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作品紹介・あらすじ
かなしくてさびしくて優しい人に。
詩のささやきが放つ色気にすっかりやられてしまった。不幸せな者、それでいてどうしようもなく優しい者だけが持つ、強烈な色気。ささやきでしか、本当のことは語れないのかもしれない。(向坂くじら・詩人)
『西瓜糖の日々』が文庫化されたのが2003年。大学1年生だった私はブローティガンに大いに影響を受け、物語るように歌詞を書くようになった。狂気を語る穏やかな声は、きっと今も遠くまで響くことだろう。(高城晶平・cero)
リチャード・ブローティガン(『アメリカの鱒釣り』『西瓜糖の日々』)、新訳詩集。
*****
古今東西を問わず最も好きな作家は? と問われたらリチャード・ブローティガンと答える。とにかく大好きな作家の詩集。彼は元々は詩人だったこともあり、小説もなんとなく詩の延長みたいな印象を受ける。だから彼の詩集は彼の小説の源泉を覗くような楽しみもある。
この本は、「1991年に出版された『リチャード・ブローティガン詩集 突然訪れた天使の日』に、同訳者による全面的な改訳を施し、削除されていた三篇の詩を追加し、注釈を増やし、詩も並び順も再吟味した『完全新訳版』である」とのこと。「突然訪れた天使の日」も読んでいるはずなのだけれど、もう何十年も前のことであり、読み返しもしていなかったので、全く新しい詩集として読むことが出来た。前出のように、小説の源泉を覗くような楽しみがあり、どことなくリチャード・ブローティガンという人の人柄(シャイで寂しがり屋で優しくて、ちょっと人を喰ったような人……あくまでも僕の想像だけれど)が滲み出て来るような印象がある。長い詩はなく、大体が3~10行程度。どれもスっと読めてしまう。僕自身あまり詩には詳しくないし、楽しみ方も知らない方なのだけれど、それでも読み終わった後に、行間に和まされたような気持ちになれた。それでも星が4つなのは、やはり彼の小説に比べてしまうと、詩はほんの少しだけ面白味が弱い気もしているので。
難癖をつけるとすれば、本のサイズが縦17cm、横13.5cm、あとがきを含めて110頁程。これで2,000円はちょっと高いかなぁ、と思ってしまったこと。それとも詩集って相対的に高いのだろうか。あと、訳者あとがきに「蟻」とするところを「蛾」にしている誤字と思われる箇所が1つだけあった。
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本当に買ってよかった
たとえAmazonから届いた本の表紙が少し折れていたとしても
詩の中でしか存在できないものは心をじんわりさせる
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自分が生まれた頃に、世界的ベストセラーとなる小説『アメリカの鱒釣り』を上梓、一躍、時の作家となったらしい。
翻訳小説が有名らしいが、そちらをすっとばして、たまたま近所の喫茶店で目にしたこの詩集を手に取り読んでみたもの。
詩の善し悪しは分からないが、「これいいな」と思えたものが一遍でもあれば、それは、もう拾い物だ。本作には、一篇どころか、数編「これはいい」というのがあった。
一番のお気に入りは、
” きょうは出だしをまちがえた
だけどもっとうまくやって
ちゃんとした一日にしようと思うんだ。” だ。
これだけで前向きな気持ちになれる。
” 経験というものにどんな価値があるのかはだれにもわからない、
だけどなにもしないでただじっとしすわっているよりはましさ。
ぼくはいつも自分にそう言い聞かせているんだ。”
今度は、彼の小説の方も読んでみよう。
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表紙のタイトルに惹かれて手に取る。
奥深い、一度だけでは掴みきれないものがある。
結局、何度も読み返すことになるのだが…
詩とはそんなものだろう。
自分だけの解釈でもいいじゃないかと思えてくる。
少し心に何か感じるものがあればじゅうぶんかと…
「気づくことは何かを失うことだ。
ぼくは考える、恐らく死者を悼むときでさえも、
このことに気づくために失ったものについて。」
「経験というものにどんな価値があるのかはだれにもわからない、だけどなにもしないでただじっとすわっているよりはましさ、ぼくはいつも自分にそう言い聞かせているんだ。」
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本屋さんで手に取って、ぱっと開いたページの言葉にやられて買った一冊だったけれど、あとから【西瓜糖の日々】の人の詩集だと分かり、俄然読みたくなった一冊。
正直すべてに「素晴らしい」といえるほど私は彼の世界を理解できていない。
それでもこれは詩集なのか、ときかれたら
「素晴らしい詩集です」
と答える。
言葉に真摯過ぎる向き合い方、神経質すぎる性質、それなのに無邪気のままだった心で、生きることは大変だったことだろうと思う。