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独裁者の料理人だった人物を探し料理人になったきっかけやどんな料理を作ったのかを聞く。私の勉強不足で紹介された独裁者がどの程度悪い方なのか分からず読んだため、料理人の心境と環境が自分の想像との結び付けのような読了になってしまった。料理に関する本なので黒い部分の話は軽めに触れてあった。
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『翌日、エラスモはホルヘを抱きしめる。まるでこの若者が初めて戦火の洗礼を受けたかのように。
「これでもうわかっただろう。大統領のために働くというのがどういうことか」と言う。』(P228)
バラク・オバマに給士するウェイターの補佐となったホルヘは『ホルヘ、とても美味しかったよ』と自分の名前を呼び感謝を伝えたオバマにいたく感動する。フィデロ・カストロの料理人であったエラスモはまだ若い彼にそう言った。
この本で語られる独裁者と料理人のはじまりはだいたいそう。人は必要とされるところに流れていく。この本で最も印象深かったシーンだった。
また元料理人たちの立身出世物語でもあるところが面白かった。親戚が料理人で自然と自分もその道を歩んだ人、庭師からステップアップした人、全員に共通していることは最善を尽くしたことだ。想像力豊かに独創性をもって料理をする。才能だとか経験だとか、そんなものが生きてくるのは日頃の地道な努力や思索があってこそなのだ。大体の人はスタートラインにすら立てていないのかもしれない。自分のキャリアについて考えさせられてしまった。
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かつて独裁者だった人物、イラク共和国のサダム・フセイン、ウガンダのイディ・アミン、アルバニアのエンヴェル・ホッジャ、キューバのフィデル・カストロ、カンボジアのポル・ポトの料理人のインタビュー集。
料理人になった経緯と仕事をしていたときの心理と主人の失脚後の人生は様々。大体は「いつ捨てられるのか、いつ殺されるのか」と怯えながら仕事をしていた。
その中で一人だけ異彩を放っていたのはポル・ポトの料理人のヨン・ムーン。インタビューされた人間では唯一の女性。彼女はポル・ポトに心酔しきっていた。
料理人以外の現地の人間にもインタビューを行い、独裁者が当時現地でどう思われていたのか詳しく描かれている。
少し駆け足で読んだのでまた機会があれば手に取りたい。
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独裁者に気に入られつつも、いつ殺されるか分からない恐怖に怯える
独裁者のこどもが腹痛をおこし、急ぎ病院に連れて行く話や、仲のよかった友人が実は自分を密告していたり
もう小説のようなエピソードがたくさん
一方で独裁者の優しい一面を語る料理人もいる
決して歪んだ認識というわけでなく、おそらく正しい一面なのだろう
そういう点も含め素晴らしい
ハンターハンターの蟻編のストーリーみたいだ
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図書館で借りた。
サダム・フセイン、フィデル・カストロ、ポル・ポトといった独裁者に仕えた料理人にインタビューし、独裁者はどんな料理を好んで食べたのか、どんな様子だったのかを取りまとめたという珍しいジャンルの1冊。
たしかに、独裁者自身にインタビューすることは大抵難しいが、料理人という立場なら生き残って普通に暮らしていたりする可能性はある。このテーマで書こうと企画立案した著者は素晴らしいアイデアと思う。それでも、取材は難しかったようで、「聞くことすらできなかった」のはもちろん、「聞くことはできたが、それを書くことはできない」こともあると記されている。
料理・料理人にフォーカスを当てているので、本文中にレシピは太字で出てくるが、これを読んで料理をする…という代物ではないと思われる。あくまで独裁者とそのまわりの物語だ。
「料理人って…」を期待するより、「独裁者の裏話」的な期待の仕方をした方が、より入り込んで読み進められるかもしれない。
個人的には、この感想の冒頭で記した独裁者は知っていたが、イディ・アミン、エンヴェル・ホッジャといったあたりの独裁者はよく知らなかったので、知れたことが良かった。まだまだ世界を知らないなと感じたので、もっと読書を深めていきたい。
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独裁者の料理人
厨房から覗いた政権の舞台裏と食卓
著者:ヴィトルト・シャブウォフスキ
訳者:芝田文乃
白水社
*著者はポーランド人ジャーナリスト
サダム・フセインは何万人ものクルド人をガス処刑するよう命じた後、何を食べたのか?200万人近いクメール人が飢え死にしかけていたとき、ポル・ポトは何を食べていたのか?フィデル・カストロは世界を核戦争の瀬戸際に立たせたとき、何を食べていたのか?
こうした問いに答えを出すため、著者は独裁者に仕えた料理人を探した。4年間で4つの大陸を旅し、フセイン、イディ・アミン(ウガンダ)、シェチェ・パーレ(アルバニア)、カストロ、ポル・ポトの5人に仕えた、6人の料理人に取材した。もちろん、その他の関係者にも取材。
なお、他に、リビアのカダフィ大佐の元料理人にも取材したが、その時点で本が印刷段階に入っており、また、フセインと話が似ているので掲載は見送った。金日成の元料理人とも連絡が取れたが、電話だけで、会わなかったとしている。
純粋に独裁者の食生活と料理人の関係に迫ったのは、フセインとアミンぐらいで、あとは料理人の目を通した独裁者たちの生活ぶりや人柄といったところが書かれている。フセイン、アミン、パーレ、ポル・ポトは自らの命を狙っているという理由で、側近を含めて大勢を殺してきた。この本を読む限り、フィデル・カストロだけがまともな人間のように思える。彼は殺さないし、インテリだし、優しかったようだ。それに対し、日本を始め世界中で人気がある盟友のチェ・ゲバラは、結構、きつかったようだ。意外な一面でもあった。
なかなかに面白い一冊だった・
(読書メモ)
1.サダム・フセインの料理人~アブー・アリ
バグダッドで料理人をしていた彼は、ある日、宮殿で臨時の仕事があると言われ出かけた。すると、フセイン大統領の護衛が現れ、大統領のところに連れていかれ、料理人となった。
彼の料理は気に入られていたが、フセインは、好まない料理を出されると、まずい、代金を返せと言った。そして、50デイナールが給料から差し引かれた。しかし、後日、機嫌が良くなると、差し引いたことを思い出し、この前差し引いた分を返してやれ、それにもう50足してやりなさい、と言った。
フセインは、毎年、新車を買ってくれた。三菱、ボルボ、シボレー・セレブリティも持っていた。
フセインはたまに自分で料理を作って振る舞った。しかし、写真にポーズを取るのが好きなため、そちらに気を取られ、塩を一袋入れたりする。みんなそれを我慢して食べないといけない。
クェート侵攻後のある年、サダムではなく影武者だという噂をアメリカ人が流しはじめた。数週間後、彼はジャーナリストなどを招き、演説をして本人だと分からせた上で川に入り、泳いで向こう岸まで行き、戻って往復した。見ている者は、川の真ん中にモーター付きの見えないデッキがあって、それがサダムを引っ張っていたのだと言い始めた。それはもちろんデタラメで、サダムの宮殿にはプールがあっていつも朝食���に泳いでいた。
石油価格に関してクェートはイラクを潰しにかかっていて、フセインは何度も話し合いを求めたが、クェートは応じなかった。クェート侵攻はアメリカと合意の上で行われたことは、誰しもが知っていた。だからパパ・ブッシュが憤慨した時には、全ての国々(周辺国)はイラクに味方した。
2.イディ・アミンの料理人~オトンデ・オデラ
オトンデ・オデラは白人の役人夫婦の家でボーイをしていた。働き者でなんでもして、気に入られていた。裕福な白人は本国から料理人を連れて来たが、そこまで裕福でなかったため、オデラが料理好きと知ると料理を担当させた。夫人が料理を教えてくれた。
1962年、ウガンダが独立。白人たちが去って失業したが、ウガンダ首相ミルトン・オボテの官邸が厨房の従業員を募集していたので応募。白人の料理をうまく作れる料理人がめったにいなかったために採用された。
やがて、オボテとアミンがクーデターを起こし、彼はオボテ大統領の料理人となった。オボテは1971年、シンガポールへ赴いたが、帰ったらアミンを投獄するつもりだった。アミンは先手を打ち、クーデターを起こした。オデラはアミン大統領の料理人に。
料理は気に入られ、新車のベンツが贈られるなどしたが、親しかった仕事仲間が殺されるなど、彼はびくついていた。
3.エンヴェル・ホッジャ(アルバニア)の料理人~(匿名)K
自動車好きで機械工になりたかったが、党が決めたので料理人に。技師たちのための料理人をしていると、ある日、兵士につれられて別の町へ。ホッジャの別荘へ。1ヶ月間、彼の料理人に。彼はアルバニア料理しか食べなかったし、しかも糖尿病で1日1200カロリーが限度だった。
気に入らなければ殺される。それまで働いていた女性の料理人は入院したと聞かされた。幸い、なんとか気に入られた。妻のエンヴェルにとくに気に入られた。そして、首都ティラナに転勤、専属料理人に。
料理は評価されたが、ホッジャから独創的であれと言われる。しなければ殺されると思った。壮年男性に必要な栄養素すべてを1200カロリーに収めるのは至難の業、彼は184センチと大柄で激務をこなしていたし。食餌療法のせいで、彼はいつも腹をすかせ、いつもいらいら。彼の機嫌を見極めて、それに対応するようにした。
最初の女性料理人は自殺した。原因は不明。2人目は行方不明に。
Kは生きていたかったので、考えた。彼が子供の頃に母親が作っていたのと同じやり方で料理を作ってだせば、殺されないだろう、と。母親はすでに死んでいたが、兄と同じ家で育った妹のサノから母親の料理を学び、彼は生きのびていけた。
4.フィデル・カストロの料理人~エラスモとフローレス
①エラスモ
彼は16歳のときに革命の噂を聞き、フィデルの名前を聞いた。多くのキューバ国民同様、彼もバティスタを嫌い、フィデルの歌を歌い、彼に目を瞠った。レストランで働いていたが、革命軍に加わりたいとつてをたどってチェ・ゲバラのところまで行き、加わることができた。ある日、チェからフィデルのボディーガードを命じられたが、料理もちょくちょく作った。すると料��人になることに。
のちにフィデルの下でやったことは、チェが俺(エラスモ)たちをこき使ったことに比べれば楽な仕事だ。チェはおそろしく気むずかしかった。気に入らないとこっぴどく罵った。フィデルは批判も穏やか、お前には改善の機会があることを意味したが、何も言わなければ二度目の機会はなかった。
フィデルの欠点は一つある。「つねに何でも一番よく知っている」。野球、政治、灌漑、稲作、チーズ作り、歴史、地理、魚釣りなど、あらゆる分野に精通していると(自分で)思っていたこと。「かの有名な何時間もの演説はまさにこと思い込みから来ていた」。第一書記時代、街の最高級ホテルで食事をしばしばした。革命前までヒルトン系列だったホテルで、料理人たちに延々と調理法を説明。最高の料理人たちは、彼の長広舌に辛抱強く耳を傾けなければならなかった。
フィデルの父親は革命前に死亡したが、広大な農場を持っていた。フィデルが最初に国有化した農場の一つがその農場。これはガリシア出身のスペイン人だった父親が、キューバにたどりつき、とても貧しい中から築き上げたものだった。また、マエストラ山脈での戦闘中に火を放った巨大なサトウキビのプランテーションのうち、最初に焼けと命じたのは父親のそれだった。母親は決してフィデルを許さなかった。
フィデルがみずから考案したコブウシと乳牛ホルスタインの交配種は、熱帯ホルスタインと呼ばれることになった。フィデルは暇さえあれば飼育場に足を運び、そこで働く専門家たちに、餌のやり方、牛の扱い方、搾乳方法を教えた。雌牛にいかに受精させるべきかまで。
すべてが一変したのは1991年、ソビエトが崩壊し、モスクワからの金が一夜にして流れが止まった。
その数年前、ハバナではこんなジョークが広まった。動物園の「動物に餌を与えるべからず」という注意書きが、「動物の食べ物を盗むべからず」に書きかえられた。ソ連崩壊後は新たなジョークも。動物園の看板には今や「動物を食べるべからず」と書いてある。
別のジョーク。キューバ革命の三つの成果、それは、医学、教育、スポーツ。三つの失敗、それは朝食、昼食、夕食。
②フローレス
14歳ぐらいのとき、木に登ってマンゴーをもごうとしていた。とりわけ立派な実を傷つけないように、どうやって木から下りようかと思っていると、下に軍用車の列が現れた。名前を聞かれたので答え、欲しいと言われたら渡さなければいけないので「喜んで差し上げます」と言った。男は微笑んで受け取り、「私に贈るんじゃない、革命にだ」と言った。
5.ポル・ポトの料理人~ヨン・ムーン
ヨン・ムーンは、同じ学校に通い、兄と知り合いだったピッチ・チェンと結婚した。チェンは学校始まって以来の秀才でムーンのことを気にしていた。ムーンも組織に入っていることを知り、同じ組織人同士で結婚するのがいいと周囲から勧められた。共産主義者同士の結婚だった。
ポル・ポトはブラザー(同志)・プークと呼ばれ、親しまれていた。ムーンが初めて彼に会った時には、「なんてハンサムな男(ひと)かしら」と思った。彼の風貌や人柄に惹かれていた。一方、ポル・ポトもムーンのことが好きだったと���ーンは思っている。しかし、2人とも結婚していた。ポル・ポトの妻はフランス留学中に知り合った年上の女性で「ポナリーおばさん」で、カンボジア人初のバカロレア合格者だった。ポナリーはムーンを気に入ったが、ムーンは彼女が嫌いだった。
ピッチ・チェンは革命後に中国大使となった。ポル・ポトは妻のムーンに北京へ同行するように命じたが、ムーンはカンボジアにいたい、共産党幹部に料理をし続けたいと思った。しかし、北京に行くと大使館の党細胞書記に任命され、党細胞会議の議長を務めることに。大使である夫の上司となった。
おかしなことに、北京では2人に料理人がついた。
やがて2人はカンボジアに呼び戻され、ムーンは癌の治療中のポル・ポトに再び料理を作ることになったが、最後までポル・ポトを信じ、彼が人を殺したなどとは信じなかった。著者が取材の際に何度も大量虐殺をしたと言ったが、聞こうとしなかった。
2020年に彼女は胃癌で死亡した。
クメール・ルージュは、人々から眼鏡と靴を取り上げた。どちらも資本主義の遺物であり、人間の個性の表現だと見なした。また、飢えを政治の道具として使った。飢えは不服従に対する罰、よからぬ出自に対する罰、病気に対する罰、革命の役に立たないことに対する罰・・・
ニクソンは、カンボジアに合わせて50トン以上の爆弾を投下した。これは、二発の原爆を含めた二次大戦における日本に落とした爆弾の3倍。ニクソンはこの爆弾投下を公表しなかった。明るみに出たのは、ウォーターゲート事件の後だった。
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独裁者の身近にあって、その食事を作る人たちの証言をまとめた話。
独裁者達の孤独、独裁者達に仕えることの緊張感が、どの話にも濃密に漂っていました。
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朝食―泥棒の魚スープ サダム・フセインの料理人、アブー・アリの話
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ランチ―山羊のロースト イディ・アミンの料理人、オトンデ・オデラの話
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午餐―シェチェ・パーレ エンヴェル・ホッジャの料理人、Kさんの話
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夕食―魚のマンゴーソース フィデル・カストロの料理人、エラスモとフローレスの話
デザート―パパイヤのサラダ ポル・ポトの料理人、ヨン・ムーンの話
コーヒー
香辛料
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「これでもうわかっただろう、大統領のために働くというのがどういうことか」
この言葉に集約されている。
大変面白かった。同じ著者の「踊る熊たち」も素晴らしい本だった。ポーランド人である著者だからこそ書けた内容だと思う。