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まあ、こういう本があっても良いとは思うが、底に左翼思想が流れているのが、最後の方で明らかになる、反安倍というのが明確に書かれている。
「ヒロポンと特攻」
確かにヒロポンを特攻隊員に食べさせたり、注射したりしたのであろうが、当時は世界の軍隊で覚醒剤を常用していたのであって、日本軍だけが、嫌がる少年兵に覚醒剤を使って、ラリらせて特攻させたというようなニュアンスをどこかしこに感じてしまうのは、私だけだろうか?
現代の感覚や常識で、過去を裁いてはいけない。いわゆる従軍慰安婦問題と同じである。
特攻は、統率の外道であり、決して許されるものではないが、薩摩の退き口と同じように、日本への畏怖を植え付けたことで、現在の日本を引き続き守っているという側面があると思う。
過去は教訓にすべきだが、裁いてはいけない。
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ヒロポンを追って、あちこちを取材したらしいことはよくわかる。
著者の主張は明らかで、それを受け入れるかどうかは別の話。
とりあえず、メモを取りながら読む。
詳細はいずれまた。
偶然ながら、わたしのなかで一部つながった話。
「街に歴史あり」
→https://blog.goo.ne.jp/rekitabi/e/82351ab0e43e83f9090e9c3c730808e7
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3分の2は特攻に関する話で、ヒロポン要素(?)は少ない。特攻に興味のある人には、特攻関係の本への紹介もあり良書であると思う。
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タイトルのヒロポンそして特攻についてだと思って手にしたが、内容は第二次世界大戦の日本軍であった。
それでもヒロポンについて、特攻を任ぜられた兵隊の徴収などリアルに記されていた。
特攻といえば神風は広く知られているが、回天という人間魚雷の特攻もありその部分も記されている。
日清日露から第二次世界大戦の世界感もあり人物像が浮かんでくるものだった。
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特攻とは所謂、神風特攻隊の事だが、そこには回天のような人間魚雷も含む。これらの実行前にヒロポンを入れたチョコレートを食べたり、そのチョコレートを作っていたという人の証言が載せられる。ヒロポンは覚醒剤だが、戦後それを禁止されるまでは日常に用いていたのだから、死を前にした軍隊が活用しても不思議はない。日本に限らず、こうした覚醒剤が戦争に使われていたのだが、こうした時代背景や戦争の悲惨さを紹介する本だ。
しかし、少し偏っている気がする。恐らく、総論として戦争を裁いてしまい、その中に含まれる侵略と防衛が複雑に存在する事情を全て悪しきものとしているからだ。
ー 天皇陛下の命令でなけりゃ、二階級特進するわけはない。天皇は本当は知っていたけど、本人の希望、本人の志願だということにした。天皇が命令したと言えば、責任を取らされますからね。
天皇の責任論は、よく分からない。仮に責任がないなら、明治維新以降の大政奉還は、天皇の政治利用をしていただけである事を認める事になり、明治政権はクーデターによる軍事政権、つまり天皇を利用した国賊だ。この論理を避けるならば、天皇責任があると言わざるを得ないが、結果は、軍部が自らの責任を認め、同時に天皇を利用していた事を認めた事にもなる。天皇利用か、天皇責任か。歴史は天皇利用として総括した。故に天皇の軍隊は否定され、明治政府は国賊に堕ちた。いや元来、薩長や岩倉具視こそ天皇利用の国賊である事は自明であったが、時代に流され先の大戦まで繋がったのだろう。責任論のパラドックスだ。
特攻を美化してはならないが、純粋に国や家族を守ろうと命をかけた軍神たちを否定するのは、間違えている。戦争が否定されるべきなのはその通りだし、責任逃れをする幹部の態度は裁かれるべきだ。また、特攻を巧妙に避けた人間に対して、それが賢かったとか狡い人間だとか、裁く権利は今の我々には無いような気がする。
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ヒロポンの要素はかなり少なかったが、特攻とそれに翻弄された人たち、戦争に踏み切ってしまった日本の愚かさなどが書かれている。戦争には絶対に関わってはいけないと強く思えた。これを機にまた祖母(今96才)から戦争の話を聞いた。