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孤独と趣味をかけ合わせる考え方はなるほどなと感じた。デジタルデトックスをしろとか、そういう単純な話じゃないところが面白かった。
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考えられた文章なのにすっきりと伝わってくる文章力に「著者さんすっげ〜」となった。
まず難しい文章をそのまま受け止めるという考え方だ。その反対として、自分の理解できる部分だけを都合よく吸収する方法で「理解する」ことを示す。それは自分のすでに持っている考え方を再確認するだけに終わってしまう。新しい知識がザルを通る水の如く抜け落ちてしまう感覚だろうか。
普段は情報はそこらじゅうに溢れているから、情報を自分好みにバイキングすることが当たり前だと思っていた。哲学ではそうではないらしい。
続いて「趣味」の話。パスカルを現代語訳した内容が刺さった。「いえーい。趣味です」と他人に認めてもらうため、自慢するために趣味をする人、またそのような人を「またやってる」と非難する者を愚かものと呼ぶ。人間の心理を見透かした言葉にぐうの音も出なかった。著者の例えは、「スタバでフラペチーノを買うのはスタバで消費する自分を買うためである」って、潔く認めるしかない。例えが的確すぎて降参!
3つ目、「パレオ・ファンタジー」、「デジタル・ミニマリズム」など正当性を持たせるための極端な意見にツッコミを入れられる視野。そういう言葉に出会っても、よく理解しないまま読み過ごしてしまう。批判的に捉える力って日常のどこにでも潜んでいるのだろうか。
最後に、自分の内面を一枚岩だと思い込むこと。この危険性は、今の自分が想像した理想以外を排除してしまうことだ。最近その一枚岩が通用しないことを自覚したばかりだったので、重々胸に刻んでおこうと思った。自分の意見が一番だと周りの声を全てノイズと思って、相手に対して斜め上に構えたり、驕った見方をしていることを自覚しつつ、生活すれば幾分も過ごしやすくなるに違いない。
全体の感想としては、目から鱗というような突飛さはなく、鋭いツッコミはあるものの基本的には「一緒にモヤモヤしようぜ〜」と地に足がついた提案に終始納得させられた。
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ゾンビ映画や、ブルース・リー、エヴァンゲリオンなどとっつきやすい引用で、哲学を“観光案内”してくれる良書でした!スマホがもたらしたものは、延々と続く手のひらのマルチタスクの連続で“快楽的なだるさ”に見を委ねてしまうこと。常につながり“孤立”しないために、自分と対話するために必要な“孤独”な時間を失い、寂しさを覚えている。そんな中、哲学とは、先人の想像力をそのまま(解釈を加えず)インストールすること。自分の中に“自分みてぇなやつ”しかいない状態はいちばんやばい。不可欠な“孤独”な時間をつくるには“趣味”をもつといい。それはなにかをつくる時間のこと。容易に説明しようとしてくれているがどこか難しく、腑に落ちたのかわからないところもあったが、「ドライブ・マイ・カー」の例をトレースすると腑に落ちることが多かった。「ワーニャおじさん」の多言語演劇を演出する、という“趣味”を通して、“孤独”に自己と向き合う時間を持つ。それは妻を失ったことへの“喪の作業”で“正しく傷つく”ために必要な時間だった。スマホを捨てよ、とは決して言わない。スマホを持ちながら“孤独をめぐる冒険”をしよう。この本はそう言っている。
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未熟すぎてちと難しくいってんなーと思った。
といいつつ、それが哲学なんやろなぁー。
言ってることがわかるような、わからないような、、そんなモヤモヤを抱える、
それが著者さんの狙いなんだろうねぇ
エヴァ:みんな寂しさを抱えている
この寂しさは、他人には、埋められないもの。埋めようとすべきでないもの。
スイカを育てる行為:自分と対話ができる時間を作る
ドライブマイカー
趣味について、自分で管理できるような、長期的に扱う必要があるモノをやってみようと思った。
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・教養は、その場で処理できる程度の娯楽や刺激ととらえられてしまっている。
・現代人は、ゾンビ映画ならすぐに死ぬようなタイプばかり。目先のことだけで判断したり、分かったような事を言う。
・満足できるまでに時間や労力のかからないものばかり蔓延していく。前提知識がなくても、誰でも「すげー!かっけー!いいね!」と言えるようなものばかり。
・景色を見たり、周囲の音を聞いたりするダウンタイムがほとんどない。
・孤独とは、自分と自分自身との対話。
・心の痛みを感じるべき時に、感覚を押し殺さないように。
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スマホから得られるインスタントな刺激、スタンプを交わしあうライトなやり取り、暇つぶしがより一層退屈や寂しさを加速させ、どうしようもない承認欲求が肥大し…あーーーあるあるですよね...という問題と向き合うにはどうしたらいいのか、というおはなし。
ゾンビ映画や燃えよドラゴン、ヱヴァンゲリヲンなど例に挙げられるものが親しみやすく、それでいて哲学者やその考え方についてもしっかりと紹介されていてここから冒険をはじめるのにぴったりな本だと思った。
また、哲学に対する姿勢として自分なりの解釈はするな、ちゃんと正しく受け止めろ、とあったのが印象に残った。おそらくこれは哲学だけでなくなんでもそうで、受け取ったものを咀嚼するのと曲解するのはちがうのだよなという当たり前のことを再認識。...果たして私はちゃんと受け止められているんだろうか、とおもいつつ。
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私にはちょっと難しい内容だったけど、スマホ悪!てなわけでもなく、どのように共存していくか哲学的に書かれていて良かった。
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"つながっているのに寂しい、常時接続の世界"を生き抜くための書。スマホは私たちの生活をどう変えてしまったのか ?いつでもどこでもつながれる「常時接続の世界」で、私たちはどう生きるべきか ?ニーチェ、オルテガ、ハンナ・アーレント、パスカル、村上春樹、エヴァetc哲学からメディア論、カルチャーまで。
新進気鋭の哲学者が、様々な切り口で縦横無尽に問いかける!「常時接続の世界」において、私たちはスマホから得られるわかりやすい刺激によって、自らを取り巻く不安や退屈、寂しさを埋めようとしている。そうして情報の濁流に身を置きながら、私たちが夢中になっているのは果たして、世界か、他者か、それとも自分自身か。
そこで見えてくるのは、寂しさに振り回されて他者への関心を失い、自分の中に閉じこもる私たちの姿だ。常時接続の世界で失われた〈孤独〉と向き合うために。哲学という「未知の大地」をめぐる冒険を、始めよう。
・現代人はインスタントで断片的な刺激に取り巻かれている
・アテンションエコノミーとスマホが集中を奪っていく
・空いた時間をまた別のマルチタスクで埋めていないか?
・常時接続の世界における〈孤独〉と〈寂しさ〉の行方
・〈孤独〉の喪失――自分自身と過ごせない状態
・スマホは感情理解を鈍らせる
・「モヤモヤ」を抱えておく能力――ネガティヴ・ケイパビリティ
・自治の領域を持つ、孤独を楽しむ
・2500年分、問題解決の知見をインストールする
・「想像力を豊かにする」とは、想像力のレパートリーを増やすこと
・知り続けることの楽しさとしての哲学etc◆目次
はじめに
第1章 迷うためのフィールドガイド、あるいはゾンビ映画で死なない生き方
第2章 自分の頭で考えないための哲学――天才たちの問題解決を踏まえて考える力
第3章 常時接続で失われた〈孤独〉―スマホ時代の哲学
第4章 孤独と趣味のつくりかた――ネガティヴ・ケイパビリティがもたらす対話
第5章 ハイテンションと多忙で退屈を忘れようとする社会
第6章 快楽的なダルさの裂け目から見える退屈は、自分を変えるシグナル
おわりに あとがき
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生きづらさを感じたとき、すがる思いで自己啓発本を読んで自分を変えようだとか、無理やりポジティブシンキングしようだとか、YouTubeから学ぼうだとか、しててなんとなく違うと思った理由がわかった。試行錯誤しながら、上手くならないピアノを練習し続けるつらさが、意味あるものに感じられる。
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前回のKindle特価の時に買い、紙で買い直しました。
「1人遊びができるようになりたい」が課題だった自分に沢山の示唆をくださりました。
#あわ研 コミュニティで「知らないことを誰かと一緒に考える冒険」を反復練習していき、自分の中にもいつしか、複数性を生み出せているのかも。
パスカルの『パンセ』の引用で、
「人間の不幸というものは、みなただ一つのこと、すなわち、部屋の中に静かに休んでいられないことから起こるのだ」
の部分を読んだ時、
1日ソファに座り、日が暮れたのをみて、よし!(勝った)とガッツポーズをとられたという、ヨシダナギさんのエピソードを思い出しました。
以下、引用。
エヴァファンとしては
とても刺さる喩えがいっぱいでした。
また、カジさんとジョン・キーツを結んだロマン主義、にも興味津々。
___
シン・エヴァンゲリオン新劇場版 Q
ピアノの連弾
趣味を通して過去の自分との対話
シンジ:どうしたらもっとうまく弾けるのかな。
カヲル:うまく弾く必要はないよ。ただ気持ちのいい音を出せばいい。
シンジ:じゃあ、もっといい音を出したいんだけど、どうすればいい?
カヲル:反復練習さ。同じことを何度も繰り返す。自分がいいなって感じられるまでね。それしかない。
「他者評価とは関係のないところで音楽をつくっていく」
心地よい音を出すためには
反復練習が必要
「自分がいいなって思えるところまで」
手をかけ、作り直し、対話を続ける
自分を納得させられるかどうか?
___
加持の姿勢は文学における「ロマン主義」と重なってきます。(* 155)
ロマン主義は多面的な運動なので、安易に定義しづらいのですが、そのスタンスの一つに、「汲み尽くせなさ」に対する感受性があります。
それは、何かを手に入れたと思っても、そこからこぼれ落ちていくものがあることを知っていることです。
言い換えると、「これだ」と思って把握したものがもっと深さを持っていて、どこまでも知性を超えていくはずだという洞察です。(* 156)
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“他者に囲まれて、そこと十分に接続できないとき、寂しさを感じる”という旨の文章にハッとした。
ひとりでいることは“独り”と寂しく表現されがちだけれど、「誰かといるときの方が、なんだか疎外感や寂しさを感じる機会が多い気がする」と、今まで漠然と思ってきた。この漠然とした思いを肯定してくれている気がして、嬉しかった。
また、趣味や他者を介在しないスペースを大切に、“孤独”を選択することについても、背中を押してくれていた気がする。“独り”を選ぶことが、周りの環境や友人を蔑ろにするって訳じゃない。
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毎日多忙でバタバタしており、急な休みはスマフォを触って虚しくなって一日が終わるという私の心情をまさに分析した本だと感じた。
また、なんだか居心地の悪さを生み出すモヤモヤこそが大切でということを知ることで、日常の生活においてメタ認知することに繋がってきた気がする。
特に孤独と趣味について、趣味が孤独を作り、その孤独が自己との対話を担うという点が特に興味深い。
個人的には筆者の筆致が優しくて、心地よかったこともある。
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んー、なんだか言われてることがなかなか頭に入ってこない本。簡単に割り切るなという主張をしてるからだろうか。
寂しさ、スマホでそれを埋めて依存してしまう、作る趣味をもって内面を掘り下げよう、そうすれば自信や信頼が得られるよと、そういう話。
自信を持つことと割り切ることや自己完結することの違いをもっと掘り下げて欲しかった。実は書かれてたのかもしれないけど。簡単に答え、誰かの考えがインプットできる時代、安易にコピーするつもりはなくても自分で掘り下げるのが難しいこともあると思うが、あり方にどんな違いがあるのだろうか。
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この本を読んで、すっきり!ああ!理解みたいにはなかなかならないと思う。
それこそが本書で言うような、ネガティブケイパビリティなのだと思う。
何度も繰り返し、考えて咀嚼する。
すごく好きな本だった。
例えはキャッチーなのに、急にずいぶん遠くのことを話したりする。
概念的な話と、具体的なことが行ったり来たり。
その緩急もよかった。
趣味とどう向き合うか考えた。
私は文章を書くことが好きだから、
こうやって読んで感じだことをちゃんと表現していきたい。
ここには、いいねの欲しさなんてない。
またまた公開しているだけ。
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・スッキリは老廃物だけでなく、苦い良薬まで一緒に排泄してしまう。あなたの人生の栄養になるようなものが、下水に流れていってしまう(東畑開人)
・一問一答で動いちゃいねぇんだ世の中は!(カイドウ)
・私たちがするべきなのは、自分なりに理解することではなく、その人の概念やシステムを使えば、景色がどんな風に見えるのかを把握すること
=ある知識をどんなノリで使っているかという想像力とセットで学ぶこと
・書き手の意図を追究するというより、書き手の提示した概念や思考パターンの可能性を追究していく辺りにこそ、哲学の見所の一つがある
・問題やテーマ、目的、そして相手や状況に応じて、適切な想像力を選び出せばいい
・他者の想像力を自分のわかる範囲に落とし込み、自分みたいな想像力に塗り替えては意味がないので、自分の中に多様な他者を住まわせることで豊かな想像力を持てる
・哲学を歩くときのしおり
①考えることにも練習は必要(すぐに結果を得ようとしない)
②使われている通りの言葉遣いをする(独自の使い方はしない)
③その哲学者の想像力に沿って読む(日常の語感を投影しない)
■常時接続の世界で失われたもの
・孤立…他者から切り離されて何かに集中している状態⇒マルチタスキングによる注意の分散により孤立が喪失
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