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素晴らしい。ナン・シェパードが日本語に翻訳されるのは初めてだそうである。このような本が訳出されるのは誠に喜ばしい。
彼女の山は、高さや早さや、「初」かどうかや未踏ルートなどを競うものではなく、「山に在る」こと。山に在ることで、自分自身の中に在ること。私はほぼ毎日のように近所の里山を約1時間歩くけれども(もちろん彼女と比ぶべくもないが、比べるということ自体が既に意味がない)、野に身を置くことは標高や距離ではないものがあるなと感じる。
よかった。
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ものすごく好きな本だ。年一レベルで良かった。序文(後ろの方に収録されている。これもまた素晴らしい文だった)によると、「フィールドノートと回想録、博物誌と哲学的瞑想が混じり合ったものとでもいうべきか」「山岳文学作品」らしいが、確かにどんな本、と言われても説明に困るかも。著者がスコットランドのケアンゴーム山群について語る本なんだけど、著者のナン・シェパードにとって山に入ることは同時に自分自身へ入っていくことを意味しており、内省的な話も不可分に語られる。彼女の山との交流は山頂を目指すのではなくただ一緒にいるために、目的なくぶらぶらするように歩くことで深化する「愛の交わし合い」で、あくまで双方向に深く関わっていくものなのだ。
第二次世界大戦中に書かれた本なのだが、そのみずみずしい感性と知性が今でも全く古びていないことに驚く。アウグスティヌスの「告白」の解説で読んだ、その時代その場を生き抜いたものこそが普遍性を持つ、というのは正しかったんだと思い知らされる気がした。序文でも「平凡」なものを「普遍的」なものへと輝かせることをシェパードは成し遂げたと書いてあって、やはりそうかと思う。
シェパードが「愛の交わし合い」として描く山の描写はどれも精緻で美しく、霧に浮かぶ壮大な山の風景、雲の上を歩く、限りなく透明な水、湖、繊細な模様を描く氷、過酷な環境を生き抜く草花、鳥たちやシカ、ユキウサギなど、読んでいてうっとりしてしまう。
特に色は美しい。さまざまな青、紫の山、緑の空、ピンクの花、黒い湖、赤い土など、どんな色だろうと想像してわくわくするし、「私たちが色を見ているのではなく、まるで色がその実体の内部に私たちを取り込んでいるかのよう」とシェパードが書く圧倒的な力を感じられる。さらに五感はフルに稼働して、はだしで歩く山や冷たい川の水、ウイスキーのような芳香を放つ枝の触感を思い描き、動物や植物の命のにおいをかぎ、雨や流れる水、鳥の飛び立つ音が聞こえるような気がして息をのむ、そういうすべてに満たされていく。嬉しい。
山では身体が思考する「感覚の生」を生きられるのかもしれないと著者は言う。
「これ以上なく研ぎ澄まされた知覚の域へと高められたそれぞれの感覚は、それ自体で完全な経験となる。これが、私たちの失ってしまった無垢。一つの感覚に没入し、ある一瞬を永遠に生きるという無垢。」
永遠に生きるということに、時間はいらないし、無限の知識も経験もいらない。一瞬が研ぎ澄まされればそれで成し遂げられるのだ。もちろんそれは完成するものではない(愛の交わし合いは深まりゆき、終わりがない)。
本当に美しい、何度も読みたくなる本だ。一回読み終わってもう一度読んだのだが、たぶん今後また何度も読んで、そのたびに何かをあたらしく感じるだろうと思う。楽しみ。
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スコットランド、ケアンゴーム山群へのさながらラブレター。
ケアンゴームズ国立公園の画像調べちゃうよね。
いやあ美しい。
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今年最後に素晴らしい本に出会ってしまった。
同じハイカーとして五感を研ぎ澄ました作者の感覚は地名がピンと来なくて「わかるわかる」程度だったが、ロバート•マクファーレンの序文をはじめ訳者のあとがきなど巻末まで色々な角度でこの小説を至玉のモノに仕上げる。
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知らない固有名詞が多くて読みにくさは感じたけれど、過酷な環境で生きる木や草花、動物への敬意と親しみや、壮大な自然への愛と憧憬があふれた、詩的で哲学的で美しい文章だなと思った。
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スコットランド湖水地方の登山 淡々とした文章 風景の透明さ(自分の思い込み?)が筆致に表れていると感じられる