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アルフレッド・ナカッシュという水泳選手がいたことを私は知らなかった。ナチスによるユダヤ人迫害がフランスにまで浸透しスポーツ界にも及んでいく狂気の時代に、泳ぐことを通して人間性を維持した一人のユダヤ人トップアスリートがいた。水恐怖症であった少年が、ふとした出会いがきっかけで泳ぐことに夢中になり、やがてオリンピック選手となるまで成長していく様子が明るくすがすがしく描かれる。一方、アルフレッドが妻子と引き離され送られたアウシュヴィッツ収容所での、読むのも辛い生活の場面がさし挟まる。時系列をバラバラにした書き方が印象的な伝記物語だ。この書き方は、行きつ戻りつする人の記憶を表しているかのようでもある。また運命の明暗を交互に語ることにより、歴史が人生に与える残酷性が際立たせられている。
人類史上もっとも忌むべきナチスのユダヤ人差別・迫害は、記念碑的なものにしてはいけない。いつまでも生々しく語られなければならない。ナカッシュがアウシュヴィッツでのことを、帰還後なにも詳しくは話せなかったのは、語るにはあまりにも壮絶で、蓋をしたかったからかもしれない。この小説から私たちは想像する力をもらって、同じ過ちを繰り返さないようにしたい。