電子書籍
ハルキワールド
2023/04/26 19:51
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
16歳と17歳と……から始まって、一人は、40歳を過ぎ、もう一人は、その年齢のまま……。この設定もハルキワールドなんだなぁ……。それと、なんとなく自分は、ノルウェイの森を思いました。ハルキワールドに浸りたい方、オススメ
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第一部はぼくが高校生で17歳のとき、エッセイコンクールの会場で出会った生まれて初めてもった16歳のガールフレンド。彼女は「すべてあなたのものになりたい」と口では言いますが、あなたのものにはなっていません。
そして彼女が話す街の話。
街は高い壁にまわりを囲まれていて図書館があるといいます。そしてその図書館で本当の彼女が働いているのだといいます。
そしてぼくは彼女に会うことができなくなりますが、ぼくはその街に入っていきます。
その街でぼくは門衛に影を預けて<夢読み>の傷ついた眼を与えられ二度とその門をくぐらないという暗黙の契約を結びます。
そして図書館で彼女と一緒に働き始めます。<夢読み>として。
しかし、ぼくは自分の影に外に出ていこうといわれその話は断るのですが、いつの間にか何かの力で、外に出てしまいます。
そして第二部は私は新しい職場として、図書館を選び、人の紹介で知った会津の図書館で働くことになります。
そこの館長、子易辰也はベレー帽をかぶりスカートを履いた人物で実は物故者でした。
でも、わたしととある他の2名の人物にだけ子易さんは見えるのでした。
子易さんが見えるもう一人の人物は、イエロー・サブマリンの少年というあだ名のサヴァン症候群の少年です。
わたしは子易さんに高い壁の街のことについて話すと、なんとイエロー・サブマリンの少年が、その街の地図を描いて持ってきたのです。
第三部はイエロー・サブマリンの少年とわたしの話です。
やっぱり村上春樹はわかりませんでした。
第二部以降面白くてわくわくしながら読んだのですが結局何の話だったのかは私には謎でした。
ただそれぞれのピースがぴたっとはまっていて完璧な感じがしました。
めずらしく村上春樹さんのあとがきがついているのですが、それでもわかりませんでした。
もう、村上春樹は読まない!と思っても発売されてニュースになるとやっぱり買ってしまいます。
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は谷崎潤一郎賞を獲られているのですね。知らなかったです。
他にもノーベル文学賞はありませんが『ねじまき鳥クロニクル』は読売文学賞。
『海辺のカフカ』は世界幻想文学大賞(アメリカ)。
『1Q84』毎日文化賞など獲られています。
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三部構成でしたが、私はなんといっても一部が好きでした。特に冒頭。
高3の主人公と彼の好きな高2の女の子が川べりを散策するシーン。あまりに文章が良すぎて、病院で一緒に順番待ちしていた息子に、その部分を頼まれてもいないのに興奮してそらんじていまいました。
○濡れたふくらはぎに濡れた草の葉が張り付き、緑色の素敵な句読点となっていた。
とか、…
いちいち何かが弾け飛んでしまいそうなほどみずみずしい。
思春期の私の息子。彼が好きになった娘と、こんな風に幸せな時間を過ごすことが、この先あったらたらいいなと願いつつ想像して、勝手にふわふわしてました。
ここだけ抜き出しても、この本のことは何も伝わらないのですが、長い文章を読んで一番心打たれたのが冒頭でした。
これまで読んだ、数冊の村上春樹さんのものの中では、かなり読みやすい方で、自分が今どこに存在しているのかわからなくなるような不思議な感覚を持ちながら、没頭して読みました。
彼女からの手紙の部分は、当然他人が書いた風にしないといけないので、他の部分の完成された文章と全く違い、かなり文が拙く、そのぎこちなさが面白かったです。
カフェの店員さんにしても、女性側からの描写になると途端に質が下がるのが何だか天才の弱点のように感じられて、ほっとするのは私だけでしょうか?(笑)
影と本体、その二つの分化と結合。意識下の中だけで存在する街。その街でないと上手く生きられない少年。夢を読む。
キーとなるメタフォリックな言葉の数々。
解釈しようとしても私にはわかりません。今回はまだ手に届きそうな所まで来たので、いつもと違い、ご本人からこの作品について詳しく話が聞きたいと初めて思いました。いつも、村上春樹さんの本は、世界の捉え方があまりに自分と違いすぎるせいもあるのか、(私は彼は宇宙人だと思っています)共感できるところはまずないし、よく理解できません。特に好きなストーリーでもない…。でも、文章がとにかく素晴らしいし、異世界に連れていってくれるし、宇宙の歪みの空間に浮遊しているような、怖いような自由なような、孤独でいて爽快な気分にさせてくれて、のめり込んでしまいます。
上手く作品の良さをまとめられずもどかしいのですが、最後に気に入った箇所を抜粋します。
○そこに一人で立っていると、私はいつも悲しい気持ちになった。それはずいぶん昔に味わった覚えのある、深い悲しみだった。私はその悲しみのことをとてもよく覚えていた。それは言葉では説明しようのない、また時とともに消え去ることのない種類の深い悲しみだ。目に見えない傷を、目に見えない場所にそっと残していく悲しみだ。目に見えないものを、いったいどのように扱えばいいのだろう?
読んでいる間、とても贅沢な時間が過ごせました。
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子易さんと町立図書館が登場してから、とても心地よく読んだ。
大好きな「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の続編なのでは?!という気持ちで読み始めたが、実際には繋がった話ではなく、あとがきを読んで、それより前に書かれた、原型となった小説を、書き直した本だということだった。
作中で、作家自身が該当するジャンルでもある、マジックリアリズムについて、ガブリエル・ガルシア=マルケスの引用と共に語られており、小説内で、小説の、特にその小説が当てはまるジャンルについて、具体的に語られることが、衝撃的だった。
上記を含めて、「世界の終わり〜」ではほんの少しの示唆にとどめられていた、街と外界、影と本体との関係や、小説の中の比喩などに関して、具体的な説明が多く、理解しやすくなっているように感じた。
最後、現実界に戻ることが、はっきりと示されるのも、意外に思った。
主人公が、無菌状態の心のない街から、悲しみや、喜びのある現実を選択することは、この無情な現実世界を生きる上で、励ましになる。
そして、現実世界に、子易さんみたいな親切な幽霊のようなものが登場しているのも救いのように感じた。
子易さんが消えてしまった後も、子易さんの作った図書館と、子易さんの意思を継いでそこで働く、添田さんは残る。
そうした、本当の真心のようなものが、この世界に存在すると信じることは、決して無駄じゃないことだと思う。
一方で、現実世界に適応できないイエローサブマリンの少年が、逆に壁の街で生きることを選択することもとても象徴的だ。
現実へのそぐわなさを感じて、どこか別の世界で生きることを夢見る多くの人間からすると、この2通りの選択肢を提示してくれたことはとても救いになっていると思う。
また、いままでの作品に必ずと言っていいほどあった、性描写や、理不尽で圧倒的な暴力の描写が、ほとんどなかった。
近年あまりに、世界が荒んでいるためか、そうした世相を反映した、性暴力・暴力描写が創作物に多く現れていて、読んでいて疲弊することも多かったため、今回の作品にそういった描写があまりないことが、個人的にとてもありがたかった。
今まで、女性が受ける性暴力などによる心の殺人の気配と、その圧倒的な暴力の前に、暴力を行う側と同じ性別を持ってしまっている主人公自身の戸惑いが、いくつかの作品を通してテーマとなっていたと思う。
そのテーマを男性作家である著者が語ることは、とても意味があることだったと思うし、今作でも、その気配はある。
ただ、決定的な暴力、性描写は避けられている。
一方で、主人公が、一つ年下の女子高生の恋人の、スカートの中を妄想し、自己嫌悪に陥ること、それがきっかけか否かはわからないにしろ、時を同じくして、彼女との交流が絶たれるという部分には、性暴力がより身近で、尚且つ避け難く日常的なものであることが描かれていて、今まで以上に、より繊細にその問題に関して表されていると思った。
また、同じように、現実世界にいる、性行為ができない、カフェの女主人の存在もその問題を暗示している。
ある意味で、���までずっと作者の中にあり続けた、自身が抱える性の暴力性に対応する答えとして、性関係を結ばないまま、女性と共に過ごすことを選ぶ、という結論が描かれているのかもしれない。
カフェの主人との関係では、「性行為は、女性自身がそのことを望むまで行ってわならない」という、かなり当たり前ではあるが、ほんの最近までずっと見過ごされて来たことを改めて示されている。
また、暴力描写が少ないとはいえ、トラック事故による息子の死、川に身投げする母といった、理不尽な死は、描かれている。
でも、これらはあくまで過去の死であり、また、主人公が恋した女子高生との突然で、強烈な別離に関しても、作中で過去のこととなっていき、子易さんも主人公も、そうした深い傷を抱えながらも、世間とのつながりをゆっくりと取り戻し、現実世界に帰還していくことが、また、その方法と過程が、具体的に描写されていることも、この作品の、特徴だと思う。
時を経て、引き裂かれた影と人とが一つに戻ったこと、一方で、街に留まる選択肢も残してくれていることに、暖かみを感じて、嬉しく思った。
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ハルキストじゃないのに、むしろ苦手なのになんとなく読んでるものなので今回も読みづらくてなかなか入り込めなかった。あまり参考にならない感想で、、、
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とにかくブルーベリーマフィンが食べたくなる。
不確かな壁、あちら側、こちら側を行き来きする僕を追いかけるのに必死で、毎回読後眠気が凄かった。だけどこのぐったり感がクセになるんだなぁ。
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今回、初めて単行本で発売と同時に村上春樹さんの新作を読むという体験をしました。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では、影を逃し主人公は街に留まるところで物語が終わりました。
今回の『街とその不確かな壁』はその先の物語でした。
第一部は、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の書き直しでしたが、ハードボイルド・ワンダーランドの部分がごっそりと削ぎ落とされ、作文コンクールで出会い文通相手となった夢日記を付けている少女とぼくの現実が上書きされていました。
街が「きみ」と「ぼく」で作り上げた世界という解釈になっていたところから自分の中で脳のアップデートが始まりました。
街が自分だけの世界ではなくなった。影を逃したことで自分自身も街から追放され街の記憶を抱えながら現実で再び影と一体化した。なるほど。
第二部は、街の共作者である「きみ」を失いその空白を埋められないまま40代になった主人公の現実での物語。なのですが、そこに子易さんの登場。
現実と街が再び交わっていく。
新しい町で出会ったコーヒーショップの店員の女性は、どことなくあの時の「きみ」を彷彿とさせる。そして、イエローサブマリン少年の登場。
このイエローサブマリン少年が超絶キーパーソンでした。イエローサブマリンは潜水艦。潜りの専門家。
第三部では、「僕」と「潜水艦」が出会ったことにより街と壁と現実の関係性はさらに不確かになっていった。
読み終えて、自分の脳の中にもイエローサブマリン少年が息づいた。そのことによりある種の作業(夢読み)を彼に託すという心持ちが根付いた。
寝ている時などイエローサブマリン少年が自分の中で猛烈に夢を読んでいる感触がある。彼を取り込んだことで高速で何かが蒸発しているような感じがする。
最後の最後、蝋燭が吹き消され本を閉じてから自分は街の外に出てきたのだとわかった。やはり街の外を生きていかなくてはならないのだと理解した。その現実が意外に苦しかった。
自分は街に飲まれていたかった部分があったのだと思う。壁を抜けることなんて忘れていたかったのかもしれない。
それでも今では、心の中にイエローサブマリン少年がいる。彼は自分の代わりに一心不乱に夢を読み耽っていることだろう。そして彼は満たされているのだろう。そう考えると、街の外を生きていく力が少しずつ湧いてくる。
イエローサブマリン少年はあの街で「きみ」と仲良くなるかもしれない。「僕」はあのコーヒーショップの店員と深い繋がりを感じられるかもしれない。
物語は続いていく。続いていくことであらゆる感情が湧いてくる。きっとそれはイエローサブマリン少年が猛烈に読んでいる夢なのだと思う。
イエローサブマリン少年と「僕」は一つだ。そしてこの物語はファンタジーではなく、やっぱりマジック・リアリズムなのだと感じる。
街があり、その周りを取り囲む壁は不確かだ。自分の中の影を受け入れること。信じること。シンプルなメッセージが胸を打つ。
2023年に重要な小説を読み終えた。読み終えた先に現れる物語を確かめること。
それが生きていくことなのだと思いました。潜水艦と共に。
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世界観は好きなんだけど長過ぎる。
著者の作品はそれが良いんだというツッコミが聞こえてきそうだが、正直に言うとやっと読み終わった…と思ってしまった。
影と引き離されて生きる世界か、影と一緒に生きる現実か。(私には現実に思えたが、違うかもしれない。)影のない世界で夢読みとして生きる主人公の姿はそれなりに幸せそうだったが、どうにも「人間らしさ」を感じなかった。
一転、影と一緒に生きている主人公は、図書館長として様々な出会い(子易さんや受付の女性、生年月日を聞いて曜日を当ててくる少年)があり、生き生きとしていたように感じる。
最後の方はちょっと理解が追いつかない。
少年とひとつになって壁の中で生きるとかやっぱり別々になってとか。
彼女とは結局一緒になることはなかったのだろうね。
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「文学界」に「街と、その不確かな壁」を発表したのが1980年。当時31歳だった春樹先生はそれを失敗作だとみなして本にせず、1985年、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」として書き直した。この小説は2つの話がパラレルに進み、最後には微妙に繋がっていくのだけれど、「世界の終わり」側の話が「街と、‥」の書き直しだ。でも結末が違う。「街と‥」では僕は影と一緒に街を脱出するのだが「世界の終わり」では僕は街に残る。今回の「街と‥(ややこしい)」では第一章がそれにあたるが、やはり僕は街に残っている。街を作った(夢の中で)者として責任を感じるからだ。
街は壁に囲まれ、門番がいて誰も出て行けないし、入れない。大きな川が東西に流れ、針のない時計台がある。時間が経たないこの街では、人々は影を持たず無表情に淡々と日々を送る。美しい白い毛並みを持つ一角獣と鳥以外 は生物がいない。冬になると雪深くなり、一角獣は雪の中で寒さに耐え、そして死んでいく。死んだ一角獣は門番に焼かれる。僕はその街の図書館で古い夢を読む仕事をする。春樹先生にとってその街は現実よりリアルな世界なのだ。
第二章からは新しい話。ざっくりあらすじを書くと、街に残ったはずの僕はなぜか現実の世界にいて、会津の奥の田舎町で図書館長の仕事に就く。別れたはずの影もちゃんと戻っている。前館長はとてもいい人だが、既に死んでしまった人(つまり幽霊)で、僕が過去に影を持たない人だったことも理解していた。そのことを知った僕は子易さん(前館長の名前)の毎月月命日には墓参りをした。その姿をじっと見つめる少年がいた。イエローサブマリンのパーカーを着た男の子だ。その少年は学校に行かず図書館でひたすら本を読む。一度読んだ本は一字一句間違えず暗誦することができる天才的記憶力の持ち主だが、極度のコミ障でいつも自分の殻に閉じこもったままだ。ある日その少年がほぼ完璧な街の地図を描いてよこした。誰も知るはずのない街の地図を。そしてこう言う。「その街に行かなくてはならない。」と。しばらくして少年はこの世から姿を消す。出かけた形跡もないのに、部屋から蒸発したみたいに。
第三章で僕は壁に囲まれた街にいて図書館に通い、古い夢を読む仕事をしている。現実の世界にいた記憶は全くない。そこで不法に街に侵入してきたイエローサブマリンのパーカーを着た少年に会う。そして図書館で夢読みの仕事をしたいから体に入らせてくれと頼まれる。「ぼくはあなたであり、あなたはぼくなのだから」自分たちは一体化しなければならないと言う。一体化した後、少年とは自分の中の暗い小部屋で会って話をする。そこでは少年はとても饒舌だ。しかしその時間も長くは続かない。やがて僕はその体を少年に譲り街から出ていく。
第二章の終わりに、夏の午後に川の中を裸足で遡って歩くシーンが出てくる。遡っていくうちに僕の記憶はそのままで体だけがどんどん若返っていく。40代から30代、20代、そして17歳になった時に前を歩く彼女の姿が現れる。彼女は16歳。昔のままだ。白い砂州に並んで座り手を握る。夏の夕暮れ、川の音と蝉の声、夏草の匂い。やがて自分に影がないことに気づく。「ねえ、わかった?私たちはふたりとも、だだの誰かの影にすぎないのよ。」
このシーンが何を示唆するのかはわからない。でも印象深いシーンだ。
生と死、夢と現実、影と本体がないまぜになっていて、整理しようと思っても整理できないし、理論付けて解読することに意味があるとも思えない。こう書かれている。「何が現実であり、何が現実でないのか。いや、そもそも現実と非現実を隔てる壁のようなものはこの世に存在しているのだろうか。壁は存在しているかもしれない、と私は思う。いや、間違いなく存在しているはずだ。でもそれはどこまでも不確かな壁なのだ。」と。
跳躍したくなるようなソワソワした気持ちを「春の野原の若い兎」と言い(第三章)、なんてことない記憶でも、突然思い出してドキッとすることを「森の木の葉を撒き散らし、すすきの野原をひれ伏せさせ、家々の扉を叩いて回る、秋の夜の風」と表現する(謝肉祭@一人称単数)、村上文学が大好きだ。
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村上春樹らしい世界観と表現方法は圧巻でした
相当な読解力があれば物語として楽しめるのかもしれませんが、村上春樹作品を初めて読む人には訳がわからないくだりが多過ぎて途中で挫折する危険ありなので注意が必要だと思います
海辺のカフカや1Q84などは後半になるに連れて謎が解けていく感覚があったが今作品は謎が多く残った。
(自分の読解力がないだけだと思うのでもっと多くの本を読んだ後でもう一度読みます)
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感想
観測可能性と理解可能性。外側は見えるがわからない。内と外。どちらに寄りかかるのか。模索しながら揺れながら。一歩ずつ終わりに向かって。
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きみと君、ぼくと僕。
影と実体、現実と幽界(果たしてどちらが「実体」「現実」と呼べるものなのか、境はあるのか、そこが肝であるのだけど)。
実際のところ、そう認識すれば境なんてものは曖昧で不確か(そう、不確か)な存在で、あるべき所にあるものがある状態なら人は疑問も不都合さも感じないのだろう。それが影であれ実体であれ。
そういう成り立ちの世界で、自我をーアイデンティティを保たせるもの/こととはなんなのだろう。意識と非意識(無意識ではなく)を行ったりきたりする魂のおこないのようなものは、結局他の人に感知されることでしか保たれないのではないか。
忽然と姿を消した「きみ」は、壁に囲まれた町で「僕」に認知されることで存在している。「僕」もまた、門衛や「きみ」に存在を認められている故にあの世界にいられる。
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https://www.shinchosha.co.jp/harukimurakami/
https://www.fujisan.co.jp/product/1914/new/
https://www.tokyo-np.co.jp/article/255114
https://www.shinchosha.co.jp/shincho/
名前のないコーヒーショップで流れたジャズ
https://www.discogs.com/ja/release/1154299-Dave-Brubeck-Quartet-Dave-Brubeck-Quartet
https://yasu-san.hatenadiary.org/entry/20131205/1386242732
https://yasu-san.hatenadiary.org/entry/20131001/1380801663
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1部は、世界の終わりとハ-ドボイルドワンダ-ランドと同じ構成で2つの世界が交互に進むのだが、
第2部、第3部で私と影の関係性がみごとリンクしてくる。
メタファー少なめで、ストーリー展開も面白い。
アフターコロナの今、自分の立ち位置を考えさせられる。
もう一度読み直すと、またその時の状況で違う感想になる一冊。
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面白い!けどコーヒー屋の女店主が何者なのかとか、最終的になんでイエローサブマリンのパーカーの少年と一体化するのかとか、なんのために夢を読む必要があるのかとかよくわかんなかった。解説探しに行く。