であるとする話もある。
川田牧人
奄美加計呂麻島では河童をケンムンと呼ぶ。
それが現れる場所(海、山)、対する人の態度(歓迎か忌避か)、結果(良いことが起こった/悪いことが起こった)の構成で分ける。奄美の神様や動物との関わり方、農業漁業の生活が深く関わってできた構造であると。また、それは絶対的な上位下位ではないと。
若尾五雄
建築儀礼の話に通ずる話もあった。人形で表すという点。人形を川に放った話は、非人を大土木工事で雇ったあと、土地を与えるわけにいかないので川原に放った(川原者)話。河童には交わるという意味が関係する話。約束の指切りで鍵のように指を曲げて交差すること、やくざが約束どおりにできないと小指を切る話など、かなり後半に考察は及ぶ。
小松和彦
河童の話と河原者の起源譚の共通性と動物の見間違いを合わせて今の河童の像ができあがったのではないか。
神野善治
河童起源譚、河原者起源譚の類似性、河童=水神の零落したもの説の否定。傀儡師は非人扱いされていたこと、傀儡師自身も人形のようなものであるからと支配下に置かれていたこと。筒井功の著書と同じ引用。
中村禎里
河童の誕生は鰐が変化していったもの。また、河童のことを猿猴とも言うが、猿は馬を守護すると信じられ、一方猿猴が馬を水中に引こうとする話は必ず失敗するのは猿のそれである。
小馬徹
河童が相撲を取ることを好むのはなぜか、を切り口に、相撲の始まりとされる野見宿禰が土師氏として埴輪という人形を作ったことに話は及ぶ。
毛利龍一
北肥戦誌の河童起源譚
小池直太郎
河童は猿ではなかったか、河童は川蛇ではなかったか。
中田千畝
河童の接骨の秘薬や接骨法の話の紹介。埼玉県熊谷。
金久正
奄美のケンモンの話。
丸山学
肥後のヤマワロの話。山にいるのが川(うまたは海)にもくるという、神様のような変化をする。最初から同一視されていたのか、2つのものが一つになったのかは今後調査したいと。
楳垣実
河童は忌み言葉で、その者の名前を呼ばないように付けられた、川のもの、とかの言葉。それを前提として地方での呼び方の分類。
矢口裕康
宮崎県日向の河童の昔話とまとめ。田の神と同じようにみられたり、祟りをなすものとして、神として見られていた。こちらはまさに神の零落説のことだ。