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私が高校時代の世界史の授業をしっかり聞いていなかったせいもあると思いますが、最近になってなぜ大航海時代が西欧諸国を中心に行われてきたかがわかりました。さらには宗教が現代と比較してとても力を持っていたこともわかってきた私にとって、元税務調査官である大村氏が、お金の観点から宗教との関わりを通史で解説してくれているこの本は、今の私に最適の本でした。
歴史は、思想や政治的な観点から書かれることが多かったと私は認識していますが、この本のようにお金に焦点をあてて解説してある方が私は歴史の流れがすっきりと理解できました。
以下は気になったポイントです。
・キリスト教もイスラム教も、ユダヤ教から派生し両者ともユダヤ教の聖典である「聖書」を聖典としている、つまり世界の二大宗教が、実はユダヤ教という共通のルーツを持つ、ユダヤ教は土俗的な宗教を除けば世界最古の宗教である(p12)
・モーゼの十戒の1つである、みだりに神の名を唱えてはならない、とは「神頼み」をするなということ、さらに、偶像をつくったりそれを拝んではならない(偶像崇拝の禁止)というのもある(p15)
・ユダヤ人は長い歴史を通じて、あらゆる土地でマイノリティであり、異教徒であったため迫害や追放の目に遭ってきた、十字軍遠征の際にはユダヤ人居住区がたびたび襲撃、13世紀(1290)にはイギリスがユダヤ人を追放し、西欧諸国もそれに倣った、追放されなかったとしても、ゲットーという居住区に半強制的に閉じ込めされた、ユダヤ人が西洋諸国で他の民族と同じような市民権を手にするのは、フランス革命以降である(p20)
・11世紀以降にフランスで、ユダヤ教の指導者が「我々ユダヤ人は国王や貴族に税金を払わなければいけないし、生活費を稼ぐためにも金貸業は禁止しない」という見解を出してから、ユダヤ人は公然と金貸業を生業とし出した(p26)
・貿易は原則として物々交換だが、それができない場合には、奴隷を使った。それが奴隷貿易である、10世紀にスラブ諸国がキリスト教化されるまで衰退することはなかった(p29)
・当初ローマ帝国はキリスト教を禁止していたが、広がりが抑えられないのをみて、4世紀のローマ皇帝コンスタンティヌス1世は、アタナシオス派をキリスト教の正統宗派とし、その他の宗派は異端とした。皇帝はアタナシオス派に国教としてのお墨付きを与えることで、キリスト教の間接的な支配者になった、キリスト教の発症はパレスティナ地方でありローマとは縁もゆかりもない、なのにカトリックの本拠地がローマになっているのは、ローマ帝国が国境として容認したからである(p50)
・アメリカら大陸へ渡ったスペイン人たちは、キリスト教布教を隠れ蓑にして、収奪と殺戮を繰り返した、これには教会税の徴収という大きな大義名分があった(p66)
・16世紀当時奴隷を購入していたのはスペインで、スペインに販売していたのはポルトガルであった、ポルトガルは黒人部族から奴隷を仕入れていた。当時のアフリカ諸国では黒人部族間の争いが絶えなかった、この争いで負けた側は勝者の奴隷になる風習があった、ポルトガルはそれを利用した(p68)
・1309年にクレメンス5世がフランス王フィリップ4世の要請を受けて教皇庁を南フランスのアヴィニヨンに移した、これは1377年まで68年間置かれた(p75)
・1517年ドイツの神学者ルターにより教会の形式化した教義を元に戻し、聖書に立ち返ることを旨をした改革運動を起こした、この宗教改革により、キリスト教は分離し、今までのものがカトリック教会、新しくできたものが、プロテスタント教会になった(p81)
・スペインは、レパントの海戦で、オスマン・トルコ海軍を破ったが、その当時から深刻な財政問題を抱えていた。1556年にスペイン王位を継いだフェリペ2世はアメリカ大陸などの広大な版図を相続したが、引き継いだ負債はそれよりも大きかった、このため1557,1575にわたって破産宣告をしている、各地の商人から借りた金を返せないと宣言(デフォルト)した(p89)
・オランダは宗教改革以降、急激にプロテスタントが増えていてスペインと対立しつつあった。そんな中でスペインは何度もオランダに特別税を徴収して、さらにアルカバラ(消費税)を導入しようとしてオランダ人たちは猛反発して武装蜂起した、ついには1648年ヴェストファーレン条約においてオランダのドクちるが承認され、スペインは経済の要衝の地を失うことになった、ポルトガルも同様に武像放棄した(p93)
・スペインの無敵艦隊が急速にその力を失っていったのは、スペインの財政悪化、国際収支の悪化のためであり、ひいては教会への負担が大き過ぎたためであった(p98)
・イギリス本国が宗教改革を機にプロテスタントになったのに対して、アイルランドはそのままカトリックであった、そのためイギリスがアイルランドを支配に置いたとき、深刻な対立が生じてしまった(p100)
・ブッダの思想は、厳しい修行をやり遂げたものだけが人生の問題の全てを解決できる、というバラモン教の思想のアンチテーゼ(反対)であった(p114)
・信長が焼き討ちにしたのは単なる宗教迫害ではない、室町から戦国時代前半にかけて日本の資産の大半は寺社が所有していた、比叡山の荘園の数は285箇所を超える(p127)
・戦国時代の8つの金持ち団体とは、1)大山﨑(自治都市)、2)細川高国、3)堺(自治都市)、4)山門使節、5)青蓮院、6)興福寺、7)比叡山三塔、8)大内義興、4つが寺社関連、興福寺以外は比叡山延暦寺関連である(p130)
・絹、酒、麹、油などの重要な商品は、自社によって牛耳られていた、酒は比叡山、絹は祇園社、麹は北野社、油は南禅寺などが大きなシェアを持っていた(p138)武器の鉄砲の産地は、堺・近江国友・根来寺である(p141)
・朝倉と浅井と戦っていた信長は、比叡山に対して「朝倉軍に加担しないように、中立でもいい、そうすれば以前の領地を返還する」という証文まで出しているが、比叡山は朝倉に加担した。そして信長は激怒し、翌年焼き討ちを行った(p144)
・既存の宗教が権威的だったのに対して、浄土真宗は誰でも成仏できるという教義であり、普及の速度が尋常ではなかった(p145)浄土真宗は寺内町という特権を持っていた、これは権力の介入を受けない自治都市のような特権を持っていた、摂津・河内・根来など、近畿地方に多く存在していた。ここでは徳政令が出ても適用されなかった(p146)
・教如は本願寺の東側に寺社地を与えて新しい寺社をつくらせて宗主となった、これが東本願寺である。元からある方を西本願寺と呼んでいる(p153)
・もし信長や家康が寺社を叩いていなければ、現代の日本では仏教が大きな力を持っていたかもしれない。そして彼らの仏教迫害が日本を宗教の影響の少ない国にした、日本ほど宗教の影響が小さい国は稀である(p155)
・南蛮船と交易するために、諸大名たちはキリスト教の布教を認めた、このためキリスト教が爆発的に広がった(p160)南蛮船のほとんどは、マカオや中国の港で積んだ物資を持ってきた、積荷のほとんどはアジアで調達されたもの。(p167)
・ポルトガルは1513年には明と通商関係を結んだ、そして1557年には海賊を討伐した報償として明から、マカオを貸与された。そしてマカオを拠点にして日本も含めた東南アジア一帯での貿易を行う様になった、ポルトガルは倭寇に代わって日本の海外貿易を担う様になった(p168)
・秀吉はこのままキリスト教の普及を許せば大名たちがめいめいで南蛮貿易を行い続けることになる、武器屋軍需物質の輸入もあり、天下統一をして各地の戦闘をやめさせようとしていた秀吉にとってこれ以上の武器の輸入は思わしくなかった、南蛮貿易による経済的メリットは惜しかったが、他のデメリットが大きかったのでバテレンを追放した、これはキリスト教を厳格に禁止したわけではなかったので、ポルトガル人・スペイン人の宣教師も多く残っていた(p175)
・マホメットはイスラム教に改宗すれば人頭税を免除すると呼びかけた、そのため人頭税に苦しんでいたキリスト教徒たちは、こぞってイスラム教に改宗した(p187)
・イスラム帝国は改宗しないものに決して手荒なことはしなかった、キリスト教徒、ユダヤ教徒は同じ教典の民として改宗は強制されなかった、厳しく迫ったのは、教典の民以外の多神教の者たちである(p188)
・西欧諸国が危険を顧みず大航海に乗り出したのは、地中海をオスマントルコに支配されているため、オスマントルコを避けてアジアを交易できる(関税を逃れる、p201)ルートを開拓しようとしたのが始まりである。当時のオスマントルコは強大な軍事力で睨みを効かせ続けた、これは絶大な経済力に裏打ちされる(p194)
・中世の西欧諸国とはほとんどが封建制度である、つまり「一応、国王などが統治しているものの、国の大半は貴族や豪族などが支配し、国王なその束役に過ぎない」日本もそうであった(p195)
・当時の東西貿易は、中国・中央アジアをへて欧州に至る陸路(シルクロード)と、東南アジアからマラッカ海峡をへてペルシア湾に上陸する海上ルートで行われていた、この2つの中央ターミナルと言える都市が、首都であるコンスタンチノープルであった(p197)
・オスマントルコは、スペイン・ポルトガルが作った新しい航路に対して手を打ったのは、まず1535年にフランスと(当時スペインと敵対)同様のもの��1580年にはイギリス、1612年にはオランダと結んだ、香辛料の特別関税はなくなり、フランス・イギリス・オランダには安く販売し、スペイン・ポルトガル勢力の貿易を邪魔しようとした(p204)
2023年1月25日読了
2023年1月28日作成