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タモリさんが、昨年12月に「徹子の部屋」に出演しました。
黒柳徹子さんから「来年(2023年)はどんな年になるでしょう?」と訊かれ、タモリさんはやや間をおいて「新しい戦前になるんじゃないでしょうか」と答えました。
私は番組を見ていませんが、当時ネットでちょっとした話題になったのを覚えています。
この件は本書でも触れられており、辺見庸さんはタモリさんの発言に「そのとおりである」と全面同意しています。
実は辺見さんは、もう十年、いや二十年くらい前から、「今は新しい戦前なのだ」と言い続けてきました。
私は、辺見さんの指摘にいちいち得心しながら、頭の片隅では疑ってもいました。
それは少しオーバーなのではないか、と。
しかし、現在、「今は新しい戦前なのだ」と聞いて疑いを持つほど、私は楽天家ではありません。
戦争の準備は着々と進んでいるように見受けられます。
と、こう書くと、私が辺見さんのような「反戦思想」の持ち主のように思われるかもしれません。
たしかに戦争は絶対に避けたい。
避けたいですが、他国から侵略されれば武器を持って戦わねばなりません。
そこは長年、愛読してきて申し訳ないですが、辺見さんとの違いです。
私が問題にしたいのは、そのことではありません。
戦争準備が着々と進んでいるのに、そのことに対する言及がメディアであまりにも少ないことに愕然とするのです。
少ないどころではありません。
辺見さんは「なにがおかしいのだろう? テレビ、ラジオからは絶えず狂者のように引きつった笑い声が聞こえてくる」と書いています。
その通りだと思います。
ロシアによる侵攻から1年半を迎えるウクライナ戦争の話題だって、芸能人のゴシップとまるで等価のような扱いです。
令和の戦前は誠に明るいと、皮肉を込めて指摘せざるを得ません。
辺見さんという稀有な単独者の目を通してこの時代を眺めると、明るい皮がめくれて全く異なる相貌が現れます。
今、辺見さんを読む意義は、そこにあると思います。
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エッセイ集。近づいてくる戦争の足音に耳を傾ける辺見庸氏の憂いが詰まった本だった。昔はこんな風に戦争を危惧する著名人が主流だったのに、現代では隅に追いやられつつある。いよいよなのかと気分が暗くなる。自分なんかはタモリの新しい戦前発言は政府からの間接的な国民への予告だと思っている。陰謀論めいているが、それ含めて芸能人やマスコミの仕事ではなかろうか。
しかし、墓場でガールフレンド?に接吻かました話はショッキングだった。日が暮れるまでとは、いったい何時間拘束していたのだろう。これが本当のエピソードであれば、後悔してるとはいえ性的暴行でしかない。気絶までした相手を海綿だかなんだに例えて文学的にまとめてる部分に昭和左翼男性の無神経さを感じた。
幻想的で暗い短編小説と老いた超小型犬との触れ合いは良かった。
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初読。図書館。本全体を通して辺見さんの焦りや諦らめや怒りや迷いなんかの複雑に絡まり合った感情が、時には率直に時には夢のように語られている。作家が人間の老いをここまで突き刺してくることに、驚きと少しだけ悲しさを感じてしまった。
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久しぶりの辺見さん。懐かしい“物狂おしくなる”。日常の“老い”のユーモアも加わり、まだまだ健在。「人間はなぜこうまで愚かなのか。人間は結局なににでも慣れる」「世界とか未来とか正義とかの“大きな言葉”を忌み、ミニマムな世界に埋没するのかもしれない」「9.11から20年、人類にはまったく不思議なほど進歩がない」「政治とはどのみち徹頭徹尾相対的インチキでしかない」「新たな戦前」が来ている。警鐘どこまで届いているのか…
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『生活と自治』でおなじみの辺見さんのエッセー集です。時代を揺るがす大問題と日常生活からも目をそらさず、矛盾する現実に生きることの大切さが伝わってきます。