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未だ出回り始めたばかりの本だと思う。登場を知った際、興味を覚えて予約して入手した。そういうように入手して素早く読了に至ったのだが、善かったと思う。
題名が示すとおり、ウクライナでの事態を踏まえた内容なのだが、ここまでに登場している他の本では取上げていないような事項も含んでおり、そういうことが「考える材料」になると思う。
「グローバル・サウス」という表現が耳目に触れる機会が増えているように思う。何時頃から出て来たのか判らないが、何時の間にか少し定着はしているような気はする。「サウス」とは「南半球」を念頭に置いていて、「グローバル・サウス」という表現はアジアやアフリカの様々な国々を総称するような言い方であるようだ。実際に南半球に位置するアフリカ諸国等を指す他、台頭著しい中国やインド等もこの「グローバル・サウス」という範囲に入れる場合も在るらしい。そうなると「新興の国々」という含意にもなるかもしれない。
本書では、その「グローバル・サウス」のアフリカ諸国に関連する話題が多く取上げられている。ウクライナでの事態を巡って、そうした物理的な距離が遠い国々も、無関係では居られないということになるのである。
著者は、テレビ放送コンテンツ等に向けて取材を続けて来た記者である。残念ながら番組を拝見したことはないが、最近は東京に在って報道情報番組のキャスターを務めているという。記者として、国外の取材拠点に出て、帰国して、また出るという活動を長く続けているという。2022年2月にウクライナの事態が先鋭化、“開戦”ということになった時、著者は南アフリカのヨハネスブルグに拠ってアフリカでの様々な取材活動に従事していた。2003年のイラク等の紛争地取材の経験者でもあり、ウクライナでの事態の取材の陣容を強化するということで、著者はアフリカとウクライナを往来しながら活動を続けていた。そうした取材での見聞等や見解を整理して纏めたのが本書ということになる。
様々な国や地域に取材拠点を設けているメディアでは、ウクライナでの事態を受けて、他の地域で活動する記者をウクライナへ派遣した例は色々と在るようではある。が、そうしたウクライナでの活動に並行して本来の任地であるアフリカでの活動を継続し、ウクライナの事態に関連もするアフリカの状況を取材しているというのが興味深い。「あとがき」によると、2022年の1年間で120日間を超える程度をウクライナ取材に費やし、他は任地のヨハネスブルグに拠りながらアフリカの方々を巡っているということだ。そしてそれらに関して、放送コンテンツの放送時間、雑誌や新聞の紙幅というような次元の制約を或る程度免れて、著者は見聞等や見解を一冊の本に纏めた訳である。
ウクライナでの見聞に纏わる箇所は、著者が実際に彼の地に入って動き回る様子がよく伝わる筆致で、出くわした地元の人達の談も迫るモノが在ると思う。また、出くわした時に「知らない大人の男性=何やら恐ろしい兵士」と認識するらしく、酷く泣き出した3歳児の挿話等は、人々を踏み躙る戦禍の残酷さということを想わずには居られなかった。更に、将来を嘱望された未だ若い世代の人達が生命を落し、その死を悲しむ身近な人達も在るということが、取材で出くわした人を例に綴られているのだが、これも何か迫るモノを感じた。
そうしたウクライナの現場を伝える以外の部分が、本書では興味深かった。“制裁”が世界中の貿易を歪めているような一面に関して詳しかった。小麦の輸出が滞る、停まるというような様子で、苦しくなっている国々が見受けられることを、アフリカの国々を訪ねての見聞という形で伝えている。また輸出が滞ることがウクライナ国内での農業生産というような活動にもネガティヴな影響を及ぼしてしまっている。そして戦禍は、運輸業界の仕事も妨げてしまっている一面が在ることを否めず、小麦輸出の滞りの一因にもなっている。
或る意味でのキーワードとして「かみ合わない」という語句も出ている。侵攻を進める側の論と、それが行われる現場の惨状とが「かみ合わない」から始まり、非難すべきを非難という中でそれに冷淡な人達との「かみ合わない」というのも在る。そういう辺りに関して、本書では著者が取材に携わった経過も在るという2003年のイラクという状況も引き、アフリカ諸国での様子を詳しく引きながら説かれている。
本書の終盤に、「非承認国」という形になったドンバスの共和国をロシアが承認するとしたことを受けて緊急開催された、国連安全保障理事会の会合でのケニアの国連大使による発言の件が詳しく紹介されていた。
アフリカの国々の多くでは、「国境」は「植民地の境界」である。「植民地の境界」は、民族、言語、宗教、文化等々の現地事情と無関係に、“植民地帝国”を展開した遠くの国々の何処かで誰かが恣意的に決めたモノに過ぎない。故に「国境」を越えて“同胞”が在るという例ばかりである。“同胞”と共に在りたいと願うにしても、武力紛争でそれを実現することを潔しとはしない。平和の中で到達し得る「より偉大な何か」を希求したいという趣旨であったという。
この発言が、ウクライナの事態という中で示唆に富んでいると思った。民族、言語、宗教、文化等々の現地事情と無関係にアフリカの国々での「国境」が登場したが、或いはウクライナのような土地に関しても、一定程度当て嵌まるかもしれない。現在の国境が登場した時、「文化のモザイク」というような国が現れた訳だ。それを平和な中で巧みに導き、「より偉大な何か」を希求するということが世界の人々に求められるという訳だ。
本書はウクライナの事態に関する現地の様子に留まらず、幅広く“世界”への目線を拓いてくれるような内容が盛り込まれていると思う。メディアがコンテンツを送り出す際の制約を或る程度免れ得る形で、著者の取材での見聞等や見解を整理して纏めた一冊は価値が高いと思う。