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ユングがアフリカ旅行をした際、一人歩く原住民を馬車に同乗。5分ほど走ったところで「一息つきたい。あまりに速いので、魂が置いてきぼりになった。追いついてくるまでここで座っていないと」と言われた例を引き合いに、ペリー来航に始まる明治維新、マッカーサーによる戦後体制といった2つの大きな進展が、日本のアイデンティティに影響を与え、「日本は神経症的に引き裂かれた」と分析しています(「その進展がすさまじかったために、最も神経症的である」)。
一方で、日本にある「拠り所となる一貫した伝統」が米国にはなく、アメリカン・ドリーム体現のための精力的活動が崩壊すれば、「口を開けて待っているは真空、深淵」と見ています。
日本では、社会・文化・環境の利益を優先する価値観がすでに社会の一部となっており、(そうした神経症がおさまれば?)「日本は世界初のポスト成長経済のモデルになる」かもしれないと「予言」しています。
著者は米国人ながら、日本の著作を多数読みこなしており、これには驚かされます(日本文化への造詣も深い)。慶應義塾大学出版会からの書籍で、いわゆる「日本礼讃本」ではなく、またさらっと読めるタイプの本でもないのですが、「アウトサイダー」からの視点が面白く描かれている一冊です。
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「神経症的な美しさ」https://keio-up.co.jp/np/isbn/9784766428568/ 震えるほど良書。われわれ日本人は、明治の急激な近代化と戦後占領により致命的なまでにアイデンティティを崩壊しまだ回復できていないし、それに気づいてすらもいないらしい。ひきこもりの対社会の感受性は真っ当であり、それは日本の将来を握るカギ
宗悦、民藝、大拙、幾多郎、道、職人気質、戦後責任、リセッション(実は経済は安定してるとも)、原発、世界一の自殺率、倫理観や内省力の欠如。よくある日本人論から大きく進めて独自の見解を提示している。辛辣でありながらも希望がある。まじで日本人はどこへ行くのか。。。
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ちょっとこの本がものすごい良くてというか怖くてというか読んでて身震いするし、こういう本がベストセラーには絶対ならないし国内からは絶対に出てこないのが日本という国で日本人という民
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「神経症的な美しさ」まだプロローグなのにもんのすごくおもしろい。またしても内容知らずに読み始めたら日本論日本人論だった
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朝日新聞の書評欄で紹介されたので読んだ。読む前にこういう本を書くのならこれまでに出版されたあの本やあの本は読んで置いてほいしと思った本がほぼ全て読んだ上でこの本を書いている。感心するほどよく勉強している。
アメリカ人による最新の日本人論。菊と刀、甘えの構造、タテ社会の人間関係、敗北を抱きしめて、鎖を解き放たれた日本(未邦訳)などの名著を踏まえつつ、西田幾多郎、田中康夫、オタク文化まで視野に入れて日本人とはどういう民族なのかを論じた驚愕の本。引用文献だけでも、よくこんなに調べるなという熱量。実に面白い。
日本は文明開花以来、西洋の文明の良いところは吸収しつつも、伝統的な良いものは残してきた。その二つは必ずしも容易に共存できるものではなく、様々な軋轢を生んできた。産業による大量生産化、変化の高速化、生活の利便化は、当然アメリカでも、他の国でも地球規模で問題となっている。この課題を乗り越える鍵が日本文化にあると著者は言う。一読に値する本。
驚くのは、著者のバーマンは日本やアジアを専門にしているわけではない。日本にも2回しか来ていないのにこの本を書き上げた事。経験よりも知の力を信じると人はこんな本も書けてしまうのか。
やや日本びいきが行き過ぎのはご愛嬌。
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日本論、日本人論ではあるが、なかなか当事者である日本人には書けない内容である。所謂「他者故の発見」を活かした日本論の最新版とでも言える。その理論は、日本人が薄々感ずいている「この国の本質の闇の部分」を白日の元に曝すような衝撃性がある。端的に言えば、日本の政治不信、閉塞した社会、企業体質、いじめ、自殺、ひきこもりなど、これらニュースで最も取り上げられているテーマの病源体が、そもそも日本が誇るべきとされている伝統や文化に内包されているというもの。「恐ろしき日本の病理」というわけである。
1,2章で分析されているのは、日本人の性質。特徴的な伝統と、変わらぬ社会規範。仏教が伝来しようが、鎖国になろうが、黒船が来ようが、原爆を落とされようが、敗戦しようが、占領されようが、変わらない。「空の袋」のようにありとあらゆる文化も思想も批判も飲み込んでしまう。漢字も、英語も入ってきても文法が変わらない言葉。禅を代表にした無や永遠の思想。「甘え」の文化。この文化は個をなくして集団(全体)を全てにする形を作る。連帯と和を生むが、無責任を生み、そもそも責任者を存在させなくする。これらは負・正両方の価値をもつ。
これに正反対なのはアメリカの自己愛的な文化である。この2つは「どちらも一長一短ある」と片付けられない。アメリカ文化が異端過ぎるのであり、現代社会の混乱を生む原因になっている。実は日本文化がポスト資本主義社会を生きるための指針になるかもしれない。
というもの。
オタク文化と京都学派は同じ思想をもつ。現代・資本主義・消費社会の超克である。「日本的であることがそのまま世界の最先端に立つことを意味する」260
著者の友人リュウはひきこもりを「日本の良心」「隠された秘宝」だと見る。「ひきこもりは非常に重要な存在である。社会がひきこもりを治療することはできない。むしろ問題を抱えているのは社会のほうで、ひきこもりがその解決をもたらすかもしれない」248
ひきこもりは日本社会に対する「まったく理にかなった告発」である。彼らは官僚や政治家よりも遥かに日本の精神の危機の本質を把握している。彼らは「かたちのないものを大切にする子どもたち」である。日本でうまくやっていくためには「自分の内面を壊さなければならない」。マイケル・ジーレンジガー248
およそひきこもりは、日本社会が何か意味のあるものを与えてくれるとは思ってはいない。そして自分にとって大切なことを本気で話せる人もいないことに気付いて、私的な内面世界へと退却するのである。246
戦後の日本(あるいは現代の全ての世界)は子どものままでいること、大人にならないことを背負わされている。それがアニメやマンガや「カワイイ文化」てある。これをアートで告発したのは村上隆の「スーパーフラット」である238
アメリカは原爆を開発したとき、これで外交などせずパックスアメリカーナ(アメリカ支配の完全平和)が訪れると思った151
戦時中、日本人は「指導民族」であり、中国人、朝鮮人よりも、肉体的、精神的に「純粋」であると、みごとに「白人化」した141
現代の社会心理学の見地は、ほとんど西洋人とりわけアメリカ人が研究し、その調査対象も彼ら自身だ。しかし西洋人が世界に占める割合は12%しかない。そのため相当西洋的な社会、思想に偏っている。つまり「何世代にも渡りペンギンを研究し、それが鳥類一般の特徴だ」と言っているに等しい96
甘えは全人類に共通する条件ないし欲求であるにもかかわらず、アメリカ人はその存在すら気づいていない。アメリカ人はそれで困っている人を慰めたり、癒したりせず、「自立しろ」と促進する80
「日本のアイデンティティーはその大部分がアイデンティティーの危機によって規定されてきた」ピコ・アイヤー75
「忠臣蔵がクリスマス時に毎年リニューアルさらて放映され、みんな涙を流す」「西郷は西南戦争の敗北をきっかけにヒーローになった」「『ラストサムライ』を見た多くの日本人は、よくぞ我々を理解してくれたと、喜んだ」71(※この辺は日本認識としては間違っている)
日本で大切にされた「禅」は近代軍国主義と共謀して、アジア覇権に利用された。日本では中世から禅が武士に重宝された。それは禅の精神が、戦闘あるいは他者を殺すための精神状況ととても親和性があったからだ。そして日清日露戦争の時代では、仏教は一切平和運動をせず、積極的に(時には神道の衣をまとって)政府の煽動や排外主義、国体イデオロギーと共犯した。神風特攻隊などの兵士たちに「禅」を通じて「天皇へ奉仕できる力」を発見させた。さらには当時活躍した仏僧大拙は『武士道の真髄』を記し(冒頭では東條英機の「戦陣訓」が書かれている)、この書はナチスドイツの精神に大きな影響を与えた。
そして民藝運動もそこに取り込まれた。民藝は、押し寄せる国際社会への急激な対応と、機械産業化された(あるいはし続ける)日本で、アレルギー反応的に産み出される社会的精神変調への対処療法として利用された。また民藝の本質には、そのような日本で失われようとしていた前近代的美を、周辺(アイヌ・沖縄・朝鮮・中国)に見いだし、その未開蒙昧を保護することと、逆にそれを「正しき姿」として称賛する「東洋版オリエンタリズム」がある54
「突き詰めると、私たちはみな、日本人なのではないか?」つまり私たち(西洋人)自身の極端なケースなのではないか?22
「資本主義は万歳二唱」〈『活路』アーヴィング・クリストル〉資本主義には、1生活水準の向上、2自由の会得、という利点があるが三唱目はない。そこに3つめとして訪れるのは実存にかかわる人間的欲求を満たさない「精神の不調」である19