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『ケアの倫理とエンパワメント』で注目され、その後も話題作を発表し続ける小川公代さんの著書。基本的には『ケアの倫理とエンパワメント』、『ケアする惑星』と同じ流れではあるが、新自由主義的な社会のあり方を批判的に考察し、ケア思想を世界文学の中に見いだそうとする試みがなされる。
小川さんの専門は英米文学だが、それに限らず、さまざまなジャンルの作品が紹介される。「世界文学」と銘打っておきながら、映画にも手が伸ばされている。ざっと挙げると、以下のような著者の作品が紹介されている。
・ヴァージニア・ウルフ
・ハン・ガン
・柳田國男
・マーガレット・アトウッド
・大江健三郎
・オスカー・ワイルド
・平野啓一郎などなど
映画では「ドライブ・マイ・カー」「マッドマックス」「インターステラー」などなど
改めてケアの視点で文学を見直すと、自分一人の読書では気がつかなかったものが見えてくる。そして、触れたことのない作品は触れてみたくなる。なんともお得な本である。
これを書くにあたり、本書を読み返してみるとフェデリーチの『キャリバンと魔女』まで俎上に上げられていたことに気がついた。何と何と。一度読み終えた本も、改めて読み直すと新たな発見があることも教わった。
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古今の世界文学を「ケア」を軸に縦横に読み解く。
文学の世界でも様々に「ケア」を訴えてきた。
またそれが排除されたディストピアが語られてきた。
それを受けた我々は何を思うか。
社会は如何に変容に今に至るか。
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本書を読書中に、「訪問介護の基本報酬が下がり、人材不足や物価高で介護事業の倒産が相次ぐ」というニュースがとびこんできた。
国防費には年々予算をあげて注ぎ込んでいるというのに。
利益追求型の資本主義社会の構造のなかでは、こうした直接的に利益を生まない、生産性のないケア労働は軽んじられ、置いていかれる。
社会が男性性を求めている構造はそのままに、女性の社会進出をうたっても、そこで生き残る女性は、男性性を身につけた女性だけになってしまう。
物質的な幸福論ばかりが先行し、「自律的な個」であることが重視されて、所得が高いことで「自律的な個」の価値が判断される社会で、わたしたちは、他者と向き合い、他者とつながり、自然と共生していく未来をどう描いていけるのか。
どう描いて、変わっていかなければいけないのか。
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社会的弱者の語りや視野を通し、リフレーミングを示唆する著書を、紹介した本。
エッセンシャルワーカーの葛藤とか心理面を文学的に表現する内容かと思ったが、「ケア」の概念が広く、メッセージ性はぼやけた印象。
阻害されている側の変化は、している側の意識の変換が必須であり、また傍観ではなく臨場でとらえる感覚が大事、とかかな。
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上智大の小川先生のケアシリーズの1冊。文学におけるケアの潮流を押さえておきたく読了。キャロル・ギリガンの『もうひとつの声で』を読んでおくと、理解が深まります。
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本の紹介が多い本は、やっぱり読んでみたいと思える本が載っていると価値が上がります。本書にも、そう思えるものが数冊ありました。
光あたる道を歩んでいる人から見ると、主張せず自ら損をしているだけと思える弱い立場の人たち、そういう人たちによるケアという活動が、世の中を維持し回している、という事実。
分かっていても無視して生きている人でも、病気になったり自分もちょっと弱い立場になるだけで痛感するはずです。
どんどんストレスが増す時代に弱者やケアの活動がどういう扱いになるのか全然分かりません。人生なんて様々で、幸、不幸を測る画一的なモノサシはこの先も存在しないと思いますが、自分が生まれてきた価値はあった、と誰もが思って死んでいく世の中になるとイイですよね