投稿元:
レビューを見る
ちびちび読んでたのに、終わってしまった
「生きている間に触れ合わなかったものは、その人の天国に存在しない」
なるほど、「詩」を書けと言うわけで
彼の行方を祈り、言葉と、繋がりを信じる
投稿元:
レビューを見る
3作目もとても良かった。読んでいて心地よかった。出会いは大切、過去にとらわれず未来に目を向けることも。「G線上のアリア」が物語の雰囲気と合っていて良かった。
投稿元:
レビューを見る
初めて読む作家さんだったが、面白かった。
小さなきっかけで始まり、それは川のように音のように、過去から未来に繋がっていく。
爽やかな小品の連なりは、連続テレビ小説のよう(笑)
投稿元:
レビューを見る
鯨でここまでお話が繋がるとは。
モカシンの作品を見てみたいと、おもわず検索してしまいました(笑)
もちろん、想像の中でも十分にこの作品の世界が広がりました。
いろいろな偶然が人や歴史を繋げている、不思議なようで人生ってそんなものなんだろうって前向きな気持ちになりました。
投稿元:
レビューを見る
本作は、『流星シネマ』『屋根裏のチェリー』に続く物語ですが、単独でも吉田篤弘さんの世界観を楽しめます。順に読むと、確かにより広く深く堪能できると思います。
読み始めてすぐに、「あ〜吉田篤弘さんだなぁ」と、静かな世界に没入できます。本の静寂の中に、筆者のつぶやきにも似たいくつもの声が、紙の上から伝わってくる感覚です。不思議な安心感に包まれ、穏やかな気持ちで読み進められます。
大きな事件や出来事も、感動的な結末もありませんが、何気ない日常生活の機微を焦点化し、淡い希望の物語を紡いでいきます。
廃墟や古いものも登場しますが、寂寥感もなく、むしろアンティーク、スタイリッシュなイメージで、光沢のないマットな質感と言えばよいか、そんな落ち着いた夜の雰囲気を与えてくれます。
本作の主人公・曽我哲生さん、『流星シネマ』の太郎さん、『屋根裏のチェリー』のサユリさん始め、多くの人がリンクしつながっていきます。でもよくよく考えると、人にはそれぞれ(他人にとっては取るに足らない)人生があり、パラレルに進行しています。吉田篤弘さんは、その交錯する見えない部分にこだわって、ささやかな物語を滋味あふれる形にしてくれているようです。
全14話は比較的短く、一気読みするよりは、就寝前に少しずつ、がピッタリだと思います。
投稿元:
レビューを見る
「流星シネマ」「屋根裏のチェリー」に続く、静かな静かな物語。
三作に共通してあるテーマは、川・鯨・音楽。
他にもハンバーガーや声など、いろいろな要素があるけれど、川と鯨・音楽に導かれて、三作の登場人物たちが出会い、やがて絆が生まれるまでの物語です。
とても静かで優しくて、心地良くて、心が落ち着きます。
長編ですが、一気に読むのがもったいなくて、1章ずつを寝る前に少しずつ読みました。
吉田さんの作品はそうやって読むのが、一番好きです。
投稿元:
レビューを見る
どう表現したら良いのか分からないけれど、篤弘先生の世界はひとつの(一枚でもなく、一冊でもなく、もちろん一団体とかでもない)大きな枠のない四次元に広がっている宇宙のようなモノで(尚かついまだに広がり続けている)その中のほんのひとつまみを一冊の本にして表現しているに過ぎないのではないか…
いつまでも終わらなければイイと願いながら手に取る本たちだけど、最終のページは自ずとやってくる。
ならば、広がり続ける宇宙のような、そのほんの一部分を目にしているだけと自分に思い込ませないと。
これまで出会ってきた人たち、街並みや食堂とか、ラジオから聞こえる声や街なかに流れる川。いろんなモノが愛おしく優しく思える。広がり続ける世界、宇宙の私もまたひとつになりたい。
読み続けるといつかは本という二次元の世界に入れるのかもしれない。
いえ、これらの本は四次元でしょうね。
投稿元:
レビューを見る
初めての作家さん。
読みやすい。
鯨の絵、観てみたいです。
土曜日のハンバーガーもぜひ食してみたい。
投稿元:
レビューを見る
『流星シネマ』『屋根裏のチェリー』に続く大好きなシリーズもいよいよこれで完結。
少しずつゆっくり読もうと思っていたのに、一気に読んでしまった。
キッチンあおい、ミユキさん、ロールキャベツ、サユリさん、土曜日のハンバーガー、鯨オーケストラ、チョコレート工場、太郎君、ゴー君、流星新聞、カナさん、そしてアキヤマ君。
お馴染みの人や場所、食べ物などが徐々に繋がって、穏やかな優しい世界が楽器の音が重なるように果てしなく広がっていく。
「人生はね、『なんて短いの』と思ったり、『なんて長いの』って思ったりするものなのよ。人によって違うし、そこまで生きてきた時間によって、短いと思ったり長いと思ったりするの。でも、わたしは、そのどっちでもあると思っています」
「あとまわしにしては駄目なんです。人生は思いのほか長いものだけれど、長いって思うと、ついあとまわしにしてしまうから、やっぱり人生は短いって思ったほうがいいの。でもね、そうなると今度は、『こんなことしてる場合じゃない』って余裕がなくなってしまうでしょう?それは、もっと駄目です。急いで生きてしまったら、何もいいことがありません」
「ちょうどよく歩いて行くんです。のんびりとでもなく、急いでもなく」
「時間は過ぎていくのではないのです。どこかへ消えてしまうわけでもありません。すべての時間は自分の中にあり、それが少しずつ積み重なっているんです」
「何かが強引に行われるとき、そこにはきっと、意味があるのです」
「人と別れるのは自分で決められるけれど、誰かと出会うのは自分で決められないのよ。つくづく、そう思う。だから、人生は面白いんだって」
相変わらず心に響くセリフの多いこと。自分の現状と合わさって何度も泣きそうになった。
物語の展開に喜ぶ反面、これでみんなと会えなくなると思うととても寂しい。
けれどこれは終わりではなく、新たな始まり。
大好きな懐かしい人たちが、そっと静かに始める物語を噛みしめつつ、心地よい余韻にこのままいつまでも浸っていたい。
ユーチューブで『G戦上のアリア』を聴きながら、これを鯨オーケストラのみんなとソガ君が一緒に演奏したんだな、と厳かな気持ちに酔いしれながらしみじみ。
やっぱりこの世界観が好き。後日談でもいいのでみんなのその後の物語もぜひ描いてほしい。
投稿元:
レビューを見る
吉田篤弘作品、読んだつもりになっていたけど、実はこれが初めてだった。
「流星シネマ」「屋根裏のチェリー」に連なる物語だと読んだ後に知り、順番に読めば良かったとちょっと後悔。
でも、もちろんこの作品だけを読んでも十分に楽しめる。
読みやすくサラサラと入っていく感じの文章は心地よく、何のストレスもなく読み進められる。
「涙腺崩壊」とか、「大どんでん返し」といった仰々しい宣伝文句とは無縁の気を衒うことのない、静かで淡々とした物語の運び方が心地よく、一枚の絵が導く小さな奇跡のような出会いが胸を温かいもので満たしてくれる。
「時間は過ぎていくのでは無いのです。どこかへ消えてしまうわけでもありません。すべての時間は自分の中にあり、それが少しずつ積み重なっているんです」‥‥歳をとるのも悪くないなって思わせてくれるいい言葉。
投稿元:
レビューを見る
過去と未来、音楽と絵画、とても丁寧に描かれた不思議な物語だった。初めに訪れた美術館の描写が印象的。完全にタイトルで選んだけれども音楽の自由にさりげなく触れてくれる優しいお話でした。
投稿元:
レビューを見る
声の仕事をしてる曽我、十七歳の肖像画、クラリネット
父とベニーの話がちょろっと出てきただけだったのがん?って感じだった
投稿元:
レビューを見る
鯨オーケストラ。いろいろ大変なことがあって、どうにもならない気持ちを抱えて、しばらく大好きな本も手に取れない状態だったけど、この小説を手に取り、ぼぉっとしてたって毎日の生活を、出会いを、未来を大切に丁寧に静かに生きていこうと思った。別れは自分で決められるけど、出会いは自分で決められないものね。
投稿元:
レビューを見る
時間は消えてしまうのではなく、重なっていく。いまの自分に過去の自分が含まれている。
いいですね~過去を否定するのではなく、肯定していく❢
投稿元:
レビューを見る
『レコード屋の店主に試聴をお願いすると、店主は黙って頷いて、B面の三曲目――それが「Be Nice To Me」だった――に針をおろした。これまた、どうしてなのか分からない。普通はA面の一曲目に針をおろすように思うが、店内に流れ出したのは、にぎやかな曲調のA面の一曲目ではなく、おだやかなゆったりとしたテンポのB面の三曲目だった』―『サイレント・ラジオ』
「Be Nice To Me」と聞いて頭の中で音楽が鳴る。♪You'd be so nice to come home to。おっとこの曲じゃないんだな。検索すると、トッド・ラングレンがピアノの前に背を向けて座っているジャケットが見つかる。その首には絞首刑用の縄が。柔らかな旋律とは裏腹の不吉なイメージ。♪And would it bring you down if I hang around(そして、私がぶらぶらしていたらあなたを落ち込ませるでしょうか/Google翻訳)。bring you down、hang aroundのダブルミーニングが聞こえてしまう。この物語にそんな不吉なところはないのだけれど。あるいはあるのか? 頭の中では青江三奈の歌う声がしつこく鳴り続ける。この物語には私の歌の方が似合うわよ、と。
久しぶりにクラフト・エヴィング商會の本を読む。吉田篤弘の語り口は相変わらずで、いつものように主人公が静かに語り掛けてくる。それがあまりに穏やかな口調なので、語られていることが虚構なのだということをつい忘れそうになる。そして何故か子供の頃に過ごした場所の風景が浮かんでくる。そう、吉田篤弘の文章は既視感に満ちているのだ。
子供の頃、既視感という言葉もまだ知らなかった時分、UFOやこっくりさんなどのオカルトが大流行だった。中でも子供心に皆が半信半疑ながらも気になって仕方が無かったのがノストラダムスの大予言だった。既に予言された時、一九九九年の七の月もとうに過ぎた今となっては笑い話のような話だが、未来を予測できる人が世の中には居るのかも知れないと多くの子供は無邪気に半ば信じていたような気がする。そんな時代の雰囲気もあり、見知らぬ街の風景や出来事に見覚えがあるような気にしばしばなっていた自分は「これってひょっとして予知能力なの?」と思ったものだった。その話を何気なく父親にしたら「それはデジャヴというのだ」と真面目な顔で言われたのだが、納得できず何とか予知夢を記録しようとしたりした。
吉田篤弘の文章を読んでいると、そんな現実と幻想の狭間を漂っていた子供の頃のことを思い出すように、記憶が揺さぶられる。特にこの一冊は、そんなあやふやな思いが丁度良い塩梅で物語られている、と言ってもいいのかも知れない。それは伏線のようであって伏線ではなく(現実はそんなに都合の良く回収できる話ばかりではない)、偶然のような必然のようなどっち着かずな状況に、自らが下したのか周囲に促されて下したのかも判らない判断が積み重ねられていく物語なのだが、それが世の中全てが自分の思い通りになる筈がないという考えと、共振する。ひょっとすると、それが吉田篤弘の心地よさの根源なのかな、と思い至る。
子供の頃、夏休みに父親の田舎で過ごした時、花火を買いに行こうということになり、歩いて三十分ほどの雑貨店に買いに行ったことがあった。お店の初老のご主人が父親の選んだ花火を茶色の紙袋に入れているのをぼんやり眺めていた自分は、勘定台の上に置かれたその包みを何の疑いもなく手に取ってお店を後にした。泊めて貰っていた伯父さんの家に着くと父は自分の持っていた紙袋を見て、それは何か、と訊いてきた。その父の手には別の同じ茶色の紙袋が握られていたのだ。ああ、間違えて持って来てしまったのだな、と思ったものの、また三十分の道程を返しに行くのも面倒臭いな、とも思った。伯母さんがそのお店に電話して事情を説明する。と、何とそれは伯父さんがお店に頼んでおいた花火なのだった。ご主人は、自分が紙袋を持って行くのも見ていたらしいのだが、父の顔を見て、ああ親戚の親子が買い足しに来たのだなと思い引き止めなかったのだという。世の中、そんな不思議な、けれどよく考えると不思議という程でもない(その田舎の雑貨店は近所で唯一の花火を売る雑貨店だった)出来事に満ちている。そんなことを改めて思い返させてくれる吉田篤弘の一冊。