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縁日の屋台の中の人の呟き。
時代も変わっちゃったし各方面への気遣いもあるのでしょうか、ちょっと遠慮しながら書いてるみたいで、読んだ感想も若干薄めになってしまいました。
あんず飴を売り尽くす話なんか、テキ屋商売もお祭りだ!みたいな勢いがあって面白かったんですけどね。
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おもしろかった!
ちょっと怖そうな感じがするテキ屋の人たち。
ヤクザじゃないんだけど似たような雰囲気。
子供の頃の夏休みの盆踊り、花火大会の時は500円もらってなにを買おうかワクワクしたっけな。
高里さんは11歳の時に自分の意思とは関係なくテキ屋の商売に巻き込まれていったけど、だんだん商売の楽しさを知って、ほんもののテキ屋になった。
仕事にのめり込んで、真っ正直に取り組んだ。
そして今はテキ屋だったことを誇りに思っている。
何より高里さんの「テキ屋愛」がものすごく伝わって小気味良かった。
「義理を通す」「スジを通す」というと古めかしく聞こえるけど、それは人の信用を裏切らないという商売の基本でいちばん大切なことなんだと、改めて教えられた気がする。
全てを曝け出すことが美徳とは思わない。
それで損をする人が出てしまうのならそれは「徳」ではない。
確かにそうかもしれないな。
お祭りの屋台なくならないでほしい。
屋台のお好み焼きと焼きそばが食べたくなりました。
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家族でテキ屋をやっていました
著者:高里杏子(きょうこ)
発行:2023年2月13日
高裁社
*構成:河合レン
現在50代前半で孫も2人いる著者。もちろん作家ではなく、今はパートをしながら主婦をしている彼女が、テキ屋の娘として生まれ、就職して他の仕事をしつつも、やがて親の仕事を引き継ぎ、2018年に廃業するまでのお話。
テキ屋ってヤクザでしょ?と何度も言われ、自分でも疑問に思い、世間でもそう思われているふしがあって、怖い世界だとも思われている、でも実際は優しい人情味溢れる世界・・・というような書き出しから始まり、知っていることをできる限り書く、という前提で、テキ屋はヤクザとは違う、本当の世界はこうだ、といわんばかりの臭いだけはさせているが、結局ははっきりと最後まで書いていない。それどころか、グレーだとの表現まである。
三章の最終節に「テキ屋はヤクザなのか?」という核心部分がある。本人も父親や周囲のテキ屋衆に聞くと「そこには触れてくれるな」とうやむやにされたと書いている。つまりは、少なくとも何かの関係があると認めていて、著者本人は当然知っているが言わないということがまるわかり。稚拙な三段論法というか詭弁で、こう言い逃れる。
→縁日は神社やお寺の境内で行われるが、縁日のショバを取り仕切る「庭主」のことを何も知らず縁日を開催させることはないだろう。その意味で神社やお寺もテキ屋と同罪となる。また、公道でする場合は警察が道路使用許可を出す。そこに店を出すテキ屋は庭主にショバ代を払う。警察の許可が出ているのだから、「暴力団と関係があるかもしれない」テキ屋の活動を警察が認めていることにならないか?
こういう無駄な部分を読まされるが、彼女自身が送ったテキ屋人生は結構面白かった。父親は任侠映画でテキ屋に憧れ、中学を出ると家出して上京し、頼み込んでテキ屋に入れてもらったという。テキ屋には大きく2種類あり、一つは組織。その組織では親方の下で大勢が働いて、多くの屋台を出し、売上も親方に渡す。もう一つは、その組織から独立(一本)して自分でする。前者の場合は親方の指示でどんな屋台をやるかが決められるてしまうし、最初は下働きからスタートする。著者の父親は2年目で一つの屋台をまかされることになったという。やがて一本へ。
著者は、父親の仕事先についていくようになった小学校4年のとき、ハプニング的にテキ屋デビューをしてしまった。同じ組織のバナナチョコ売りのロクさんがお腹の調子を壊し、通りがかりの著者にトイレに行く間だけ店番を言われたのだった。1本100円。どうしようと戸惑いながら、隣の屋台の人にアドバイスされながら何とか客の対応をしたが、その20分程度で用意されていた50本が全部売れてしまった。売上は全部もらえた。なんと5000円。
しかし、5年生の時、父親が逮捕される大事件が起きた。仲間と飲んでいると、テキ屋をからかう客に絡まれ、仲間と喧嘩になりかけた。止めにはいった父親が絡んで来た人間を引き離すと、運悪くその人が倒れ、頭を打って死んでしまった。まるで安物のドラマのような展開を著者は書いているが、結局、父親は彼女���高校2年の時まで服役することになる。母親と2人でテキ屋をすることになった。
あんず飴とわたあめを売っていたが、著者は主にあんず飴を担当した。段々と面白くなる。土日に仕事が多いので、当時、まだあった土曜日の半ドン授業は休む。しかし、運動会だけはどうしても出たいので仕事を休む。ただ、母親は来てくれない。また、同じ小学校にはテキ屋の子が結構いたので、親方の奥さんが食べきれないほどの弁当を持って、そうした子たちを集めて弁当を一緒に食べてくれた。
修学旅行では、東照宮に中禅寺湖・・・へ。小学生とはいえ商売のことが気になる。神社仏閣の参道に並ぶ屋台を見て、どんなものを売っているのか、どう並べているのか、客への声がけはどうしているか、職業病が出てしまった。
父親がわたあめとあんず飴を選んだのは、材料の保存がきくから。原価率も低く、切れても身近な店で緊急調達もできる。そのため、テキ屋業界では「わたあめ」を「親分ネタ」と呼び、親方や一本(独立)になった物など、一部の者しか扱えないらしい。たこ焼きはいっぱい出ていても、わたあめは少ないはず、縁日でぜひ観察してみてほしい、と著者。
金魚すくいの金魚はすぐ死ぬから、弱った金魚を入れているのではとよく言われる。それはとんでもないデマで、金魚は追い回されるとストレスで弱る、さらに、最もいけないのが袋に入れてもらった金魚をぶんぶん振り回す人がいること。これが一番、金魚にストレスを与えるらしい。ちゃんと飼えば15年ぐらいは生きるとのこと。
カブトムシやクワガタなどの昆虫は、問屋から仕入れることもあるが、自前で調達することもある。虫取りは新人がかり出されることが多く、それぞれの組織が秘密のスポットを持っていた。著者の弟も中学時代からバイトとしてカブトムシ採りをやっていて、深夜3時に出発し、採取した昆虫をテキ屋に卸し、朝6時に帰宅していた。
組織によるが、焼きそばであれお好み焼きであれ、そのレシピは代々受け継がれてきたものであり、その組織の味となっている。それを決めるのは親方なので、勝手に帰ることは許されない。
義理を欠くと破門になる。破門の場合は赦しが出れば復帰できるが、それ以上の「絶縁」を言い渡されると完全にアウトで復帰は困難。
著者は、ショバ代とは別に、心付けとしていくらかを賽銭箱に入れるようにしていた。
彼女が作った最高記録は、高校時代に、初詣で、あんず飴を2000本超売った記録。その日は母親から頼まれて無理矢理予定をキャンセルして1人で商売。交換条件は売上全部をもらう、だった。彼女は1日にして20万円の大金を手にした。
著者は、テキ屋の衰えの原因をこう分析している。バブル崩壊、暴対法&暴排条例、SNSの普及、とどめにコロナ。著者は高卒後、いったん多くの飲食店を経営する会社に就職し、居酒屋で接客業をし、充実した生活を送っていた。その後、父親の体調不良により土日に手伝う必要が出てきて、本社の事務職へと転じて仕事をしていたが、暴対法により居づらくなって辞めることになった。
テキ屋も警察が客の目の前で届け出通りかのチェックを行うなど、排除の方向に動き始めた。そして、2000年代に盛ん��なった2chでデマやテキ屋の内部リークとしか思えない書き込みをされ、写真付きでたまたま汚いところを指摘され、不衛生などの噂が立つように。SNSの段階になり、「あわせ」と呼ばれるくじ引きのくじを全部引いてみる、という検証動画が流されると、あたりは最初から入っていない、インチキだと攻撃されるようになった。
この本はすっきりとはしないが、テキ屋の子として生まれ、元気に、健気に、いきいきと生きてきた様子が、それなりに面白かった。しかし、最後の20ページぐらいで価値をグッと落とした。それは、くじ引きに当たりが入っていない動画に対して、反省どころか無粋だと言わんばかりに否定していることだ。あたりが入っていないことぐらい、みんな分かってやっているのでしょ?親が子供に「もうそれぐらいにしときなさい」と止めるのも、あたりなんか入っていないことを知っているからでしょ?と、あたりが入っていない検証をテキ屋の魅力を根底からひっくり返すものだといわんばかりの勢いで主張している。残念ながら、それは違う。インチキはインチキであり、テキ屋も変わらないといけない、ぐらいのことを言うべきだ。そう言えない事情があるのか。少なくとも開き直ってはいけない。テキ屋が衰えた真の理由は、変われないその辺りにあるのかもしれない。
イベントで出ているキッチンカーにまでいちゃもんをつける。ショバ代はらってテキ屋をするのとどう違う?そもそもイベンターだってどういう業界と繋がっているのか分からないですよね?と、自分たちがグレーだと認めた上でこう述べ、違う業界までグレーにして、「みんなやってるんじゃないか、なんでテキ屋だけ言われなきゃいけないの」というような態度を示している。これは言語道断。
これは、昔でいうゴーストライターの構成担当として執筆した河合某やエディターの責任でもあると思う。
不満が残る本だったので、同時購入した「テキヤの掟」(角川新書)を読もう。こちらは社会学者(犯罪社会学)が書いた本だ。
***業界用語***
スイネキ(あんず飴)
デンキ、デンキネキ(わたあめ)
バナチョコ(バナナチョコレート)
タコ(たこ焼き)
オコノ(お好み焼き)
長シャリ(焼きそば)
カンスイ(ジュース類、「缶水」が語源)
コオリ(かき氷)
ロクる(死ぬ、南無阿弥陀仏が6文字だからという語源説)
ハヤロク(ひよこ)
ヤリ(1)
ヤリッコ(100円で売っている物)
フランク(フランクフルト)
水チカ(水ヨーヨー)
上げチカ(ガスで浮いている風船)
あわせ(くじ引き)
チャモ(おもちゃ)
シモネタ、残ネタ、アニキ(古い材料)
マブネタ、ホンモノ(新しい材料)
ロップ(袋)
デッチる(作る)
庭主(ショバを仕切っている人)
アイツキ(面通し、「付き合い」が語源)
ケツモチ(用心棒)
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事実を淡々と書いたものだから、劇的なことはないけれどへーそうなのかーと感心することがたくさん書いてあった。浅草に引っ越してテキ屋さんを毎日見ているので、見方が変わって良かった。
テキ屋さんはヤクザさんではありません。
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私の中での「テキ屋」のイメージは、やはりフーテンの寅さんですね。バナナの叩き売りとかやってるアレです。
「テキ屋」とは、縁日や盛り場など人出の多い所で露店や興行を営む業者さんのことで、香具師(やし)・三寸・大道商人とも言い、必ずしもヤクザ(反社会勢力)と同等の商いではないようです。
本書は、テキ屋の娘に生まれ、当事者として自らの40年テキ屋生活を回顧的に語った、言わば著者の自叙伝です。
平易な言葉で語られるテキ屋のリアルは、小学生のお仕事拝見の日記風レポートのようで、厳しい状況も淡々と描かれ、ほのぼの感さえあります。
著者の生い立ちから小・中・高時代、会社就職、結婚、廃業へと、波瀾万丈とも言える半生が物語るのは、義理・人情・粋の世界でした。
夏祭の風物詩とも言える屋台がなくなったら‥と想像しただけで寂しいです。日本人の心には、こうした絵が脳裏に刷り込まれている気がします。もう、井上陽水『少年時代』の世界ですね。
♪夏祭り宵かがり 胸のたかなりに合わせて〜♪
時代の流れ、暴対法、コロナ禍等々、様々な影響を受ける私たちの仕事についても考えさせられました。今後はAIでしょうか? どんなに便利になっても、人間味がなくなっていくのは嫌ですね。
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何となくダークな裏側を想像していたテキ屋業界が分かりやすくコミカルに描かれていて読みやすかった。コロナ明けには出店の雰囲気も一変してあるのだろうか。
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なんとなく家族経営のようなその実態は
どうなっているのか
その筋の方々とは やはり繋がりがあるのか
上手く流行の商売はどうやって取り入れているのか
などなど かなり知りたいことが分かる内容でした
テキ屋ならではの商売の符丁や
酔っ払いの撃退話など
なかなかの冒険譚ですので
楽しく読めました