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安楽死についてもっと知識を得たいと思い読んでみました。
安楽死について学びたいと思っている方には、ぜひ読んでみてほしい本です。色々と考えさせられました。多くの事例が紹介されているため、わたしには精神的に読むのがかなりキツかったです。でも読んで良かったと思います。勉強になりました。
この本を読むまで個人的に安楽死は賛成だったのですが、自分がいかに不勉強で思考を重ねる事なく安易に決めていた事に気付かされました。良著。
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16…善意から障害のある人を消すという問題解決に思考を転じること
19…消極的安楽死と積極的安楽死の区別
一章から
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( オンラインコミュニティ「Book Bar for Leaders」内で紹介 https://www.bizmentor.jp/bookbar )
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タイトル通りの前半部分と、著者の主張と医療批判強めに出てくる後半部分。笑
そう言う意味では、著者の立場がかなり明確。というよりも、偏っていると思って読む方がいいのかな、と思いました。
医療サービスって、当然資源的な制約もあるし、医者だって人間であるわけで、医療にかかればどんな病も解放に向かうわけではないし、医者は全知全能の神ではないのです。
また、医療の進歩とはいえ先進的な治療はスキルと費用がかかるし、資源を有効活用するためにトリアージという仕組みがあるわけで、それを批判されてしまうと「では、どうしろと?」という疑問を持たざるを得ません。
こう書くと、それは今わたしが切り捨てられる立場にいないからだという反論もありそうですが。
少数派の意見をどう社会に反映させるか、という課題はLGBTQの話題にも関係するなぁと思うのですが、この場合は「選択肢を増やすこと」で多くのケースに対応できると思うのです。
そう考えたときに、安楽死という選択肢また取り入れる方向で議論していくのは、そこまで飛躍した発想ではないようにも思います。
もちろん、選択肢のひとつとして。です。
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安楽死は個人の意思によって実行されるものという建前のもと、社会からの要請で死んだほうがメリットになる社会的弱者を締め出すものとなりかけている。経済的な状況や支援を得られない人が政治的に殺されている。カナダでは医療や支援がない人の最後の手段になってしまっている。それは元々の原則から逸脱した政治的な安楽死であり、到底この安楽死の制度を認めるものであってはならない。
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海外の安楽死の制度や実情が沢山書いてあり勉強になった。悪い情報のみピックアップして述べているように感じた。
私は医療職者だか、安楽死には賛成である。DNARの日本の現状について述べているが、現状とはかなり違うと感じた。
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健康寿命の不可解さは私も感じます。
あくまで健康かは自分で判断するもので、肉体的にも精神的にも病院行かなければ健康かは多いに疑問です
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安楽死が合法の国では安楽死の条件と対象がすべり坂を下りるように拡大して本人の意思で行うものから本人以外の判断で与えるものになってきていて、そこに「無益な治療」論や「パーソン論」「臓器提供(のための)安楽死」が悪魔合体している現状が紹介されているだけでなく、日本もこれらの動きと無縁ではないということが著者の実体験も交えて明らかにされていて、中途半端な障害者として衝撃を受けたし、「なぜ」死を望むのかということを考え続けてほしいとの提言には納得した。安楽死や尊厳死についてだけでなく、臓器移植や社会福祉に関心のある人にはぜひ読んでほしいし、できれば関心のない人にも読んで知ってほしい良書です。
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終末期の患者がこれ以上苦しまないようにと善意で導入された尊厳死が、安易な解決方法として世間の選択肢に変わっていく過程が怖い。無益な治療の「無益」は患者にとってから社会にとってへと無邪気に変容するのも怖い。死を勧める前に福祉を充実させるべきという意識は常に持っておかないと落とし穴にはまりそう。
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私自身「安楽死」についてちょっと雑に考えていた部分があったように思う。本書を読んで反省した。最低限「尊厳死」「医師幇助自殺」「積極的安楽死」の区別はついてないとあかんね。それだけでこの本を読んだ意味があったようなもの。
本書では世界各地の終末期医療とそれに伴う安楽死、いや医師幇助自殺と言ったほうがいいのかもしれないけど、第三者からすると耳を疑うような判断が「無益な治療」の名のもとに下されている実態が暴かれている。
少なくとも平時においては、自身の意思があるかどうか疑わしいにもかかわらず、他人によって死という判断を下すのは倫理的に問題があると思う。その一方で、自身のアイデンティティが喪失しつつある際は、死に方について自身で決める権利を持ってもいいという考えも理解できる。結局、そのバランスをどう取るかという問題なのだが、その議論の前提となる知識を得るにはもってこいの一冊だと思った。
星を一つ下げたのは、コロナ禍でのトリアージの問題について対案が示されていなかったから。これを書けなかった理由はよく分かるけど、せっかく一つの章を設けたのだから、そこはもう一歩踏み込んで見解を出して欲しかった。
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前半の安楽死が既に導入されている国の事例は大変勉強になった。どこで線を引くのかの難しさや、導入されることで安楽死の要件がどんどん緩くなってしまう問題、社会保障で救われるべき案件にお金がかかるからと安楽死をさせられる問題など本当に難しい問題だと思い考えることが多かった。
ただ後半は、医療や介護制度に対する恨み辛みがベースになっているように感じられ進まなかった。
総じて「命の選別をするな!もっと社会保障と介護を!」というメッセージを受け取ったが、少子高齢化がどんどん進み、持続可能な医療のため、縮小の議論が避けられない中では、どうにも素直に頷けない内容だった。
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安楽死は「合法化」なのか、「非犯罪化」なのか…。
安楽死と緩和ケアの混同。
囚人でも安楽死を行う国もある。
臓器提供安楽死の問題…。
認知症や障がい者、精神的苦痛のみを理由にした安楽死の判断は難しい。
その判断は誰がやるのか、医者なのか…。
治療してくれてる医師に死にたいって言うのも、なんか辛いし、言われる方も悲しい。でも…
医療費や介護費のことを言い出したら、倫理的にどうなのかと思うけど、正直なところ、心の中で思うことはある。
消極的安楽死(尊厳死)については、賛成。
末期がん患者の苦痛をとるための緩和ケア的な安楽死も賛成。
しかし、積極的安楽死のルール作りがとても難しいのだとわかりました。
これは非常にデリケートな問題で、著者は慎重派のようだけど、人によっては綺麗事と思うかもしれない。
死にたいと思うことはそんなにダメなのか。
病気の本当の苦しさは本人にしかわからないから、本人が死を望むならその意思を尊重させてもいいのではと思う。
NHKで放送されたスイスに渡って安楽死をしたドキュメンタリーも観ましたが、
死の瞬間までカメラを回していました。衝撃的で今もあの映像が鮮明に焼き付いています。
日本ではまだまだ議論の余地がありそうですが、そのためにも多くの人に興味をもってもらいたいです。
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スイスやオランダで安楽死が認められている程度の知識しかなかったので、カナダのケベックでは死者の約7%がMAIDによる死亡となっている現状には驚きました。
著者の言うように安楽死「賛成派」「反対派」のような単純な話ではなく、一人ひとりの「死にたいほど苦しい」理由や環境を医療機関や行政が理解して手を差し伸べるのが理想だとは思いますが、今後、高齢化社会がさらに進めば医療のリソースが益々減っていくのは確実で、終末期に限らずQOLの観点から「死ぬ権利」を議論するのは避けられないように思いました。
コロナ禍で救う命の順位づけが検討されたように、人間の生命は平等で、価値で軽重づけされるものではない原則も見直しが求められるようになるのではないかと思います。
その中で、どこかで線を引いてもその線は易きに動いていくものだということを認識して十分なセーフティネットを考えていくのが求められるのでは。
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ある意味想像を裏切った内容でした。
自分には関係ないと思っていたが誰もが向き合う瞬間がある。
是非一読してほしい。
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最初の方は各国での法令や運用、裁判になったケースなど、安楽死を検討するにあたって懸念される事項を客観的に公平な立場で紹介していたが、途中トリアージの話の辺りから著者の状況をふまえた強い反対への主張が感じられるように。すべり坂を懸念するのは分かるけど実際に希望する人もいる訳で、まずは厳格な運用から始めてみるのがフェアだと思った。