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近代の日本文化について解説した本。精神史なので文学が中心ではあるが、絵画にも触れている。明治維新後、富国強兵、殖産興業のスローガンに基づき近代日本は発展していくわけであるが、底流には国民が一体となったナショナリズムがある。著者は、この狂信的なナショナリズムに批判的で、反政府、反体制的な社会主義思想に親和的論調である。幸徳秋水や安部磯雄ら社会主義者に同調し、夏目漱石や柳田國男が体制に不満を持ちながらも政治批判をしないことに異議を唱えている。国際政治の基本的な考え方が理解できていないのだと思う。二葉亭四迷や樋口一葉などの文学者の記述は勉強になったが、反ナショナリズム的な偏った考え方には違和感がある。
「西洋文明の他と異なる特徴は、人間の社会において各人の説が一つにまとまらず、諸説が並び立ってたがいに和することがないということだ」p58
「圧制を憎むのは人の本性だというけれども、他人がこちらを圧さえつけるのが憎いだけのことで、自分の方が圧制を行うのは人間としてこの上ない快感だといってよい(福沢諭吉全集第八巻)」p63
「主戦論はジャーナリズムでもしだいに大きな勢力となり、非戦の立場を取っていた「毎日新聞」や「二六新報」や一部の地方紙も主戦論に鞍替えしていく。最後まで非戦論の孤塁を守っていたのが黒岩涙香の「万朝報(よろずちょうほう)」だったが、ロシア軍が満州撤退の最終期日になっても満州に居座っているのを知って、ついに主戦論に転じた。戦争へと向かうナショナリズムの勢いに抗しえなかったのである」p276
「1890年代の初めから1900年代の半ばに至る歴史をナショナリズムの時代ととらえた。それは重苦しい分裂と統一の時代だった」p300
「漱石は国家の動向や社会の風潮に容易に同調しえない知識人として時代を生きることになった」p366
「漱石はそういう時代の流れに乗れなかった。人々が国家の軍事力・経済力の強化と威信の向上を自分のことのように喜ぶ時代の風潮に対し、鋭い疑いの目を向け、おのれの知と思考によって自分なりに生きる道を見出そうとした」p369
「柳田國男のとらえる家は個を基本単位とし、個が集まって一つの形をなす共同体ではない。長く続く場があり、労働があり、しきたりがあり、儀式があり、伝統があり、そのなかで親族をなす数人あるいは数十人の人々が生まれて生きて死んでいく。そういう共同体が家だと柳田は考える。日々の暮らしを共にすることによって育まれ保たれる家々、村々の共同性が、権力支配の網の目を周到に張り巡らした近代国家の共同性と結びつくかのような記述がなされる(著者は批判的)」p419