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池田澄子さんの第八句集。新鮮で透明な抒情が心に響く。「月を待つ春の空かな誕生日」「はるかぜと声に出したりして体」「大空を区切るすべなく敗戦日」「鶏頭の赤の粒々ざかりかな」「島国や脈拍いかに小鳥来る」「芒は光なのか揺れると光るのか」「どの家も遺影は微笑ささめ雪」「カマキリの初めましてという立ち方」「晩秋と思いぬ不意に逢いたくなる」「お久しぶり!と手を握ったわ過去の秋」「見つめたり喉のぞいたり初鏡」「極楽は歩いて行けるぺんぺん草」「赤んぼの指に爪ある涼しさよ」「迎え火に傘のいらないほどの雨」「あの人あの人あの人もいず寒夕焼」「みんな死ぬ味付海苔はすぐ湿気る」「日本は初夏テレビにきらきら焼夷弾」
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コロナ禍以降に詠んだ作品をまとめた最新句集。
池田澄子の句をまとめて読むのは初めて。句の並びにしたがって春夏秋冬をくり返すうち、疫病が流行し、大きな戦争が始まった時期に書かれたとわかる構成になっている。
あとがきでも触れられているが、コロナによって口にだしづらくなった「逢いたい」という感情が滲みこんでいる一冊だ。『月と書く』というタイトルも
逢いたいと書いてはならぬ月と書く
という句から採られている。
逢いたいという恥ずかしき言葉若葉
では、今や切実な意味になった言葉を簡単に口にだしていたころの自分を見つめ直している。
痛くないように蜜柑を投げてよこす
などもソーシャルディスタンスをコミカルに詠んだものだろう。
「逢いたい」と簡単に言えなくなったのは、逢いたい人がこの世からいなくなってしまったせいでもある。死と老いを詠んだ句も多いけれど、その呑気なようで気負いのない佇まいがたまらない。
蛇寒い筈日々老いて眠い筈
の自己投影も嫌味がなくて柔らかだし、
みんな死ぬ味付海苔はすぐ湿気る
はリズムのよさといい、湿気った味付海苔のベタついた触感と子どもっぽい香りのイメージといい、遠くに正月番組の喧騒が聞こえてくるような名句だと思う。
けれど読み終えて強く印象に残ったのは、句を詠むことが当然のように日々に溶けこんでいる俳人という生き方の凄味だ。例えばこうして本の感想を書いていても、"思ったことを言葉にする"という単純にみえることが日々の鍛錬なしには難しいことを思い知らされるけれど、
秋海棠の節々の紅が呼ぶのよ
そよかぜのまぁまぁ春という感じ
みたいな句に出会うと、全身の感覚を詩に置き換える回路が完全にできあがっている人種という感じがして、軽いタッチの作品ほど天衣無縫の凄味にアテられてしまう。
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コロナや戦争に対する口惜しさがベースにあるらしいのですが、それを意識しなくても、自由な精神の発露に惹かれます。