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ことばによって身体の動きが変わる、身体によってことばが変わる。正直そう言われても意味不明。だからこそ読んでみたい
#ことば、身体、学び「できるようになる」とはどういうことか
#為末大
#今井むつみ
23/9/1出版
#読書好きな人と繋がりたい
#読書
#本好き
#読みたい本
https://amzn.to/44D321o
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「ことば」の持つ力。
「ことば」の使い方。
記号接地問題。その概念は身体に設置しているか。
「ことば」の余白。映像では情報量が多すぎるので、ことばで焦点化すること。大事なところにスポットライトを当てること。
言葉に関するお2人の会話が胸熱!でした。
明確で、具体的で、イメージが浮かびやすかったです。
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人として成長していくために大切なこととは何なのかが述べられている。
情報が錯綜する現代において、学びを得るためにはどういったアプローチが必要であるか、本当に学んでいるとはいったい何なのかを考えさせられた。
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それぞれの『言語の本質』と『熟達論』への読みやすいガイドになっている。為末さんの時々のちょっと間抜け目な返しが効果的でもある。学習とか向上ということに興味がある人はぜひ。
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アスリートとして身体の動かし方と言語化の関係にいろいろ考えのあった為末大が自分の体験などをもとに言語心理学者(人の認知や言語発達心理の専門家)今井むつみに疑問を問いかけ話し合うというスタイルで、「できるようになる」とはどういうことかを探る。
生成AIがらみで「記号接地」についての言及もふえてきたが、これは人間の身体の動かし方のトレーニングという具体的なところから確実に自分の理解と適切な言語化にもちこんでくれる為末さんといっしょになって記号接地が理解できそうな本だと思う。
5章仕立てのどの章もエキサイティングだったが、とくに後半の「熟達」「言葉の限界」や「知識の錯誤」「デジタルの落とし穴」などについての話はわたしの直観を言語化してくれているような内容でぐいぐい読めた。
ここ数年で、日本語研究・国語教育研究・日本語教育研究などをつなぐ新たな分野として日本語の習熟について幅広く考え、研究・交流するための日本語習熟論学会もうまれているが、言語のみならず、運動機能などともあわせて「習熟」「熟達」ということについて考えられるとよさそうな気がした。
「知ってるつもり: 無知の科学」(←その言葉を知っているだけで、深くはなにも知らないのに知ってるつもりになってしまう知識の錯誤の話)「クラシック名曲「酷評」事典」(←ひとがいかに自分の価値観や感情に支配されているか、馴染みがないものを受け入れるのがむずかしいかわかる)など、今井先生が言及されている本も次に読んでみたい。
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ことばによって身体は作られる。
身体によってことばは作られる。
深遠な内容で非常に興味深かった。
理論や理屈と身体の感覚が調和していくとものすごく研ぎ澄まされた感覚になるんだろうなと想像できる。
自分は見えない世界が見えているのだろう。
人間の身体とことばは深く深く繋がっていることを感じさせられる一冊。
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とても共感できる内容。とても大事なことが沢山書かれています。
『運動神経の正体は「修正能力の高さ」である』というのもなるほどと思いました。
おすすめです。
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この書籍は言語学者今井むつみ氏とアスリート為末大氏の心温まる対話を通じて、学びの本質に深く迫っています。為末氏の博学ぶりと今井氏の平易な説明は、まさに心を打ち、教育者やコーチにとっては非常に有益な洞察に満ち溢れていました。特に、「オノマトペ」の話や運動と言葉の関係、そして読書の重要性についての議論は、目を見張るものがあり、教育現場での応用に大いに期待が寄せられます。言葉と身体の相互作用を深く理解し、それを教育や指導に生かすヒントが得られることは、まさに感動的でした。さらに、学びのプロセスを多角的に考察し、知識のアウトプットの重要性を強調する点も、学び手と教え手双方にとって非常に刺激的で、心に残る内容でした。
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本書を読んで、言葉の力を改めて実感することができました。言語になっていることで、思考や行動に変化を生み出せることや、言葉の使い方次第で体の挙動を理想の形に近づけることができることがすごく良く分かります。
このお二人の会話は、とても興味深く、私はいつまでも聞いていたい。
為末さんは、みなさんご存知の陸上ハードル競技で日本の代表選手として活躍した方です。アスリートの多くは専属のコーチをつけて、自らの技をより高みに押し上げるスタイルをとってますが、為末さんはコーチをつけずにセルフコーチングで自らの体を鍛錬してきた人です。言葉の選び方、使い方を意識して活用することの大切さを語ってくれています。運動のできない私にもとてもわかりやすく語ってくれています。とても面白く、小説で得られるような高揚感も不思議と感じた一冊です。
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動きを描写する方法でいちばんいいのはことばなのです。
気になるのは、以下です。
■ことば
・同じことばでも、学習者のレベルによって有効である場合と、ない場合があります。
・コーチングのうまい人は、学習者のレベルによってどのようなことばが的確かを直観的に判断し、巧みにことばを使う人が多い。
・映像では情報量が多く正確すぎ、人間の処理できる能力を超えてしまっている。ことばは、いちばん大事なところをスポットライトを当てることができるので、表現方法としては、いちばん適しているのではないか。
・人間の認識や認知にはくせがあり、同じものを見たり、同じアドバイスを受けても、受け取り方が人によって異なると感じるようになりました。
・受け取る人の認識を想像しながらことばを選ばないと、同じ動きを引き出せない。
・ブレイクスルーは、体験によって、このことか!と分かった瞬間に起きます。
■ことばと身体
・リズムは身体の動きに不可欠です。なぜなら、動きは、身体の部位が連動していくことだからです。
・スポーツの世界では、身体の連動のイメージには音声のほうが向いていて、方向性や軌道のような視覚的イメージはことばのほうがふさわしい
・システムを自分で考えて構築していくという過程があるからこそ、仮に実体がない概念的なことばを聞いても、実体のあることばとの関係の中で理解することができるのです。
・そのように理解したことばこそ、自分の知識の一部となり、身体の一部になります。
・ことばには余白があるから、伝えやすい。余白がたんさんある。つまり聞き手が自分で考え、解釈する余地がたくさんあるということです。自分で考え、解釈した情報は知識となり、身体の一部となりやすいのです。
■言語能力
・言語化するというのは、見たものそのままを言語で表現することではなさそうです。
・相手に、自分が見たものとまったく同じものを思いうかべてもらうことを目的としているとしても、実際には見たものそのままをことばで表現しているとは限りません。
・そもそもことばというのは2つの種類がある
1つは、認知的な意味合いで情報を伝える役割をもったもの
もう1つは、感情を伝えることば
・ことばというのは、おもしろくて、抽象度の階層があるわけです。
・あることを細かい粒度でいうこともできるし、それよりももっと粒度を粗くして、抽象的にいうこともできる。
・言語能力とは、「どのように伝えれば相手がこちらの意図を理解できるか」を推論する力だと思います。
・おなじことばを話していても、コモングラウンドが違うと伝わらない
・コモングラウンドとは、ある単語を行ったり、聞いたりしたときに、同じ対象、同じ意味を思いうかべることができたり、同じ文を行ったり聞いたりした時に同じシチュエーションをイメージできるかという認識の共通の枠組です。
・文章を読んでわかる、理解するということは、結局、このメンタルモデルをつくるということでそれができない子どもが非常に多い。メンタルモデルとは、状況を心の中で組み立てたイメージのこと
■熟達
・客観的に動きを眺めるということは、連続する動きの中で、ある点を捕らえて言語化するというプロセスが必要となるのですが、それができるには別の能力が必要となります。
・身体はすべて関係しあっているので、起こしたい動きを間接的に狙ったほうがうまくいくこともある
・毎回異なる状況に対して、同じ結果を出せる。つまり状況への対応能力、調整力が高いということが、熟達したということではないでしょうか。
・ことばはきっかけづくりとして使用されますが、技術習得の過程への影響はあまり大きくはありません。
・コーチの役割は4つ
教える
そのまま伝える
揺さぶる
気づかせる
・できるようになるとは、同じ事が繰り返してできるようになるということではなく、違う条件に対応できるということです
■学びの過程
・学びの過程
①最初は反復しかありません
②無意識にできるようになる
③無意識にしまい込んでいた身体の動きを改めて引き出し、意識的に改善する
⇒細かい動きを意識しすぎると、過剰に動きを意識してしまいへたになってしまいます
⇒意識するとギクシャクし、意識しなければ、動きが改善されない
④意識的に練習するときと、無意識に練習するときに、分けていた
⇒局部だけに集中すると全体が見えない
⑤局所で技術を改善すると、それによって変化した全体のバランスを取り直す
・新しいことを学ぶと、これまでできていたことができなくなる、あるいは混乱する
・達人になれる人というのは、自分が、何をわかって、何をわかっていないかを明確に判断できるということが非常におおきい
・ICAPモデル:情報を深くする
① Passive 受動的 聞いているだけ
② Active 能動的 メモや付箋をつける
③ Constructive 構成的 新しい情報と既存の知識が関係づけられる
④ Interractive 双方向的 対話によって複数の人と新しい知識を構築する
学びで大事なことは、学び方の学び
もくじ
はじめに 為末大
1章 ことばは世界をカテゴライズする
2章 ことばと身体
3章 言語能力が高いとは何か
4章 熟達とは
5章 学びの過程は直線ではない
おわりに 今井むつみ
ISBN:9784594095796
出版社:扶桑社
判型:新書
ページ数:240ページ
定価:950円(本体)
発行年月日:2023年09月
発売日:2023年09月01日
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スポーツでは、実際にデモンストレーションや、映像を見せ、よく見ればわかる、なんて指導が行われているかもしれない。でも映像は人が理解するにはあまりにも情報量が多すぎる。人が理解できるのはせいぜいのその中の一つ。熟練した人ならば自然に見るべきポイントがわかるが、経験の浅い人はそのポイントがわからず、いくら見ても向上しない。
だからこそ、ことばが大切になる。ことばというのは、視覚や聴覚や触覚など、あまたある外界の刺激のある部分をぎゅっと抜き出して表現します。
そして、すぐれたコーチは受け取る人の理解できることばを適切に使える人。
そのためには言語能力を高めること
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p194 周辺にいると別の味方ができる
p206 あまり変化のない単純な働きの繰り返しに対して、意識をそらさないようにし続ける力を鍛えておくことも大切です
刺激がたくさんあり、どんどん向こうから情報がやってくる時代では、自ら集中する対象を定める力が失われることが一番の問題点
p224 映像は情報をリッチに含みすぎている。だから学習者は時に情報に幻惑されてしまい、そのドコに注目し、取り出したら良いかわからなくなってしまう
言語は、現実に起こっている多層的で一度に処理するには豊か過ぎる情報をすべて表現することはできません。どこか一つの次元に注目し、そこだけ残してあとは捨てる。のこした情報はデジタルに離散量として扱って情報量を圧縮する。
ジョンコートル 記憶は嘘をつく
p186 カウンセリングでカウンセラーと話すことによって、自分で新しいストーリーを作り上げてしまい、それによって起こった時の記憶が変わってしまうというパターン。カウンセラーが幼少期に受けた虐待などの記憶を引き出そうとすると、カウンセリングを受けている方は、話の辻褄を合わせるために、現実に起きたことに想像したことを混ぜて話を作ってしまう、すると想像と現実の経験が混じってしまうということがあるらしいです。そして、一旦混じってしまうと、それは水の中に垂らした一滴のミルクのように、分離することは不可能になると、著名な記憶学者が話していました。
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分けて分けて、統合
ことばことば、からだ
からだことばからだ
からだからだ
ことばからだ
鶏と玉子
面白くって一気読み
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為末さんは言わずと知れた元陸上選手。
今井さんは言語心理学専門の教授。
この2人の対談を元にした本。
この本を読んだあとだと自分の言語化能力、具体化能力の低さにがっかりするのですが、とても面白かったです。
もともと、具体と抽象の行き来には興味があったのですが、それに加えて為末さんが体の動きを言語化してくれるのがずっとスポーツ(バレーボール、テニス、ランニング、今はフィットネス系キックボクシング)をやってきた私には体感的に腑に落ちる表現がたくさんありました。
教える時に情報量の多い映像を見せると処理しきれないけれど、熱いフライパンの上を走るように、というとできるようになる、とか、すごくわかる!と思っていました。
今井さんのお話は'ケーキの切れない非行少年たち(でしたっけ?)'の本にも通じるところがあります。
わかるとはなんなのか?相手と同じ世界を見られているのか?私も仕事で専門知識の深い上司との会話で悩むことが多いです。
怒られてもわからないものはわからない。
スポーツは無意識にできるまでまずは練習が必要、それから工夫していく、というのも、スポーツだけでなく、仕事でも当てはまる部分はあるわけで。
バスケの3ポイントシュートはあの枠外から打つよりもいろんなところからシュートを打ったほうが入る確率が上がる、とかは、スラムダンクの三井さんをイメージしながら、確かにここって時に決めてくれるあの頼もしさ、相手のファールを誘いながら、決めてしまう所なんて、あの一瞬にいろんな技術が込められてるに違いない、一本として同じ姿勢や環境でうっているシュートなんてないだろうな、でも、自分の身体をどう動かしたら、リングに入るのか調整力がすごいんだろうな、と。
ちなみに、無意識にできるまでの練習では、スラムダンクの主人公花道がバスケ素人ながら、特訓をして、庶民シュートや左手は添えるだけ、と呟きながら、基本のシュート決められるようになったことを思い出す。
並外れた運動能力をバスケで活かすために、どう調整していくのか、安西先生や仲間の助けを借りながら、感覚を掴んでいく。
やられたプレーを素人なのにやり返すセンスみたいなものはすごいのだと思う。
(すみません.大好きなスラムダンク、つい熱くなる)
コーチの役目も考えさせられたし、またスラムダンクで申し訳ないけれど、試合前のイレギュラーな緊張した状況で、一人ひとりにあった声かけをしていく安西先生みたいな人のやり方はわかりやすいし、フィジカルから攻める人と動きから攻める人、そのバランスというところも面白かったし、何よりコーチをつけずに、自分をメタ認知して1人でやっていた為末さんがすごいなと思います。
スポーツやってきた人なら、何かしら表現されていることを体感していることあるんじゃないでしょうか?
移動中の飛行機の中で一気に読んで、一気に感想を書いてみました。
あー面白かった。
この中で紹介されている本も読んでみようと思います。
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為末氏のこれまでの思索懊悩から導かれた仮説に対し,認知科学の観点から今井先生が解説をする.為末氏が,そもそも自らを徹底的に客観的分析をする姿勢が貫かれているからこそ出現する問であり,これを第三者が読んだとしても表層的な理解でしかない.学ぶべきはその姿勢であり,その極限こそ自分とは何か,自分にとって生きるとはどういうことか,という哲学の本質に収斂する.