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古今和歌集
日本で最初の勅撰和歌集(醍醐天皇)
和歌のお手本
紀貫之は、古今和歌集で優れた和歌を示し、土佐日記で日本文学の新しい可能性を示した。
平安時代の初めのころまでは、当時の先進国だった唐文化の人気が高く、和歌よりも漢詩が重視されていた。
しかし894年に遣唐使が廃止されると、和歌をはじめとした日本文化への関心が高まるようになる。歌合せなども盛んにおこなわれるようになり、10世紀のはじめころ(905年以降)に『古今和歌集』が編まれることになった。
この最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』は、その後の勅撰和歌集のお手本となった。
代表的な勅撰和歌集は、『古今和歌集』、『千載和歌集』、『新古今和歌集』
『千載和歌集』せんざいわかしゅう
後白河法皇
藤原俊成 としなり
1188年
現実への思いを、感情豊かに歌い上げた作品が多いのが特徴。
『新古今和歌集』
後鳥羽上皇
藤原定家、源通具(みちとも)、飛鳥井雅経(あすかいまさつね)
1210年以降
・後鳥羽上皇自身も作成に加わった。
・頭の中で想像したことを読んだ和歌が多い。
・『古今和歌集』とそれが作られた時代を理想として作られた。
『古今和歌集』には広い時代にわたって読まれた和歌が修められているので、もしかして万葉集と重複している歌があるのかと調べてみた。
どうやら、万葉集と古今和歌集では重複している歌はないらしい。
当時の男の子の読み書きなどの教育は父親の担当だった。
末っ子だった道長は、父親にあまり構われなかったので、漢文をちゃんと書けなかったのかもしれない。