紙の本
不思議な旋律 そんな物語
2023/12/10 20:37
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投稿者:トマト - この投稿者のレビュー一覧を見る
自然界の音や言葉が物語になって表れたようでした。アイヌ独特の感性がそこにはあります。難解なところもありますが、そのまま受け入れるように読むのが良いのかもしれません。森や動物たちの声が聞こえてきそうです。
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ルビの追加と修正・注釈のおかげで、文章が読みやすい。
ローマ字で書かれたアイヌ語表記も、時間を見つけて読んで行きたい。
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よく知られた本であると思う。最近になって改訂が施されたということではあるが。これまで読んだことが無かったのだが、切っ掛けが在って手に取ることとなった。出逢うことが叶って善かったと思える一冊だった。
アイヌは、神話や英雄譚というような内容の様々な物語を「口承」で伝え続けて来た。誰かが謡うように語る物語を、より若い世代の人が聴いて覚えて再現するようになって行く。更に若い世代、もっと若い世代へとそれらは引き継がれる。
こうした何世代にも亘って受け継がれた物語を、可能な形で記録し、その内容を紹介するという取組が為された経過が在った。アイヌの口承文芸に関する研究を手掛けた金田一京助が知里幸恵と出会い、知里幸恵がその口承について「記録し、その内容を紹介」という仕事を手掛けた。知里幸恵は心臓が弱く、残念ながら若くして逝去してしまったが、原稿は残って逝去後に初めての本が出ている。やがて文庫本が知られるようになって版を重ね、今般は改訂版が登場したのだという。
本書を手に取ると、些か戸惑う。馴染んでいる文庫本というモノではあるのだが、通常の「縦書き」ではなく「横書き」なので、頁を開こうとする時に「何時もと勝手が違う…」という開き方になる。
アイヌの口承は「アイヌ語」によって謡うように語られる。が、「アイヌ語」では定まった文字を使うのでもない。そこで内容を記録する際に「ローマ字」を用いた。左の頁にはアルファベットのローマ字で横書きにアイヌ語を綴り、右の頁には日本語で内容を綴る。アイヌの口承が「アイヌ語と日本語の対訳」で「読物」になったのだ。
本書を手にしてみようと思い立ったのは『カムイのうた』という映画を観たことが切っ掛けだった。
映画『カムイのうた』は、知里幸恵をモデルとするヒロインの物語である。なかなかに優秀な生徒でありながら、差別やいじめを受けるようなことも少なくなかったヒロインは、そういう人生に倦んでしまっている。だが、伯母が謡う口承を聴こうとやって来た研究者に心動かされる。何世紀にも亘って豊かな文学を考証で伝えて来て、それが残ったのは凄いことなのだと研究者は言い、そういうことが出来たアイヌは素晴らしいとも言った。そして研究者は主人公にノートを贈った。ノートは見開きで2ページを使い、アイヌ語と日本語を並べて口承を綴った。研究者は高く評価し得る立派な仕事だと称えた。そしてその励ましと支援とを受け、主人公は東京へ出てそれを本として出版する原稿を仕上げようとする。
映画の物語はそういう感じであった。映画では、森の神という雰囲気のフクロウの画が印象的に使われていたが、知里幸恵が手掛けた本の物語にもフクロウは登場している。
敢えて「口承」と面倒な言い方をしてしまったが、所謂「ユーカラ」である。「ユーカラ」には幾つかの系譜が在り、何種類かの呼び方も在るのだそうだ。そこで、ここまで敢えて「口承」としてみた。
知里幸恵が手掛けた「神謡」は「カムイユカル」、「オイナ」と呼ばれる系譜の口承であるようだ。神々の世界に在る神が人間の世界に現れる際には鳥獣の姿を借りるとされていて、その神の化身である鳥獣が一人称で語る内容というのが「神謡」である。祭儀の際に演じられる舞踊の謡いに起源が在るらしい。
こういうような詳しい、背景知識の解説も本書には在る。本書は知里幸恵が手掛けた部分と、詳しい解説の部分とで成る一冊で、解説の部分は「普通の本」だが、横書きである。
「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という『知里幸惠 アイヌ神謡集』で最も知られているかもしれない節だが、これはフクロウの神の歌だそうだ。アイヌ文化を紹介するとして大きなフクロウの木彫の像が飾られている例―札幌に在る―を承知しているが、悠然と森の中に在るフクロウは凄く大きな存在感が在って、神の化身と考えられたのであろう。多分、そういう訳で偶々観た映画でもフクロウの画を使ったのだと思う。
知里幸惠は1903(明治36)年生まれで1922(大正11)年に他界している。或る意味で「早世の天才」と言えるであろう。ローマ字で綴ったアイヌ語については、彼女以降の時代の手本というようになっているという。日本語に関しても、美しい語句、判り易い語句に配意し、「踏み込んだ翻訳」で内容が伝わり易いようにと工夫も重ねられているようだ。19歳でこれだけ立派なモノを綴ることが出来る人というのも、然程多くはないと見受けられる。本書には本の原稿制作を勧めた金田一京助の文章も収録されている。国語学、言語学の研究者たる彼が、彼女の能力を絶賛している。
極めて私的なことを敢えて加える。他界し―享年97歳だったと記憶する―て久しい父方の祖母が、確か1903(明治36)年頃の生まれだった。知里幸恵、または『カムイのうた』のヒロインと同年代な訳だ。そんなことを想うと、何か本書が凄く身近に感じられる。
本書の解説でも話題にされているが、明治30年代半ば頃に生れたというような人達は、最初に覚える言葉、母語がアイヌ語という「最後の世代?」かもしれないという。知里幸恵は喪われる自分達の言葉を遺すべく、心臓が弱かったという情況を顧みないかのように、文字どおり懸命に本書の原稿を綴った訳だ。
なかなかに興味深い本の出逢うことが出来て善かった。