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平安貴族には、和歌をはじめとする文学的素養と当意即妙の機知に富んだ振る舞いができることが必要というのは面白かった。武家が貴族に嫌われるのもわかる気がする。
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紫式部日記にも通じるお仕事ドラマの側面もあったけど、本書では紫式部の和歌のセンスが伺えた。
有名な道長とのやり取りのほか、親しい女友達と交わした和歌や夫となる宣孝とのやり取りなど…どうしてなかなか!と唸らされる。
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大河ドラマをキッカケに、紫式部の人物像について迫ってみたくなり、手に取った。要は、紫式部ってどんな女の子だったのか、知りたくなったわけである。
本書では主に『紫式部日記』が紹介されている。「紫式部は陰キャラで控えめ、清少納言は陽キャラで活発」というイメージがあったが、決して謙虚で奥ゆかしいキャラではないことが分かった。周囲の目線や上下関係、嫉妬や自己主張といった、人間臭い部分が伝わってくる。
本書ではところどころ、和歌贈答の引用と解説がある。大学受験の時に、古文はスッカリ嫌になってしまったが、久々に読むと、謎解きのようで面白い。和歌の中には、隠語、比喩、当時流行の言い回しがあり、本当の意味は表面的な現代語訳とは逆のことを指しているケースもある。これを理解して男女の駆け引きをするのは、難易度が高すぎる。
あまり体を動かさずに、ずっと屋内で書物を読み、上司(姫君)や同僚と語らう、女房たちの日々。ゴシップに花を咲かせても、時間が余ってしまうので、読み書きをする。そのような日常の中で、季節の移ろいや言葉に対する感覚が研ぎ澄まされていたのだろう。
当時と異なり、現代は「手書き」で言葉を書く機会が本当に少ない。いざ書こうとして、漢字を忘れていることもしばしばある。わざわざ手書きで文章を残すことは、一見タイパが低い行為かも知れない。今度の休日は、あえてペンを取り、静かな環境で日記を書いてみたい。
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やはり大河ドラマの影響で、今年は紫式部関連の本が次々と刊行されている。
本書もその一冊で、著者は平安時代の日記文学を専門とする研究者とのこと。
資料が少なくてわからないことだらけのこのテーマ。
読むなら歴史学の人か、文学の人か、どっちがいいのかな、と思いながら、今回は文学研究者のものを選んでみる。
「紫式部集」と「紫式部日記」を軸に、推定を交えて紫式部の人生に迫っていく。
本書の内容から特に自分にとって興味深かったのは、二つ。
一つは娘時代のこと。
夫となる宣孝との和歌のやりとりも面白かったが。
友人と読み交わした和歌が家集に残っていたのを知らなかった。
宣孝との丁々発止といった歌とは調子がかなり違い、しっとりとしたいい歌だな、と感じた。
また、どんなふうに紫式部が人と交流していたのかもわかってよかった。
正直、これまで紫式部の和歌をそれほど面白いと思って読んだことはなかったが、家集も読んでみたくなった。
筆者の解説で、受領の娘のライフコースのイメージがこれまでよりくっきりした気がする。
特に、地方に行ってそこで病没することも多かったという指摘にはっとした。
「土佐日記」で、土佐で幼い娘を亡くしたという話は出てくるが、幼子だからということではないわけで…。
地方任官は受領の家にとって望ましいことではあるけれど、知人・友人との永遠の別れにもつながりかねないものだ思ってこういった和歌や記述を読まなければならないのだな、と気づかされた。
もう一つは、紫式部の彰子女房としての立ち位置のこと。
召人説なども踏まえ、正妻の倫子との関係はどうだったのかも推定されていく。
源氏物語の作者であること、学者藤原為時の娘としての学識が見込まれての出仕だったことは、これまでにもよく聞いてきた話。
だが、それ以外にも父為時が仕えていた具平親王との繋がりも彼女に期待されていたという話も出てくる。
紫式部の担った役割は、ただの物語作者であることよりもかなり多岐にわたっていたようだ。
物語作者としての働きの一部として、ただ書くだけでなく、彰子とともに源氏物語を流布させることに積極的に関わっていたとも本書で知った。
高級な紙を用い、能筆家に書写をさせ、美麗な写本を作って他の文学サロンに贈る。
それがある種の文化政策となっているというのが面白い。
そういう事情が分かってくると、彼女が同僚の中で時にやっかみによるバッシングを受ける理由が、よりよくわかるようになる。