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家族の問題に対して、シリアスに考えていると同時になんにも考えていないような、そんなあり方にとてもシンパシーを感じた。
失踪を繰り返すというのはまあ一般常識に当てはめればヤバいことなんだけど、作中の当人たちは意外とドラマティックな感情の動きはしていない。それがリアルな感じ。リアルなんだけど。
ゆらぎつづけている考えを、無理にまとめることなくゆらぎをしっかりなぞって言葉にしているような語り口。それが誠実に感じた。
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失踪する父親の記憶、そして父親を撮るまでの経緯から、写真集になり、取材を受け、、と、
途中から日記のように進んでいくエッセイ。
なぜ父親を撮るのか、自分が撮り続けているものはなんなのか、何の意味があるのか、
今目の前にいる人に抱いた感情はなんなのか、
嫌な感情も違和感も、迷いながら不器用に言語化していく、言語化を試行錯誤しているような文章が、
読みやすくはないけれど、すごく書き表したいことが伝わってくる気がする。
おもしろかったです。
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植本さん、滝口さん、金川さんの3人の日記から興味が出たので読んだ。写真集の「farther」は図書館かカフェかで読んだ記憶があり、また後半の晶文社のウェブ連載は当時途中まで読んでいたことを思い出した。一連の流れがこうして一冊にまとまることで新たな文脈が生まれていて興味深く読んだ。
父親の写真を撮ることになった過程とその後について、著者の各種論考と共に書かれている。写真集を見たときに感じた独特の空気感について細かく言語化されており、その言語化に伴う逡巡含めて率直な思いが綴られている点が興味深かった。大きく分けて父親論、写真論の二軸で展開していくのだけど、いずれも相当ディープな話になっており、時折それらがクロスオーバーし「父親の写真」へと議論が向かっていったりもする。父親を自身の表現の題材にすることにあたって変にかっこつけずに表現者としての矜持、ある種のエゴイズムを持ち続けている姿勢に感銘を受けた。本著の興味深いところは単純にその姿勢を主張するだけでなく思考の過程を追えるところにある。だから結論を急ぐ最近のトレンドとは逆なんだけど、これこそ読書というか本の持つ魅力だなと思う。本著を読む限りでは父親との関係は写真を通じて成立していると言っても過言ではなく、何を言っても暖簾に腕押しな回答しか返ってこない父に対してある種の祈りのように写真を撮っているように思えた。終盤の日記パートでNHKの撮影スタッフという第三者が介在することによる変化も興味深かった。
写真については普段考えない論点ばかりで特に好きだった。ここ数ヶ月、毎月コンデジで写真を撮って月単位でlatergramとしてインスタにポストしている。記録しないと過ぎていく日常を残したい気持ちが歳をとる中で生まれたのがきっかけだった。そういう経緯もあり写真について考えることも多いので刺激になった。以下引用。
*写真を撮るには対象とのあいだに必ず距離が必要なわけであり、写真を撮ることは対象との関わりや接触よりもむしろその距離こそが問題となる。父の写真を撮ることは、父を撮ることであると同時に、その距離を撮ることでもあった。*
*シャッターを切るというのは、見ることをそこでとりあえずいったんやめることでもある。その場で見ることをいったんやめて、あとでイメージとして見るために写真に撮る。そんな言い方もできる。*
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740
なぜ父親の写真を撮るのか、を語っている。
タイトルを見て、もっとずっこけたというかユーモラスな話なのかと思ったが、そうではない。不思議な一冊。
全体的に、どこに着地するのか分からない不安定さを感じた。
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入り口は失踪する父というタイトルに惹かれたが、父に対しての作者の考え方、無意識意識含めてありようが出てくる、血のつながりではなく長い時間一緒にいた事で形成される関係性、言葉にしにくいことも最後まで考え抜いて言葉にする洞察と根性が優しく熱く良かった。そんな人が男男女で住んでいるという流れに最後だからというのもあるけど違和感なく入って来れる物語、ストーリーがある。