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「人生を変える読書」とか「生きるための読書」とか見出しの風呂敷は広いけれど、考える材料や枠組みを集めて形成する手段として読書を位置付け、考える道筋として読書を楽しんでいる印象を受けた。『自由からの逃走』や『夜の霧』、『後世への最大遺物』、『自省録』など学生時代に読んだ本も色々載っており、数十年後に再読した時に、読む人のその時点の心持や周囲の状況の変化によって、同じ文面なのに本の持つ意味が全く変わる、というのはそうだなと。そろそろ卒業後10年を超えてくるので、当時読んでいた本を色々と再読してみたいと思えてきた。あと、自分が何を知らないかを把握するための「アンチライブラリー」(≒積ん読)の概念は大事にしていきたい。
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現代は「大きな物語」が存在しない時代とされています。これを言ったのは、フランスの哲学者、ジャン=フランソワ・リオタールです。(中略)ここでの「大きな物語」とは、それまでの近代(モダン)を根拠づけていた啓蒙思想、進捗主義などを指していて、そこには近代哲学や科学なども含まれます。
そうした人類の進歩を信じて来た思想的な枠組みに不信感を表明し、「大きな物語」は凋落してその目標を失いつつあるとして、そこからの新たな展開を目指したのです。(pp.23-24)
ものを考えるために、私たち人類は、文学と本というものを発明しました。そして私は、読書こそが、「考える材料」を集め、「考える枠組み」を構築する手段としてもっともすぐれたものではないかと考えています。
本を読めば、人間にはじつにさまざまなものの見方や考え方、価値観があることがわかり、それら人間のさまざまな思考の軌跡を、読書を通じて容易に追体験することができるからです。(p.28)
つまり、読書というのは、絶対に会えないような素晴らしい人たちと、時空を超えて間接的に対話できる優れものなのです。(p.44)
この『夜と霧』という本を、私は大学生のときに一度読んでいました。ただ、当時は、誰かに勧められて読んだものの、強制収容所のあまりの凄惨さに、つらすぎて全部を読み切れませんでした。正直に言えば、あまりにも多くの人がただただ死んでいく様子に耐えられなかったのです。
当時の印象はその程度のものでしたが、37歳になって読み直したときは、これを自分の身に照らし合わせて、食い入るように読みました。これが本の不思議なところで、書かれている内容はまったく同じなのに、読む人の姿勢や心持、置かれている環境などが変わることで、本の持つ意味がまったく変わってくるのです。(p.106)
フランクルが『夜と霧』で述べているように、私たち人間はつねに「生きる」という問いの前に立たされており、「生きることがわたしたちからなにを期待しているか」に真摯に向き合うことが大事なのです。(p.120)
ナシーム・ニコラス・タレブは、『薔薇の名前』(東京創元社)で有名なイタリアの小説家ウンベルト・エーコが、自宅に約3万冊の本を持っていたことを挙げて、「読んでいない本」というのは、「自分がまだそれを知らないこと」を思い出させてくれる「アンチライブラリー(antilibrary)���だと述べています。
「アンチライブラリー」という造語は、自分が知っていることと同時に、自分が「何を知らないのか」を把握しておくことの重要性を言葉にしたものです。つまり、「自分が読んでいないものものを含め、そこに本がある」という事実を示してくれるのです。
この「アンチライブラリー」のポイントは、「買ったのに読んでいない本がたくさんあることに罪悪感を持つことなく、関心がありそうな本は手当たり次第に買うべき」だということです。
自分の関心がある本は迷わず買っておき、読む暇がないなら読まずに積んでおく。これはいわゆる日本語で言う「積ん読」のことであり、この言葉は、最近海外でも「Tsundoku」として少しずつ知られるようになっています。(p.138)
自分を大事にするというのは、自分の心を大事にするということです。自分の心を大事にする人は、本を読めば必ずそこに何か自分の心とのつながりを見つけることができるはずです。つまり、他人の心に「共感」を持つということです。それは心の中の灯火のようなもので、それを大事に育てていけば、やがて大きな炎になります。(p.172)
書評を書くようになって気づいたのは、アウトプットを想定して読書をするのと、ただ本を読むのとでは、読み方がまったく違ってくるということです。
書評を書く前提で本を読むと、「結局この本のポイントを短くまとめたらどうなるのだろうか?」「自分の心に響いたこのあたりのポイントは、ほかの人にも同じように響くのだろうか?」「このテーマに関連したたほかの本にも言及しよう」などと考えて読むようになります。
書評を読んでいる読者に媚びるという意味ではなく、アダム・スミスが『道徳感情論』の中で言っている、第三者である「公平な観察者」の視点を得るというような感じではないかと思います。
すると、自分にとっても内容の整理となり、その本のポイントや本質的な部分が記憶に残りやすくなるのです。もちろん、その諸表をあとから見返すことができるので、繰り返し何度でも記憶を呼び起こすことができるというメリットも大きいです。(p.186)
読書をしていてわからない部分が残ったら、そこからまた猛烈にその部分を知りたくなる。そこから、次の読書への取っ掛かりが見つかる。そのような自然な導きに従って本を読んでいくのが、私の読書の基本なのです。
みなさんもぜひ、自然の中に無限に沸いてくる好奇心を、読書に活かしてみてください。人間の「知りたい」という欲求には、ものすごいエネルギーがあります。それこそが、人類の歴史をここまで推し進めてきた中核にあるものです。(p.191)
教養があるとは、しかじかの本を読んだことがあるということではない。そうではなくて、全体のなかで自分がどの位置にいるかが分かっているということ、すなわち、諸々の本はひとつの全体を形づくっているということを知っており、その各要素を他の要素との関係で位置づけることができるということである。ここでは外部は内部より重要である。というより、本の内部とはその外部のことであり、ある本に関して重要なのはその隣にある本である。
したがって、教養ある人間は、しかじかの本を読んでいなくても別にかまわない。彼は���の本の内容はよく知らないかもしれないが、その位置関係は分かっているからである。(バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』)(p.194)
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<目次>
序章 自分を形作る読書~人格をつくりあげるのはあなた自身である
第1章 人生を変える読書~あなたはまだ本当の読書を知らない
第2章 生きるための読書~不確実な人生を生き抜く力を手に入れる
第3章 好きから始める読書~読書至上主義という思い込みを捨てる
第4章 対話としての読書~既成概念の「枠組み」の外に出るために
<内容>
『読書大全』の著者。この本で書き足りないところを(あるいはカットしたところを)こちらにしたのだと思う。こちらには本の紹介は少なく、そこから感じることを書き出してある。読書家のいうことはみな同じで、だからといって陳腐なのではなく、真実なのだと思う。好奇心を持ち、社会に目を向けつつ、自分で本を選び、そこから派生的に読書を広げていく。誰かに勧められただけの、役立つと銘打った本を捨て、本の杜に入っていくべきだ。
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読書に対する意欲をかりたたせてくれるかなと思い本書を手に取った。内容は自分には難しく頭に入らなかった。また読み返したら違う感想が得られるかも。敢えて吸収したことを出すと、積ん読はアンチライブラリーといい、自分を見つめる材料になるので悪いことではない。本は追体験の道具。読みたい本を読む。読書は無知の自分を成長させてくれるので、やるべき。少し意欲が湧いたかな?
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読書とは何なのかを知りたくて購入しましたが、途中から資本主義や哲学とはなど、筆者の興味ある分野や他の本からの引用ばかりとなり、結局読書することによってどうなるのかについてはあやふやなまま終わってしまいました。要約すると様々なジャンルの本に目を向けることで視野や考え方が広がりますということですかね。個人的にはあまり参考にならない本でした。
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読書によって、自分を取りまく枠組み(資本主義や組織の空気)から上の視座に立つメタ認知を得る重要性を説く本。
読書をする理由や読書をすることでどうなるかを、様々な古今東西の名著を引用しながら紹介しています。
著者は東大→日本興業銀行→ゴールドマン・サックスと資本主義ど真ん中のキャリアですが、キャリアの途中で資本主義の負の側面に気づき、自分の悩みを解消するために読書を能動的に行うようになりました。
タイトル通り、人生を通した読書への向き合い方について学べたので☆4つです。
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読書とは何か、私たちは本を読むこととどう向き合うのかについて考えるための一冊。
参考図書の紹介が多いのも良かった。
読書をすれば偉くなれるとか得をするとかそういったことではないので、具体的な指示や何らかの短期的な効果を求める人には向いていないかもしれません。
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2024年7冊目。満足度★★★★☆
元銀行員。最近出たベストセラー本『読書大全』(積読中:笑)の著者
最近読書量が減っている私が、改めて読書に真面目に向かい合いたいと思い手にとった一冊
知的欲求が高まった
読書の効用・素晴らしさを再認識。本棚に並ぶ書籍の中身を大きく変えたい衝動に駆られた
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読書の効用は「著者との対話を通じて『自分』とは何か」を考えるきっかけを与えるところにあると著者は言う。稀代の読書家による読書論。
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読書とは自分のなかに基軸をつくり自分を見失わないようにする行為である。そうして、社会や人ととのつながり方を学ぶものである。
という著者の主張には、現在の資本主義が社会のOSとして機能しており意識しなければ資本主義という舞台で知らず知らずのうちに資本主義的な考えや資本主義的な振る舞いを行なってしまうという現代社会の盲点があります
自分も資本主義から生まれる競争社会に疑問を抱いていたので、同じように考え読書によって思考を深めていった著者のような方が存在していることに大変勇気づけられました